鴨川トレキング 2016.04.12
古来鴨川は氾濫を繰り返す暴れ川として知られていた。これは大都市を流れる河川としては勾配が急であることに加え、
平安京造営時に北山の木が伐採されたこと、市街地の東への拡大にともない河原が市街地化したことなどが原因である。
824年(天長元年)には治水を担当する防鴨河使(ぼうかし)という官職が設けられたが、洪水はやまなかった。
平安末期に権勢をふるった白河法皇は、自らの意に沿わないもの(天下三大不如意)の筆頭に「賀茂の水」を挙げている。
豊臣秀吉の築いた御土居の東部は鴨川に沿っており、堤防としての役割を兼ねていた。
また1670年(寛文10年)には今出川通から五条通までの区間に寛文新堤が設けられ、御土居との間が新たな市街地として開発された
La Vita è Bella - Buon Giorno Principessa
君がため 春の野に出でて 若菜つむ
わが衣手に 雪は降りつつ 光孝天皇
これやこの 行くも帰るも 別れては
知るも知らぬも あふ坂の関 蝉丸
矢坂神社
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