読書の記録

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脱出記-シベリアからインドまで歩いた男たち

2009年11月05日 | 旅行・紀行・探検

脱出記-シベリアからインドまで歩いた男たち

著:スラヴォミール・ラウイッツ  訳:海津正彦

 前回の「世界最悪の旅」に続いて、似たような(?)本。というのは「世界最悪の旅」の巻末に冒険・探検本のオススメリストが載っていて、そこに本書も紹介されていたから。

 タイトルでほぼ想像できるが、破天荒極まる脱出と逃亡の記録だ。第二次世界大戦勃発の頃の話だが、スパイ容疑をかけられて真冬のシベリアの強制収容所に収監されたポーランド人が、仲間とともにそこを脱出し、同盟国側のエリアに到達するために、シベリアを南下し、灼熱のゴビ砂漠を縦断し、冬のヒマラヤ山脈を超えてインド北部(つまりイギリス領)まで徒歩で到達する。その距離は6500キロ(日本列島2個分)。季節が一巡していて、シベリアで遭遇した冬将軍が、ヒマラヤ山脈でまた訪れる。

 原書の刊行が1956年で、だからずいぶんのロングセラーだが、そのあまりにも空前絶後な記録であることから、当初から「ネタでは??」という疑念があったそうだ。ろくな準備もせずにゴビ砂漠を縦断したなんて滅茶苦茶なホラ話ではないかと、穿ちたくなる気持ちもわかる。

 まあ、10年過ぎて後の回想録であり、しかも仲間とはその後一度も会っていないから確認作業もできず、もちろん逃避行の最中は地図はもちろん、道程中の記録なんてとってないから、本人の意識無意識にかかわらず、記憶のいい加減な部分や美化された部分もあるだろう。ただそれを差し引いても、すさまじい内容である。いや差し引く必要はない。本書によって活字化された部分というのは、この旅の特徴的なほんの一部分のエピソード、すなわち「点」の描写なのであり、活字化されない6500キロという「線」そのものが、地味でありかつ艱難辛苦のオンパレードであることは間違いないからだ。

 描写はむしろ淡々としている。ハリウッド映画のようなスペクタクルを期待すると、肩透かしを食う。だが、これは想像でしかないが(当たり前だ!)、実際に体験した人だからこそ、こう淡々となるのではないかと思う。むしろ、フィクションで書こうとするほうが、つい過剰な演出をしてしまうのではないか。ノンフィクションの探検行を読むと、実際にその身におこる数々の異常さとは別に、当人の事件を描く描写そのものや心情の筆致は、比較的あっさりしていることが多く、案外そういうものなのかもしれない(そもそも小説家としての手腕を持っているわけではないのだし)。

 目次を見ればある程度内容が見抜けるので、その程度のネタバレで書くと、脱出行を行ったのは7人。後にあと1人合流して8人。ただし、最終的にインドに到達して無事に生還したのは著者を含め4人である。生存率50%であり、試練と悲劇の連続である。特にあともう一歩というところでの最後の犠牲者は無念極まりない。
 だが、4人はインドに到達した。不謹慎な言い方ではあるが「上出来」ではあろう。この成功は、やはり解説で椎名誠が指摘しているように、全員が有能に機能してきたから、というのがあるだろう。7人の侍よろしく、それぞれが自分の有利なところを活かし、知恵と知識を持ち寄り、全体最適のために発揮していった。もちろん超人的な体力と不屈の精神があることは言うまでもない。
 それからもう一つ、強調しなければならないのは、このような暴挙に出たくなるほど、スターリン体制下の恐怖があったということだ。「脱出期」の前半は、彼がスパイ容疑でとらわれ、容赦ない拷問を受け、でっちあけ裁判で25年の強制労働の刑を宣告され、延々とすし詰めの貨物列車でシベリアに運ばれ、強制労働に借り出される。本書の日本での刊行が遅れに遅れたのは、ここらへんの描写が政治的に厄介だったから、という説もあるが、とにかくそこから逃れられるのだったら、ゴビ砂漠の縦断もヒマラヤ山脈の踏破も辞さないということである。

 本書がノンフィクション足るところは結末だ。ある意味「脱出」は成功したもの、彼は、ついに祖国ポーランドに戻ることはできなかった。戦中はナチスドイツが、戦後はロシアが蹂躙してしまったからだ。脱出の仲間たちは英軍キャンプで別れて以降、二度と再会していない。
 この壮大なストーリーが、切なくてあまりにミニマムな1行に収斂されて最後に終わるところに、著者ラウイッツが、この脱出行を成功体験でも英雄譚でもなんでもない、苦行の記憶でしかないことを見た。


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