読書の記録

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グレート・インフルエンザ ウイルスに立ち向かった科学者たち

2021年05月27日 | ノンフィクション
グレート・インフルエンザ ウイルスに立ち向かった科学者たち
 
著:ジョン・バリー 訳:平澤正夫
筑摩書房
 
 
 文庫本で上下巻。登場人物がやたらに多いのと、原文がそうなのか訳のせいなのかいまいち文意のたどりにくい表現が多く、読み通すのにずいぶん時間がかかってしまった。が、こういう歴史がかつてあったのだとわかれば、今のコロナの世の中の見る目も変わる。
 
 本書は1918年に世界中に猖獗を極めたスペイン・インフルエンザの話である。一説によればこの感染症により、世界の死者は5000万人(1億人以上説もある)に達した。当時の世界人口は18億人だから、現在では2億人以上の死者に相当する(現在の世界人口は78億人)。日本でも30万人以上の死者が出た(現在の人口換算だと80万人に相当する)。COVID19コロナウィルスの世界の死者が現時点で約350万人、日本で約12500人であるから、その威力のすさまじさがわかるというものだ。
 しかし、そのわりにスペイン・インフルエンザは謎が多い。このパンデミックについては文献も口碑もこれだけの規模の大惨事にしては目にすることがない。訳者も後書きに記しているが、実は1923年に起こった関東大震災のほうが犠牲者の数は少なかったのである(死者約10万人)。その関東大震災は「防災の日」という記念日が現在に至るまであり、歴史の教科書に必ず載り、大震災由来の史跡もあり、文学作品にもしばしば登場する。
 しかしスペイン・インフルエンザのほうはそうではない。コロナの流行でようやく再注目された程度である。
 
 スペインインフルエンザが発生したとされる1918年は、第1次世界大戦が終結した年でもある。この世界を巻き込んだ大戦の死者数は1600万人とされる。これと比較してもスペインインフルエンザのほうが圧倒的な殺傷インパクトがあることがわかるが、さらにはこの第1次世界大戦の死者も、その3分の1は兵役中にスペインインフルエンザに罹患してのものだという指摘がある。さらに一説では第一次世界大戦の終結を早めた一要因だったともされている。(本書ではそれどころかウィルソン米大統領が罹患したために戦後処理のベルサイユでの会議を思うように運用できなくなり、戦後の国際社会体制にまで影響を及ぼしたことが示唆されている)
 とにかく、世界中を巻き込んだスペインインフルエンザだが、このインフルエンザ、発生地はスペインではなくアメリカだというのがおおむねの見解である。アメリカ国内で発生し、アメリカの第一世界大戦参戦に伴ってヨーロッパ他各地に感染が拡大していった。本書はアメリカ国内でのこのインフルエンザの流行と、それに関わった政治家や科学者の物語である。
 
 この時期、アメリカ政府(ウィルソン政権)は第一次世界大戦参戦の気運づくりにやっきになっていた。僕はこの本を読むまであまりよく知らなかったのだが、このころのアメリカ政府はナチスばりの戦争まっしぐらのための全体主義国という側面があったのである。国威高揚に努め、次々と志願兵を募集した。赤十字を通じて看護婦も国中から募った。銃後の産業支援体制を優先させた。戦費調達のための国債の購入も強いられた。反対陣営は明に暗に叩き潰され、粛清に近いこともされた。そんなところにスペインインフルエンザが入り込んだわけだ。当局は嘘と黙殺で塗り込んでいく。為政者はインフルエンザを軽視し、感染拡大を認めず、街中を行くパレードを強行し、各種演説会や集会が開かれ、メディアは正義の参戦を盛り立てた。いくら市内の感染犠牲者が増えても見て見ぬふりをし、それなのに兵站キャンプでの集団発生で患者が続出して医者や看護婦が足りなくなると、市内で既にひっ迫しているにも関わらず病院から医者や看護婦を引き抜いた。それでも足りなくて元看護婦だった人をかき集めたりした。市内の大混乱と関係なく、戦争参加のために人や資材は運ばれた。爆発的な感染拡大をした街は悲惨であった。病床も看護師も足りず、死者は増加し、あげくに埋葬業者も棺桶も足りなかった。街によっては外出制限を施して耐えたが、ようやく解禁してみんなが喜んで外に出た途端に第2波がやってきてのきなみ感染者を出すところもあった。
 
 その有様を読むと、「アメリカ」を「日本」に、「戦争」を「オリンピック」に、そして「インフルエンザ」を「コロナ」に置き換えてしまえば、もうまるでまったく現在の日本の状況と変わらないのだから驚く。人間というのは歴史に学ぶ学ばないというよりは、もう条件反射のように同じ行動しかとれないのではないのかと思うくらいである。本書における当時のアメリカ政府のそのなりふり構わぬぶりの記述は、昭和の大日本帝国も彷彿させる。そして今の日本のオリンピックをめぐるこの止まらない暴走機関車のような具合を太平洋戦争末期になぞらえる意見が多いのも周知の事実だ。本書は国が不都合を隠し、都合よい解釈を推し進め、国策ファーストで進めたことが感染拡大と市中の混乱につながったことを冷静に指摘している。
 けっきょく当時のアメリカは兵站キャンプでのその人口の過密さや非衛生な環境によって次々と感染を引き起こしている。そしてキャンプに集っていた兵士たちは次々と戦地に輸送され、また新たな集団がキャンプに集められる。第1次世界大戦でのアメリカの死者は12万人弱と言われているが、その半数は戦闘での犠牲ではなく、スペインインフルエンザによるとされている。
 
 
 本書の主題のひとつがこのアメリカの戦争体制によって広がったインフルエンザと感染の犠牲者の話だが、もうひとつは科学者たちの戦いだ。本書の見立ては、もはや人災レベルと言えそうな為政者の愚策と、悪戦苦闘する医者や科学者の構図である。
 
 これも実はあまり知られていない事実で、僕も本書を読むまできちんと理解していなかったのだが、このスペインインフルエンザが最終的に終結した理由はワクチンではない。単に多くの人が罹って集団免疫がついたこととウィルスが弱毒の方向に変異したことが全てだと言われている。つまり自然のお沙汰である。医者や科学者はこのインフルエンザの治療法予防法としてありとあらゆる方法を試したが効果は出なかった。しかしそもそも原因となるウィルスが発見できない。なにしろこのころはまだウィルスと細菌の区別がまだついておらず、抗生物質も存在しないしなかった。したがって現在からみて間違った診断や診療も多かったのである。
 その中でも最大のミスリードが「インフルエンザ桿菌」というものの存在だ。つまり、スペインインフルエンザを引き起こす細菌の存在をめぐっての研究である。
 
 スペインインフルエンザの重症化するメカニズムは、今日ではウィルスが体内(主に肺)に侵入してそこを中心に免疫系を破壊し、肺炎を引き起こす細菌による二次感染にかかったり、その過剰な免疫反応(サイトカインストーム)によるもの(よって免疫機能が活発な元気な若者ほど重症化しやすい)というのがわかっている。しかし、このメカニズムが発見されたのはかなり後のことだった。当時、有能で著名な研究者が、罹患した人の検査でしばしば見つかる細菌の存在を発見し、これをスペインインフルエンザの原因としてしまった。それが「インフルエンザ桿菌」である。
 その後、各研究者の検証実験で、「インフルエンザ桿菌」があっても重症化していなかったり、「インフルエンザ桿菌」がなくても重症化した患者があちこちで発見されたが、現代とちがってナレッジシェアの仕組みも原始的だったからこのミスリードはずいぶん先まで是正されなかった。ウィルスと細菌の区別もはっきりしていない時代なのだから無理もない。
 
 けっきょく、スペインインフルエンザの因果を特定する医学論文が発表されたのは1931年のリチャード・ショーブと、1943年のオズワルド・アベリーによるものであった。ウィルスの分離に初めて成功したのは1933年とされている。それら科学者の奮闘をよそ眼にスペインインフルエンザは変異しながら第2波、第3波と続き、その後途絶え、また局所的にどこかで発生するというのを繰り返している。現在はH1N1型インフルエンザウィルスのひとつになっている。病原体としてゲノム単位から完全に特定されたのは1997年になってからだ。
 ただ、科学者たちの悪戦苦闘が無益なものだったかというとそんなことはなく、その過程で二重らせんの遺伝子学が始まったり、ペニシリンの発見による抗生物質の道が開かれたりもしている。医学の進歩も多数のがれきの中から生まれてくるのだなと感じるばかりだ。
 
 かくもすさまじきスペイン・インフルエンザが発生しておよそ100年。なぜそんなに人々の記録や記憶に残っていないのか。地震や戦争と異なって「街並みの光景がそれほど変わらなかったから」「その後の関東大震災や第二次世界大戦のインパクトで記憶がふっとんだから」「ある日突然ではなくて時間をかけて亡くなった人が増えたから」などいくつか仮説があがっている。ということは現在のこのCOVID19コロナ、世界の歴史を一変させたような一大パンデミックの様相ではあるが、100年後には忘れられてしまっているということもありえるのだろうか。
 

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