このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。 コロナで記録が停滞し、作成した案内を紹介しています。
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パレスサイドビル
パレスサイドビルディングは、東京都千代田区一ツ橋一丁目の竹橋駅前にある高層ビルである。設計は日建設計工務部チーフアーキテクト林昌二、施工は大林組、竹中工務店が手掛けた。毎日新聞社系列の毎日ビルディングが運営している。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
皇居の北の丸濠端に位置し、地上9階と塔屋3階、地下6階建ての建物は、地下2階で東京メトロ東西線竹橋駅に直結し、地上出入口 (1b) も当ビル内にある。
道路と日本橋川にえぐられた細長い敷地であるため、2棟を雁行状に配置し、それぞれの外側端部にエレベーター、トイレ、階段など配した2本の円柱状のコアを設け、屋上にループパークが設けた[1]。1960年代を代表する大規模複合建築であり、日本近代建築の傑作の一つとして数えられ、その後のオフィス建築のプロトタイプとなった。施設の老朽化を踏まえ、1990年(平成2年)から「ビルリフレッシュ5年計画」に基づき、改修が行われた。
毎日新聞東京本社並びに毎日新聞社と資本関係のある企業が多数入居しているほか、地下1階・地上1階に商業施設などが入居する。地下2階から下は駐車場が大部分を占めるが、2003年(平成15年)まで印刷工場(毎日新聞社竹橋工場)があった。
2005年(平成17年)4月1日に、当ビルを管理、運営するパレスサイドビルディングが存続会社となり、毎日新聞社各本社社屋の管理、運営していた毎日大阪会館、毎日西部会館及び毎日名古屋会館を吸収合併した。パレスサイド・ビルディングは毎日ビルディングに改称した。
20180710 東京南 史跡 東京都千代田区一ツ橋 一ツ橋 パレスサイドビルディング 江戸城の北に位置していて、西は清水濠、南は平川濠・大手濠に接している。平川橋も架かっている。かつて町名が神田一ツ橋の時代もあった。小学館およびその関連会社(集英社など)の本社が集中していることから、出版業界ではそれら企業群のことを俗に「一ツ橋グループ」と呼ばれる。 「一ツ橋」の地名は中心部よりやや南を南東から北西へ縦断する日本橋川に架かる一ツ橋(一橋)に由来している。一ツ橋付近はもともと日本橋川と小石川(現在の白山通り)の合流地点であり、合流点を表す「ひとつ」がこの地点に架かる橋の名称、さらにこの付近の地名になった。町名の由来となった一ツ橋は後述の一橋御門の築造以前から存在していたと考えられている。 その1
20140408 東京南・桜
東京都千代田区大手町
一橋徳川家屋敷跡
江戸幕府最後の将軍。水戸藩主徳川斉昭の第七子として生まれ、47年一橋家を継ぎ刑部卿10万石格として一橋屋敷に住す(丸紅本社、気象庁、大手町合同庁舎(一部)付近)
62年将軍家茂の後見、家茂没後、15代将軍に就任。67年大政奉還、江戸城開場後静岡で謹慎。後、許されて東京に戻り公爵。大正2年小石川第六天町の自宅で没。
皇居の北端、平川門交差点の近くに、のち徳川15代将軍となる徳川七郎麻呂が養子に入った一橋徳川家の屋敷があった(徳川七郎麻呂・橋慶喜・徳川慶喜)。碑がある場所には丸紅本社ビルが建っている。
あまり目目立たないので気がつかない人も多い。