次に訪れた寺は実宰院です、ここは平塚という20戸足らずの小集落の中ほどに寺宰いんという曹洞宗の寺院がある、
この寺は浅井長政の姉昌安見久尼が開基して住んでいた所、小谷城落城の前夜長政は妻市の方と茶々、お初、お江の娘3人を
小谷山から浅井町に逃れさせ、ここでかねてから用意してあった野良着に着替え乞食坂を経て平塚の実宰院に逃れ
昌安見久尼がお市の方と娘たちをかくまったとされている、地元の伝承によれば、お市の方が信長により清州城に連れ戻された後も
3人の娘たちはこの寺にかくまわれ見久尼に養育されたという、信長の残党狩りがこの寺に踏み込んで来た時身長175センチ体重105キロの
大柄な見久尼は2反の生地で作った大法衣の袖の中にすっぽり隠してしまったため3人の娘たちは助かり生き延びることが出来た、
その後母お市の方は柴田勝家と再婚したが勝家とともに亡くなり、全くのみなしごとなった3人娘を命がけで守り立派に育てたのは、見久尼だった、
戦国の乱世の底辺で骨身を削って生きている農民の姿を知らせ又農民と和合させることも大切と考えた、今も「お神酒行事」という川さらえの
作業は見久尼が企画されたと言われている、3人娘は産卵期には川が赤くなるぐらいいた珍魚ハヨリをすくい上げたり、集落の子供たちと
仲よく遊んだと言われている。
この寺には茶々が2~3回ほど母の法要などにおとづれているそうです___住職のお話より