大震災が発生して・・・
連日、報道される事実と映像に言葉もありません。
とにかくお一人でも多くの命が助かりますように
奇跡がたくさん起きますようにと祈るばかりです
私に出来ることの全てをしたいと思います
微々たる力かもしれないけれど
ニュースでインタビューを受けていらっしゃる方々が口にすること
「命があっただけでも奇跡」
「生かされている命と思ってこれから力強く大切に生きていきます」
うちの姉は余命宣告を受けて病気の怖さとも闘っていますが…
命あることに感謝しなければ
と心の深くから強く感じています
力強く生き抜かなければ
地震が起きた時
我々は主人、お豆ちゃん、母、姉と旅行中でした。
南房総 外房 鴨川におりました。
昨年10月の旅行を姉の緊急入院でキャンセルして やっと実現したのでした。
病気の姉と赤ちゃんがいたので 日程に無理がないようにと
もう既にホテルにチェックインをして、
姉も水着になり温泉プールに入りました。
ここまで回復したことを皆で喜び合っていました。
そして地震発生の2時46分
ホテルの6階の部屋にいました。
そこで震度5の地震にあいました。
両足で踏ん張って立っているのがやっとでした。
とても怖かった
そしてすぐ目の前が海だったので津波の恐怖にさらされました…
私達はすぐ下に降りようと言ったのですが、
東海大地震の訓練を幼少時から常に受けている清水出身の主人が
とにかく高い場所にいないと と そのままそこに留まりました。
その後 30分以内にすぐ下の港から船が続々と出港して行き、
間も無く潮がサーっと引いて行きました。
目に見えて分かりました。
これで津波が来るのかと覚悟をしてじっとしていましたが
鴨川は地形的に東北から続いている海岸線から少し窪んでいた為か、
大規模な津波は避けられ、漁港にも被害はありませんでした。
数十キロ上の旭市の九十九里海岸や銚子では
あまり報道されていないのですが、かなり津波の被害がありました
亡くなった方もいらっしゃいます
その晩は朝まで漁船は沖合に停泊してました。
その日の内に帰るかとも話し合いましたが、
テレビのニュースではその場からあまり動かないように、と言っており
帰路には大規模な火災があった市原の石油コンビナートもあり、
今出た方が混乱するだろうと、その日はそこにいました。
一晩中 余震があり
慣れない場所と言う事もあって不安な一夜を過ごしました。
そして翌日 高速道路も有料道路もすべて閉鎖で
一般道でなんとか家に無事に辿り着きました。
家の中は全ての物がひっくり返っている状態で・・・
でもみんな元気で家も無事です
こんな被害のない我々がこんなにも不安で怖い思いをしたのに…
被災地の皆様の精神状態と体調はいかほどか、と…
少しでも早い救済をと願うばかりしかできない自分の無力さに…
オムツを送って差し上げたい
ミルクも
お母さん達はショックで母乳が止まってしまった方もいらっしゃるという
食べるものがなくて母乳がでないお母さんもいる
一人で家族を捜し歩いている少年がいた
子供たちは体調不良を訴えていて
そんな情報を涙を流しながら見ているしかできない
原子力発電所で働いている方々も
こうして電力を供給して下さってありがとうございます
危ない中の作業に何事もないことを
そして周辺に住む方々の安全が少しでも確保できますように
千葉に嫁いだ友人のご両親が福島県南相馬市にいらっしゃいます
昨日、ガソリンがない中、なんとか行ける所まで行って車を置き、
途中 電車に乗り換えて身一つでこちらへやってきました
家も何もかも津波でながされてしまったそうです
更に、放射能の危険に身を晒されて・・・
とにかく一人でも一家族でも
こちらは月曜にようやく水道の水が泥水から通常の水になりました。
計画停電はあっても電力は有り難い事にまだ供給されています。
でも節電を、と暖房を切り、お豆ちゃんと厚着をして、
待機電力もなるべく減らすべく私達ができる事をしています。
買い溜めもしないようにしています。
関係ないかもしれないけれど
夫も車通勤ではなくて電車とバスで行くようにしています
一滴でも多く灯油 ガソリンが
お水が薬が清潔な衣類が
オムツもミルクも
一個でも多くのおにぎりが
被災地へ多くの物資が届きますように
物資を受け付けている団体がありますね
ネットで検索したら出てきました
自ら動くと何かしらできるのではないか と感じています
現地まで届ける手段、
たとえばガソリンがない
道路が通行止めなどの理由も多々あるようですが
きっと東北の皆様のもとに届くことを信じて
毎日、余震が続いてます。
随分 頻発しています。
だいたい震度3から4位
地震酔いの状態です
できるかぎり
自分のできることをします