テクノソーシャルリズムの世紀 格差、AI、気候変動がもたらす新世界の秩序
ブレット・キング リチャード・ペテイ 訳:上野博
東洋経済新報社
本書は、今後起こりうる社会変化をひとつひとつ検討し、そこから起こりうる未来をシナリオ別に4パターン提示している。
正直いって、この4パターンそのものはよくある4象限型で、ユートピアとディストピアおよびその中間であってそんなに驚くものではないが、社会変化要素のひとつひとつとして何を拾っているかが興味深い。
ざっくりいうと、
(1)格差拡大
これはもうメカニズム上ひろがっていく一方である。よほどの強制力を働かせない限り市場の格差は拡大するが、社会をけん引する立場の人たちに格差を解消するインセンティブがない。激動する社会変化もまた保守派と推進派の分断を進める。そして、この格差拡大は、民主主義の制度疲労、革命の火だねとなるリスクにもなる。
(2)テクノロジー分野の驚異的発達
AI・ヘルスケア・ネットワーク。これはうまく作用すれば、新しい社会の包摂を実現する。とくに発展途上国の人々の公共サービスや金融サービスのアクセスを容易にすることは地域経済を向上させる。企業においてはどの業界が盛衰になるというよりは、テクノロジーを使えるか使えないかで存続が決まる。教育はSTEMが基本になる。もちろん、このようなテクノロジー推進には、支持派と反対派がいる。
(3)金融システムの大変換
いわゆる暗号通貨だが、これをささえるブロックチェーンが持つ可能性はどんどん開花する。非集権型デジタル通貨の台頭は、これまでの不換通貨の信用を上回り、これは分散型金融、NFTの普及、さらには自律分散型組織体へと発展していく。
(4)中国の台頭
一帯一路をはじめ、世界経済の覇権を握るために世界のインフラに投資をしていることは周知の事実だが、AIや金融テクノロジーの投資額が、どの国よりも高いところを本書は注目している。言わずものがなでこれからの時代はテクノロジーを握ったところが勝つ。中国は基軸通貨の地位を米ドルから奪うことを目標にしている。
(5)気候変動
これももはや揺るがざる事実になりそうだ。世界各国は、2050年までに気温上昇を一定の制約内に収める努力をしているが、実現性は懐疑的だし、かりに1.5度の上昇範囲におさえたとしても、それにおける気候変動はじめ地球環境や人間社会に与える影響は計り知れない。
(6)Z世代の価値観の浸透
本書では、Z世代という表現はとっていないが、このデジタルネイティブ世代がもつ新たな価値観は旧来世代と摩擦を起こす。モノよりコト。所有によるアイデンティティ形成よりは、人や情報へのアクセス権を求める。ヘルスケアとはフィジカルだけでなく、むしろメンタルにおいて重要視される。マズローの五段階欲求に関しても、Z世代のそれは旧世代と少し違う。
などなどが相互に絡み合って影響しあう。未来にとってポジティブなものもあればネガティブなものもあるわけだ。これらがうまくタイミングが合って好影響に昇華されれば、なんとか人類の平和が続く社会へ軟着陸する。しかしそれには、まず現在のGDPに代わる新たな経済指標の確立(気候変動寄与度など)と、テクノロジーに対しての理解と期待と節制が重要になる。これを外してしまうと、一部のユートピアと多数の荒廃社会へと分断された社会になったり、専制国が出現したりする。本書はコロナ後ウクライナ前というタイミングに執筆されたもので、現実としては明るい未来は黄色信号になりつつある。
ところで、本書にさりげなく書かれた以下2つは、僕はとっても重たく受け止めた。
①これからの時代の人間の仕事は、テクノロジーに関するものか、サステナビリティに関するもの以外の仕事はシュリンクする(雇用がない・給料が上がらない)。
うすうすとそうなんじゃないかと思っていたがここまで言ってくれちゃうとなあ。テクノロジーに自信がなければサステナビリティという見方もできそうだが、どっちにしろSTEM教育はベースとなるだろう。
そしてもう一つ。
②未来で人間にとって必要なのは、知識ではなく、知識を活用する知恵。知識はAIに及ばないが、知恵は経験がものを言う。そのために重視されるのは、創造的な遊びと、友達をつくって他人を尊重するソーシャルスキル。このようなソフトスキルが私たちをマシンから差別化する。
本書は、ジャック・マーの言葉を引用してこのことを述べている。生き延びるためには人柄が大事なのだ。
ところで、本書は読み切るのにずいぶん時間がかかった。途中しばらく放置していたこともあって半年くらいかかってしまった。そこそこ分量のある内容ではあるがかかりすぎである。その間に別の本を何冊も読了してしまった。この本は装丁がなかなか立派だったこともあって紙で買ったのだが、いざ読もうとすると重量があり、大きくて角張っていてモビリティが悪く、出先に持って行きにくかった。なのでもっぱら自宅で読んでいたのだが、僕は出先や移動中に読むほうが集中できる癖があって自宅だと気が散漫になりやすい。何が言いたいかというと、こういう本こそ電子書籍版むきだったなということだ。さすがテクノソーシャルリズムをうたった本である。これからは重厚なハードカバー本は敬遠されるのかもしれない。