花束みたいな恋をした
原作・脚本 坂元裕二 著 黒住光
リトルモア
「なぜ働いていると本が読めないのか」。売れているようである。完全にタイトルの勝利であろう。
その本の中で著者が何度も引き合いに出して感情移入を隠そうもしていない大絶賛映画がこれだった。そうか。そんなに面白いのか。映画館の予告編で観たときは、菅田将暉と有村架純という二大売れどころの恋愛ものという先入観が手伝ってとくに興味も期待もなかったのだが、ここまで推されてしまっては観ないわけにはいかない。
たまたま我が家で入っていたU-NEXTのラインナップにあったので観てみた。映画だけでなく、ノベライズ版も読んでみた。
なるほどー これは、アレだな。なんと70年代フォークソングの世界が、ちょっとのチューニングで、実は令和のZ世代にも十二分に通用できるということなのだ。
たとえば定番「神田川」。たしかに、この映画の主人公である麦くんと絹さんは河川を見下ろすアパート(マンション?)の一室で同棲しているし、麦くんはイラスト描きをたしなむ。二十四色のクレパスでなくても絹さんの似顔絵を描くことはあっただろう。もちろん今どきのアパートは風呂付だから、横丁の風呂屋に出かけることはないが、このお二人が駅からの帰り道をカフェで買った飲み物を手に帰途につくシーンは、赤い手ぬぐいをマフラーにして歩く情景を彷彿とさせる。そして「若かったあの頃、何も怖くはなかった」と回顧するのである。
「神田川」だけではない。この映画は「22才の別れ」の世界でもある。「風」という名のフォークソングデュオがうたった名曲だ。17才で出会ったカップルが5年の月日を経て長すぎた春だったと別れる内容の歌である。誕生日にローソクをたてていくシーンが聞きどころ。麦くんと絹さんの同棲もおよそ5年間。そして最後は泣きながら別れを決意し合う。この5年間が楽しかったと。
ちなみに、麦くんはフリーターをやめる決心をして就職活動を行う。で、そのために髪型をあらためる。これは「いちご白書をもう一度」という曲にそういうフレーズがある。歌っていたのはバンバンというフォークバンドで、作詞作曲はなんとあの松任谷由実だ。
そして、別れが決まってから、彼女が部屋を出ていくまでの月日。じゃんけんで引き取る家具を決め、隠し事を暴露し合うひととき。この明るいテンション、これは尾崎紀世彦の「また逢う日まで」に他ならない。
こういうストーリーテーリングは、むしろ70年代の「政治の季節」が終わった頃の空気感を歌ったものだと思っていた。いつの時代でもヒット曲というのは時代の空気と呼応しているものである。だけど、真の名曲というのはやはり普遍性があるんだな。道具立てさえうまく時代の調整をすれば昭和も令和もいけるのである。「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」の内容も踏まえると、「政治の季節」が終わって幾星霜、ここにファスト教養の素地ができあがったのであろう。
ということは、80年代のシティポップでもいけるのだろうか。あれこそは当時の同時代性空気をしてビンビンに反応したものだと思っていたのに、ここにきて再注目されているのはなにか令和の当世にも感じるものがあるのかもしれない。杉山清貴の「二人の夏物語」で出会い、大沢誉志幸の「そして僕は途方にくれる」で別れ、大瀧詠一の「君は天然色」でふっけれる、あたりのエッセンスで物語をつくって、令和風に味付けしたらそれなりにいけるんじゃないか、と思う。
で、そういう御託はいいから、わざわざノベライズ版まで手にした「花束みたいな恋をした」はどうだったのさ?
ここに20代の、そうだな、大学生の最中の僕がいたら、鑑賞後(ないし読後)、落ち込んで3日ほど寝込んでしまったかもしれないな。
僕のまわりにも大学時代に彼女や彼氏とつきあっていたものの、卒業後に就職を経て最後までゴールインしたカップルは皆無ではなかったか。いや、ゴールインなどと言うまい。社会に出て1年以上もったカップルはいなかった。そんな彼らにこの映画はいたく刺さるだろう。
だけど、僕は学生時代にそもそもそんな色めいた話はほとんどなく、就職活動後にようやく付き合い出した女性とは卒業までももたずに去られてしまった。よってこの映画のスタートラインにも立てなかったことになる。
映画の淡い幻想と己のシビアな現実のギャップにもだえるのも、この手の映画や小説の一興だ。