読書の記録

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チェ・ゲバラ伝

2018年10月05日 | ノンフィクション
チェ・ゲバラ伝
 
三好徹
文芸春秋
 
 
 ずいぶん前に、新聞記事で何かの国際会合のあとの首脳たちの記念写真をみた。日本国の代表は森喜朗だった。
 森喜朗の横に立っていたのはフィデル・カストロだった。
 
 森喜朗の体躯はデカいほうだと思うが、カストロはそれよりもずっと大きい。
 それだけでなく、政治家であるならば、横にあのカストロが立っているというだけで相当なインパクトがあったのではないかと思う。実際、あの厚顔無恥な印象のある森喜朗が、カストロの横で若干上半身を引き離し気味に写っていたのを覚えている。このころのカストロはまだ存命どころか引退もしておらず、例のカーキ色の軍服で森喜朗の横に立っていた。
 
 アメリカでは暴虐の独裁者と宣伝されたフィデル・カストロであるが、一方で人類史上まれにみる善たる独裁者だったという評もある。これはつまり、独裁者というのは本質として「悪」になるということだ。南米ではカリスマ的な人気をほこったカストロであるが、自らを偶像視することは固く禁じ、プロマイド写真もつくらせず、銅像も禁止し、根拠なき世襲も許さなかった。北朝鮮とは正反対である。よっぽどの自制心がなければならない。
 
 
 カストロの片腕としてキューバ革命を成し遂げたチェ・ゲバラは、その分「顔」役として表舞台に出されたとも言える。革命戦闘中、海外の記者をキャンプまで導いてインタビューをさせた。取材に応じたのはゲバラだが、そもそも記者を招いたのはカストロである。戦略的観点として海外の記者を招き、情報発信させたのだ。しかし、カストロ自身はインタビューに答えず、写真にうつったのはゲバラであった。
 キューバ革命後、新生キューバの使節団は世界各国を訪問し、要人と会ったが、この使節団団長もゲバラだった。カストロは内政に専念した。
 
 だからといって、ゲバラが張り子の虎だったと言いたいわけではない。語り継がれる彼の魅力ーーピュアな精神、すべてを投げ打つバイタリティ、論理的かつ詩的な頭脳を持っていたことは多くの人が証言している。
 しかし、あの男女を魅了する「あまりにも絵になるビジュアル」は。やはりカストロをして、これは使える、と思ったのではないか、というのは僕の勝手な想像である。カストロは自分の写真や似顔絵がキューバ国内に広まるのは禁止したが、その分、ゲバラのプロマイドが出回ることには黙認した。むしろこっそり奨励していたのかもしれない。ゲバラに人気が集まることで自らの地位が危うくなる心配は一切なかった。それくらいの計算はするだろう。ゲバラがキューバを去った後も亡くなった後も、カストロはゲバラを称え続けた。
 
 アメリカも、カストロのネガティブなイメージを世界に植え付けることはある程度成功したが、ゲバラのイメージを貶めることはできなかった。CIAはいろいろな風評操作を弄したようだが、ボリビアで戦死したゲバラが残した日記が奇跡的にカストロの手元に届けられたとき、カストロはこの日記を世界に出版し、キューバを去った後のゲバラの一生を知らしめた。
 
 そう考えると、今なお世界で英雄視されるゲバラだが、そのブランドをつくったカストロの見識というのも実はかなり大きかったのではないかと思う。
 ゲバラは、コンゴとボリビアでは思うような成果を果たせなかった。人々がゲバラの熱意についてこなかったのである。
 キューバ革命の奇蹟は、ラテンアメリカという、本来的には怠惰で享楽的な人々の気質にあって極めて稀有な例外的だったカストロとゲバラという2人が邂逅できた奇蹟だからこそのものだとも思う。
 
  要するに、ぼくはゲバラも好きだが、カストロも好きなのである。
 

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