みんながいつも笑顔でありますように

私と家族と脳腫瘍G4の姉と

姉の親孝行

2014-06-30 | 旅立ち

庭に見事なバラがあります。

それは姉が病に倒れた年 

2008年の母の日に

姉が母へ贈ったバラの花

最期になってしまった母の日の贈り物

 

ガーデニングが好きな母は

そのバラを大事に大事に育てました。

今は私の背丈よりも大きくなり

毎年花を咲かせます。

今年も咲きましたら写真を撮りますね。

 

去年の8月

その時は自宅介護でした。

発症して5年目の夏

 

バタバタの毎日

色々な人が助けてくれる毎日

賑やかな毎日

 

元気に母は

介護の合間に

自分の水泳の日課は外さず

運動に介護に元気に過ごしてました

 

2年前と変わらずデイサービスへ行き

週末にかけてショートステイをして

自宅にいる時は昼に夕に介護士さんが来て下さって

母のご飯を食べていた姉ちゃん

 

そっかぁ 去年の今頃は

1階のリビングのソファでいつも座ってたなぁ・・・姉ちゃん

お豆ちゃんがよく姉ちゃんによじ登ったり

顔をペシペシ叩いたり・・・

 

週一回の訪問看護 マッサージの先生

 

でも

その頃から風邪を引きやすく

高熱があっという間に出てしまう体調

ご飯の飲み込みも悪くなってしまって

自宅介護にはかなり限界を感じていた頃

ケアマネージャーさんと先生と色々な方々と

話を詰め相談していた頃

 

トイレへももう行けなくなり 

トイレの補助器具も撤去

でも頑張ってトイレへ連れって行ってくれてたな・・・

感謝

 

それから9月 高熱により入院

自宅介護も難しい事から

自宅近くの病院がしばらく居ていいですよと言ってくれ

それから毎日 毎日通う母

 

その後 姉の状態も安定し

12月頃に特養に入れる事になりました。

 

そうして昨年中には

レンタルしていた介護用ベッドも家からなくなり

 

家の中で使っていた姉の介護用品は

徐々に特養のキレイな部屋へと移っていった。

 

こうして徐々に徐々に

姉の身の回りの物は家からなくなっていき・・・

そして

母の日常も少しずつ変化していった昨年末

 

 

母は水泳に励み

午後は特養へ行く

 

毎日行くから特養へ入った意味がないですよ~

なんて職員さんから言われたり

でも それでも行って

姉の身の回りのお世話をしていた母

 

でも家の中の姉の物は少しずつなくなっていった

 

そして 

今年2月

再び 高熱で入院

 

病院の先生方もその時は

すぐに特養へ帰ろうね と言って下さっていたけれど

なかなか好転せず・・・

 

じゃあ 特養は無理だからと

違う病院を紹介された矢先だったね

 

姉ちゃん

自分の居た痕跡を 

少しずつ 少しずつ 少しずつ

家から消していったね

 

去年の9月まで

お母さんの隣で寝ていたけれど

ずっとリビングのソファに居たけれど

 

腰が痛くない様に たくさんのクッションがあって

 

洗面所には姉ちゃんの洗面用具があったけれど

トイレには補助器具が固定してあったけれど

 

少しずつ少しずつ なくなっていった

 

 

だから 

姉ちゃんは突然逝ってしまったけれど・・・

 

お母さんは

それらの姉ちゃんの物の悲しみの渦に巻き込まれる事は

少しで済んだよ

 

お母さんは

まだスイミングには行けてないけど

人と会う事に苦しんではいるけれど

食べられなくなって すごく痩せちゃったけど

毎日 泣いているけれど

よく眠れてないけど

 

でも 

激しい悲しみの渦からは逃れられたのかな 

と思うんだよ

 

 

これも姉ちゃんの考えてしたことなのかな

って思うんだ

 

ありがとう 姉ちゃん