副田本道の「平和維新」

私の夢:「平和維新」を世界の共通語にすること。

戦争で死んだ人の話は聞けない

2009-08-16 09:16:24 | Weblog
入口は阿修羅。一粒万倍日。来訪者様に感謝。
ブログ「東海アマ」の紹介です。管理人様に感謝。

戦争とは何でもあり。無い方がおかしい。
いかにして敵に勝つか。それのみ。
平和時代の正義は、通用しない。
「死ぬか生きるか」 倫理はない。
世界中どこも同じだ。弱肉強食。
倫理や正義は、戦争が終わってから、
生き残った人が、したり顔で話しているだけ。
俺の意見が正しい、と「目糞、鼻糞を笑う」のレベル。

戦争で死んだ人の話は聞けない。

だから、多くの意見を聞いて判断するしかない。
東海アマ様の貴重なご意見も、素直に聞くべきだと、私は感じる。
来訪者様のご意見はいかがでしょう。

紹介はここから。
★ 2009年08月16日日曜日 7時半更新http://www1.odn.ne.jp/cam22440/yoti01.htm
 ● 私@神戸氏による「強制連行はなかった」論のウソが、自分で何一つ調査したり思考したりすることのできない人たちによって広範に盲信されている現状があり、ネットを調査すると若者たちの多くが信奉しているようだ。日本全国に数百の「強制連行犠牲者慰霊碑」が存在する事実を、たぶん知らないし、知ろうともしないし、知るのが怖くて直視もできないのだろう。慰霊碑がたくさん存在することが意味するものを想像することできない愚かさは何だというのだろう?

 筆者は、若い頃から、被害者から当時の実情を直接聞いたり、たくさんの事実を調査してきたので、それが事実であることに対する疑念は皆無であり、虚構と決めつける捏造主義のバカどもに対して、真正面から戦争を行う用意がある。
 ウソだと言いたい連中は、「日本や日本人が、そんな悪いことをするはずはない」と決めつけ、美化したがっているようだが、関東軍731部隊などでは、強制連行どころかナチスも裸足で逃げ出すような残酷な殺人やペスト菌散布などが行われた。日本人が、戦時中に、いったいどれほどの人々を残酷に殺害したと思っているのか?

 こうした事実を直視し、批判しなければ必ず同じことが繰り返される。筆者は日本人に、再び同じ犯罪を起こさせる流れに対して命をかけて抵抗するつもりだ。こうしたウソは絶対に許さない。日本人のやったことは、凄まじい残酷な人間に対する犯罪であり、今、中国政府が行っている法輪功弾圧(無法に拘束し、生きたまま内臓を抜いて売り飛ばし殺害が実に4万人)と同じくらい許されないことだった。

 筆者は、この社会がうまく機能するための最低限必要な条件は、「何をやってよいのか、悪いのか」の倫理的判断基準を、人々がしっかりと共有することだと思っている。
 人間だから失敗は当然であり、たくさんの間違いがある。筆者も愚かな間違いをたくさん積み重ねてきたし、他人に迷惑をかけてきた。しかし、人生の基本倫理を大きく踏み外せば、地獄に堕ちて滅亡するしかない。
 間違いは悟って是正すればよい。筆者は、戦争犯罪の正当化が、これからの社会にどれほど大きな悪影響をもたらすのか、徹底的に明らかにしたい。

 人生の基本倫理とは人情である。人情を基本にして、やってよいこと、悪いことが定まるのだ。みんなが人情にピントが合っていれば、社会は優しく、みんなが楽しく豊かに暮らせるのだ。しかし、人々が人情を見失えば地獄になる。
 「朝鮮人強制連行、慰安婦は存在しなかった」論は、まさに人情の土台を踏み外した愚かな妄想である。こうした傲慢な思いこみは、日本社会を地獄に堕とすものでしかない。真実を知っている我々が命をかけて阻止しなければならないものであり、再び、我々の人間関係に人情のピントを合わせなければ、もはや日本は滅亡しかないのだ。

 人情を見失った社会は滅亡する。人情を見失った人も滅亡する。間違いは気づいたら、明確に反省しなければならない。しかし、責任はとらなければならない。それは、「取らされる」のではなく、自らとるのだ。筆者も、生まれて、この年に至るまでの、すべての行為について責任を自分でとらなければいけない。他人に迷惑をかけたことを、自らの良心が反省し、そのオトシマエを自分でつけることになる。それは病気や事故などの誘因になるのだ。
 人間社会の本質は、本当は霊的であって、霊の本質は、「自分の思ったことが実現する」ということだ。生きた人間にとって「思ったこと」というのは「顕在意識」ではなく「潜在意識」である。人は潜在意識に突き動かされ、心の底にある欲求や良心に導かれて生きている。

 みんなが気づいていないことだが、実は、この世界で起きることのすべてが、潜在意識の欲求に導かれているのだ。事故も天災も社会不安も、ケンカも戦争も、すべてそうだ。例えば、第二次世界大戦の日本の暴走は、虐げられていた女性たちの潜在思念が「こんな日本など自滅してしまえ」と要求したのだ。本人が望むはずのない交通事故でさえ、実は潜在思念の影響から起きるものであり、潜在意識が自分に懲罰を要求しているようなときに、事故に遭うことが多い。潜在意識が望まないことは、決して起きないものなのだ。明るく正しく生きている人に、事故や病気など存在しない。
 良心に反したことをやっていれば、人間の肉体は腫瘍を作り出すともいわれる。ガンは自分の心が産み出すものであり、良心があればこそ、自分に対する懲罰として産み出すともいわれる。良心のない人は、自分に懲罰をすることもなく非常に長生きすることがある。
 筆者も、自らの良心に恥じることをやった事実に対して、自らの良心が懲罰として病気を引き起こすことになる。これをカルマと呼んでいる。
紹介はここまで。