読書の記録

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夜と霧

2022年12月14日 | 哲学・宗教・思想
夜と霧
 
V・E・フランクル 訳:霜山徳爾(旧版)・池田香代子(新版)
みすず書房
 
 
 前からやってみようと思っていたが果たせていなかった読書に挑戦した。
 
 それは、フランクルの「夜と霧」(みすず書房)を新旧ふたつの訳で読み比べてみよう、という試みである。
 
 みすず書房の代名詞とも言える「夜と霧」には旧訳と新訳がある。
 旧訳は1956年に刊行された。故・霜山徳爾氏が訳したもので、公立図書館や学校の図書室におさめられている多くはこれである。
 「夜と霧」というのは日本独自のタイトルで、フランクルがもともと1946年に書いた本はには"Ein Psychologe erlebt das Konzentrationslager"とつけられていた。直訳すると「一人の心理学者が強制収容所を体験する」という如くのものになる。
 正確に説明すると、1956年の「夜と霧」というのは、この「一人の心理学者が強制収容所を体験する」というフランクルの手記を真ん中にして、前後する形で配された「解説」と「写真図版」の3要素から成り立つパッケージである。この「解説」は本文なみの分量がある特異なもので、みすず書房にて用意されたオリジナルだ。イギリスで記録された戦後裁判での証言をもとに構成されている。その内容はナチスによるホロコーストの生々しい実態である。旧版「夜と霧」は、この「解説」による洗礼を最初に受けてから本文に入り、最後にショッキングな「写真図版」で終わるような構成になっている。
 この構成については当時もいまも賛否両論がある。強制収容所のリアリティがあるのとないのでは、本文を鑑賞する際の重みが違うのは確かだろう。ユダヤ人ともナチス帝国とも縁が遠かった日本において、当時は今ほど情報が流通していなかったから、この「解説」と「写真図版」は相当なインパクトを与えたようである。
 一方で、フランクル自身は決してナチスの蛮行を告発しようという意図があったわけではなく、みすず書房に対してもこの構成は本意ではないことを伝えたらしい。
 後に、フランクル自身が原稿を改訂したこともあり、みすず書房は2002年に「夜と霧」(新版)を刊行した。訳は池田香代子氏である。旧版にあった「解説」と「写真図版」は取り除かれた。
 
 同一出版社で新訳が出た場合、旧訳は絶版になることが通常だが、みすず書房は霜山氏への敬意もこめて、新旧両方の刊行を続行した。したがって、大型の書店に行くと「夜と霧」は新旧ふたつの版が並んでいる。
 
 
 というわけで、新版と旧版の最大の違いは、「解説」と「写真図版」の有無にある。
 一方で「本文」については細かい加筆訂正箇所もあるにはあるが、最大の違いはなんといっても翻訳を担当した霜山氏と池田氏の文体だろう。旧版支持者は霜山氏の厳格な文章になじんだため、池田氏の文章に食い足りなさを感じるようだ。ネット上の評判などをみると霜山訳のほうが格調高く、池田訳が平易に過ぎるような論調をみる。また、霜山氏の本職が臨床心理学者でもあることから、専門的な説明の信頼力が池田氏よりもあるとするむきもある。
 
 一方で、霜山氏の文章はたしかに現代感覚からするともはや使われなくなったコトバや言い回しもあり、ある程度年季の入った読書好きでないと読みにくいかもしれない。
 
 
 で、ぼくは旧版をベースにして、ちょっと意味がわかりにくいなというところや、ここは重要だと思った箇所は新版でも確認するような手続きで読んでいった。「解説」も「写真図版」も読んだ。
 そうすると、霜山訳と池田訳の特徴というものが浮かび上がってきた。
 
 
 たとえば、収容所の囚人たちが夕焼けの光景に感動する有名な個所。
 
 【霜山訳】
 そしてわれわれはそれから外で、西方の暗く燃え上る雲を眺め、また幻想的な形と青銅色から深紅の色までのこの世ならぬ色彩とをもった様々な変化をする雲を見た。そしてその下にそれと対照的に収容所の荒涼とした灰色の掘立小屋と泥だらけの点呼場があり、その水溜りはまだ燃える空が映っていた。感動の沈黙が数分続いた後に、誰かが他の人に「世界ってどうしてこう綺麗なんだろう」と尋ねる声が聞えた。
 
 【池田訳】
 そしてわたしたちは、暗く燃えあがる雲におおわれた西の空をながめ、地平線いっぱいに、鉄色(くろがねいろ)から血のように輝く赤まで、この世のものとも思えない色合いでたえずさまざまに幻想的な形を変えていく雲をながめた。その下には、それとは対照的に、収容所の殺伐とした灰色の棟の群れとぬかるんだ点呼場が広がり、水たまりは燃えるような天空を映していた。
 わたしたちは数分間、言葉もなく心を奪われていたが、だれかが言った。
 「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」
 
 霜山訳はかなり抑制的で、フランクル自身の目や耳に入り込んだものをそのまま再現しているようだ。それに対し、池田訳のほうは、効果的なストーリーテーリングを意識した語り口である。「静の霜山、動の池田。」である。
 
 では、この箇所、原文ではどうなっていたのだろうか。
 
 Und  wenn  wir  dann  drausen  die  duster  gluhendenWolken im Westen sahen und den ganzen Horizont belebtvon den vielgestaltigen und stets sich wandelnden Wolkenmit ihren phantastischen Formen und uberirdischen Farbenvom Stahlblau bis zum blutig gluhenden Rot und darunter,kontrastierend, die oden grauen Erdhutten des Lagers undden sumpfigen Appellplatz, in dessen Pfutzen noch sichdie Glut des Himmels spiegelte, dann fragte der eine denandern, nach Minuten ergriffenen Schweigens: ≫Wie schonkonnte die Welt doch sein!
 
 ぼくもドイツ語は読めないのでじっと眺めたり、Google翻訳の助けを借りたりしてみていった結果、むしろ逐次訳に近いのは池田訳のほうだなということがわかった。Horizont(地平線)、blutig gluhenden Rot(血のように輝く赤)は、池田訳には直接反映されているが霜山訳では捨象されている。最後のくだりにおける誰かの声は、霜山訳では本文にさりげなく溶け込ませていて、小さくつぶやかれたかのような印象を受けるが、池田訳では段落を改めて独立させ、夕日に向かって叫んだかのような印象を与える。
 
 ここらへんは是非の問題ではなく、翻訳の美意識の領域であり、読者にとっては好みであろう。霜山氏はフランクルに直接会って話をきいているし、文面よりも彼自身の雰囲気を念頭においてここまで刈り込んだのだろうし、池田氏はフランクルと直接会ったことはないが原文の文面の印象を大事にした感がうかがえる。
 
 
 もう一つ有名な箇所。人生の意味とは何かという永遠の問いをコペルニクス転回させ、人生から何の意味を見出すかこそが重要というくだりである。
 
 【霜山訳】
 ここで必要なのは生命の意味についての観点変更なのである。すなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。そのことをわれわれは学ばねばならず、また絶望している人間に教えなければならないのである。
 
 【池田訳】
 ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。
 
 
 文章の長さはどちらもほぼ同じだ。
 大きな違いは、霜山訳では「生命の意味」「人生」と訳したのに対し、池田訳では「生きる意味」「生きること」としたことだ。こちらも霜山訳が静的(名詞)なのに対し、池田訳は動的(動詞)である。
 
 原文は以下のようになる。
 
 Was hier not tut, ist eine Wendung in der ganzenFragestellung nach dem Sinn des Lebens: Wir mussen lernenund die verzweifelnden Menschen lehren, das es eigentlichnie und nimmer darauf ankommt, was wir vom Leben noch zu erwarten haben, vielmehr lediglich darauf: was das Leben von uns erwartet!
 
 ここで霜山が「生命」や「人生」と訳し、池田が「生きる(意味)」「生きること」と訳したドイツ語はLebenという単語である。Lebenは英語でいうLifeにあたる名詞形で、したがって「人生」とか「生命」と訳せる。動詞としては「生きる」という意味になるから。池田が「生きる」という日本語を当てるのも順当の範囲である。
 
 しかし、「あなたにとって人生とはなにか」と尋ねることと、「あなたにとって生きるとはなにか」と尋ねることは、けっこうニュアンスが異なる。まして「生命の意味」と「生きる意味」はかなり印象が違う。
 この感覚の違いを冷静に考えてみると、池田訳の「生きる」「生きること」というのは日本語として動詞だから主語が蓋然的に必要となる。その主語とは当然「自分」である。つまり「生きる」という言葉は必然に「自分」という存在を引き寄せ、しかも能動的な自動詞ということになる。生きることはほかならぬ自分の意思決定の連続である。
 
 一方で、霜山訳である「生命の意味」「人生」という言葉をあらためて噛みしめてみると、「自分」というものの主体性が及ぶ範囲から若干の距離感がある。はからずもこの世に生を受けてしまった以上それはあなた次第である、という受動から始まる義務と責任とでもいうべきものが見え隠れしまいか。それは「生命」というやや突き放したような客観的な訳語がまず象徴的だ。また「人生」という名詞は、主語が必ずしもまとわりつかず、単語として完結する。つまり「人生」とは「自分」のままならない別個の概念という前提がここにある。池田訳の「生きる」という、自然に(自分という)主語とつながろうとする動詞が持つコトバと性質が異なるのである。
 つまり、霜山訳は、人生とは自分の意とは関せずにふりかかるものという見立てがまずあって、にもかかわらずそこから意味を見出すのだ、という受動から能動への転換がある。この劇的さこそが霜山訳の特徴である。
 
 これはフランクルと同時代に生まれ、太平洋戦争を実際に体験して特攻隊の生き残りとなり、開放されて間もないアウシュヴィッツを見学し、フランクルにも実際に対面した霜山と、戦後世代の池田の立場の違いが現れたところと言えるだろう。
 強制収容所という局面は、受難以外のなにものでもなかった、その「受難」さえ、意味あるものにと能動的な態度に替える強さこそがフランクルの唱える「態度価値」の真骨頂であった。したがって、霜山訳の「生命の意味」について「観点を変更」し、「人生」というやや客観めいたはずのものが自分に何を期待するかと急にせまってくることがまさにコペルニクス的転回なのである。この凄みに霜山は震撼し、なんとかしてそれを翻訳として引き出そうとしている。
 霜山の訳は、壮絶な収容所経験をしてきたにもかかわらず、冷静さを失わずに人生の意味を見出したフランクルの臨床心理の凄みをなんとかして日本語にしようとしたものだ。それは思想をゼロから言語化するに等しい、石板に刻み込むような仕事だ。
 
 とはいっても霜山訳はやはり堅い。現代となっては日本語としてのレギュレーションを超えている箇所が随所にあるし、フランクルの原文そのものはそこまで凝ったレトリックではない。むしろフランクルの芸風は文体もタイトルのつけ方も非常にさりげない。池田訳は、もう一度本来のフランクルの原文が持っていた平静さを戻したものである。だからフランクル本来の文章の味わいとしては池田訳のほうが近いのだ。しかし、一見そのさりげない文体に隠れたその思想の凄みの何たるかは、霜山訳くらいに厳粛に、そして高貴な態度で訳されたものでなければ、我々はシンクロできないものなのかもしれない。
 
 池田訳があくまでフランクルの文章の翻訳であるのに対し、霜山訳は霜山が信じたフランクルの思想そのものを日本語にしていたと言えるだろうか。

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