先代【柳家小せん】師匠、八十歳過ぎて年間五百席以上高座を務め
(ギネスブック級)客が少なかろうが、笑わなかろうが、
自分が笑って引き込んでしまう噺の達人でした。
テレビ創成期『お笑いタッグマッチ』と言う番組で
【ケメ子】を流行語にして『ケメ子の唄』まで出来ました。
一番の思い出は、常盤台の落語会の帰り…とあるビルから
モウモウの黒煙が「師匠火事ですかネ?」「火事だ119番しろ!!」
との指令が出たので、私が駅前の公衆電話(黄色いやつだったと思います)で
消防車を呼びました。
次の瞬間近くまで様子を見に行った前座さんから衝撃の報告が
「サウナの煙突の煙りでした!」それを聞いた【小せん】師の次の指令は
「逃げろ!!」直ぐに東上線に飛び乗った3人…サイレンの音が
ドンドン大きく近付いてきました…「すいません、火元は我々です」(笑)
亡くなる一年程前、浅草演芸ホールで真っ青な顔で楽屋の壁に寄りか掛かり、
息も絶え絶えの【小せん】師…まわりは「あっ【小せん】師は危ないのかも」の
視線を浴びせてました…すると、やおら一万円札を出したではありませんか
「あの【小せん】師が万札出した!いよいよ駄目か」の視線に
「前座さん両替して来て」凄いぞ師匠!さらに「千円札を十一枚にね」
これが芸人だ、自分もこうなろう!!と誓った日でありました。
いつもニコニコなさってましたが軍隊経験者目は鋭い『能ある鷹』でした。
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