中年おじさんの散策part2-3

東京都内・海外の散策を楽しんでいる叔父さん。いろいろなところを散策し記憶として記録しています。よろしかったらご覧ください

散策(案内)85 「東京中心部北 623」 名主の滝公園

2021-04-04 06:35:59 | 東京中心 北

このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。  コロナで記録が停滞し、作成した案内を紹介しています。

現在も参加者募集しています。現地集合ですので関東近郊の方は参加できます。

参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ

 

名主の滝公園

江戸時代の安政年間(1854~1860)に王子村の名主「畑野孫八」が自邸に開いたのが始まりで、“名主の滝”の名前の由来もここから来ました。庭園として整備されたのは、明治の中頃で、垣内徳三郎という人の所有になってからでした。昭和13年には、株式会社精養軒が買収し、食堂やプールなどが作られ公開され続けてきましたが、昭和20年4月の空襲により焼失し、ようやく東京都によって再公開されるようになったのは昭和35年11月でした。

武蔵野台地の突端である王子近辺には滝が多く、かつて「王子七滝」と呼ばれる7つの滝がありました。このうち「名主の滝」だけが現存する唯一の滝となっています。「名主の滝」は、都内でも有数の8メートルの落差を有する男滝(おだき)を中心とする女滝(めだき)独鈷の滝(どっこのたき)湧玉の滝(ゆうぎょくのたき)の4つの滝からなります。

名主の滝公園は、これらの滝とケヤキ・エノキ・シイ、そして100本余りのヤマモミジが植えられた斜面を巧みに利用して自然の風景を取り入れた回遊式庭園です。

※現在は男滝のみ稼働しております。

 

 

20170113 東京北東 
東京都北区岸町
      名主の滝公園
 江戸時代に王子村の名主、畑野孫八が屋敷内に滝を開き、茶を栽培して避暑のために一般に開放したのが始まりで、名前の「名主」はそこに由来する。
明治中期には貿易商垣内徳三郎の所有となり、栃木の塩原の風景を模して庭石を入れ、ヤマモミジなどを植栽、渓流をつくり一般に供した。1938年(昭和13年)には株式会社精養軒が買収し食堂やプールなどを営業していたが、戦災で焼失。その後は荒れ果てていたが、東京都が土地の買収と橋や東屋などの修理を進め、1960年(昭和35年)に都の有料公園として開園した。1975年(昭和50年)には北区に移管された。
園内は回遊式の庭園となっており、男滝(おだき)、女滝(めだき)、独鈷の滝(どっこのたき)、湧玉の滝(ゆうぎょくのたき)の4つの滝が復元されている。これらの滝は地下水をポンプで汲み上げて水を流しており、滝から流れた水は小川となって園内を巡り大小の池に注いでいる。一時、園内に人工飼育し放流されたヘイケボタルが自生していることが確認されていた。夏にはホタルの観察会も催されていたが2011年(平成23年)以降中止となっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼食はレトロな「半平」

...名主の滝公園「散策」-音無清水公園・渓谷・王子神社-「昼食」-飛鳥山公園(庭園・3美術館巡り「飛鳥山博物館」「紙の博物館」「渋沢栄一資料館」)-滝野川公園-平塚神社・平塚邸亭「甘味処」-旧古河邸公園(旧古河邸)-「下町の商店街散策(霜降商店...
中年夫婦の外食 2014/04/24 05:27:00

ratuko00.exblog.jp

 

20161118 東京北 紅葉
東京都北区岸町
      名主の滝公園
 名主の滝公園(なぬしのたきこうえん)は、東京都北区岸町一丁目にある区立公園。
 江戸時代に王子村の名主、畑野孫八が屋敷内に滝を開き、茶を栽培して避暑のために一般に開放したのが始まりで、名前の「名主」はそこに由来する。
 明治中期には貿易商垣内徳三郎の所有となり、栃木の塩原の風景を模して庭石を入れ、ヤマモミジなどを植栽、渓流をつくり一般に供した。1938年(昭和13年)には株式会社精養軒が買収し食堂やプールなどを営業していたが、戦災で焼失。その後は荒れ果てていたが、東京都が土地の買収と橋や東屋などの修理を進め、1960年(昭和35年)に都の有料公園として開園した。1975年(昭和50年)には北区に移管された

 

 

 

第1回ディープな街、赤羽を散策後は、庶民の味方の路地の店「若大将」⑩ 東京散策(路地歩き)夕刻からのお誘い④

...王子のフランス料理店「FURUKAWAYA」でサービスランチコース。...赤羽を散策後は、庶民の味方の路地の店...王子駅から上野駅まで,庭を巡るたび。セブンカルチャー「建築散策と東京散策」① ...
中年夫婦の外食 2017/01/28 04:27:00

ratuko00.exblog.jp

 

20160526 東京北東 史跡・新緑
東京都北区岸町    
      名主の滝公園
 江戸時代に王子村の名主、畑野孫八が屋敷内に滝を開き、茶を栽培して避暑のために一般に開放したのが始まりで、名前の「名主」はそこに由来する。
 明治中期には貿易商垣内徳三郎の所有となり、栃木の塩原の風景を模して庭石を入れ、ヤマモミジなどを植栽、渓流をつくり一般に供した。1938年(昭和13年)には株式会社精養軒が買収し食堂やプールなどを営業していたが、戦災で焼失。その後は荒れ果てていたが、東京都が土地の買収と橋や東屋などの修理を進め、1960年(昭和35年)に都の有料公園として開園した。1975年(昭和50年)には北区に移管された。
 園内は回遊式の庭園となっており、男滝(おだき)、女滝(めだき)、独鈷の滝(どっこのたき)、湧玉の滝(ゆうぎょくのたき)の4つの滝が復元されている。これらの滝は地下水をポンプで汲み上げて水を流しており、滝から流れた水は小川となって園内を巡り大小の池に注いでいる。一時、園内に人工飼育し放流されたヘイケボタルが自生していることが確認されていた。夏にはホタルの観察会も催されていたが2011年(平成23年)以降中止となっている。 

 

 

 

 

 

 

 

20160112 東京北東
東京都北区岸町
      名主の滝公園
 名主の滝公園(なぬしのたきこうえん)は、東京都北区岸町一丁目にある区立公園。
  江戸時代に王子村の名主、畑野孫八が屋敷内に滝を開き、茶を栽培して避暑のために一般に開放したのが始まりで、名前の「名主」はそこに由来する。
 明治中期には貿易商垣内徳三郎の所有となり、栃木の塩原の風景を模して庭石を入れ、ヤマモミジなどを植栽、渓流をつくり一般に供した。1938年(昭和13年)には株式会社精養軒が買収し食堂やプールなどを営業していたが、戦災で焼失。その後は荒れ果てていたが、東京都が土地の買収と橋や東屋などの修理を進め、1960年(昭和35年)に都の有料公園として開園した。1975年(昭和50年)には北区に移管された

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする