みんながいつも笑顔でありますように

私と家族と脳腫瘍G4の姉と

こんにちは 2016年

2016-12-19 | つぶやき

自分のこのブログを開かないまま2年余りが経とうとしました。

始めのうちは思い出を振り返るのが怖かった 悲しかった 辛かった 

あとは、、日々に追われていたのもあります。。。

 

今も見ようと思って見た訳ではなくて

娘の幼稚園関係の手続きをしなくちゃとパソコンをいじりながら

書類をパラパラめくりふと画面に顔を戻すと

この私のブログが開かれていたのでした。

 

すると 

そよかぜさんからコメントを頂き

無限大さんからもコメントを頂いておりました。。

ありがとうございます。

そよかぜさんもお元気でいらっしゃったのですね。

コメントを読ませて頂きほっこり笑顔がこぼれました。

 

無限大さん 息子さん頑張ったんですね・・・。

涙が出ました。

素敵な素晴らしい息子さん。弱音を吐かないその強さは何なのでしょう。

尊敬にしか値しない。

ご冥福をお祈り致します。

無限大さんのお体、お心、少しでも元気になります様に。。。

ご家族の皆さまも

 

 

そして私達も前に進んでいます。

娘お豆ちゃんは年長さん来年は小学生 

下の弟は3歳で来年幼稚園

 

そして 母はなんと実は4度目の癌です。

無事に手術も終わり入院中です。

 

こうして開いたブログもまた何かの縁なのか

また徒然に綴っていこうかな

とふと思いました。

 

私も色々ありました。

特に今年は激動の1年で・・・・

色々あったよ2016年

 

皆さまはいかがでしたでしょうか?


3度目の癌

2014-12-22 | 母の病気

今、子供達が仲良くお母さんと一緒を見ているので

少しパソコンに向かってます。

お豆ちゃんが初めての集団生活で前回の投稿から

またまた更に風邪をこじらせ

滲出性中耳炎とやらになり更に急性中耳炎で夜間救急に行ったり…

子供って色々あるんですね・・・ 大変だぁ・・・

そんな私もしっかりと子供らから風邪が移って

今日は胸部エックス線を撮り

取りあえず異常なく抗生物質で長く続く咳を抑える事に相成りました・・・

 

私の母は手術後2か月がたちました。

胃は全摘出です。

とは言っても「超初期」の結果なんです。

かなり上部に出来過ぎていて超初期の小さな腫瘍にも関わらず

全て取らなければならないという苦渋の選択でしたが

母はそこら辺はもうかなりスパッとしてました。

 

あと数センチ下部にできていたならば

三分の一の摘出で済んだみたいなのですが。

ただ、確実に「癌」と分かっている場所の他に2,3点疑わしき所見があり

それもあって取ってしまった方が良いとの判断でもあったのですが。

結果的に疑わしき所見は「癌」ではなくてただの「炎症」で

病理検査の結果も「超初期のレベルⅠa」という結果でした。

今は抗がん剤も使う事もなく

胃がんに関しては「根治」という言葉を先生より頂いております。

 

ただ母はかなりの癌体質。

それは先生からも言われており、

「次またいつどこかにできるか」 っていう不安は常に付きまといます。

きっと癌をされた方は皆様そう感じてらっしゃいますよね。。。

母の癌はいつも早期発見でした。

乳がんも 大腸がんも そして今回の胃がんも。

「面倒臭いなぁ」 「ねえ、今回これはやらなくていいよね?」

なんて定期検査の度にひとり言の様に言ってるけど

でも最終的には必ず全ての検査をし続けていた結果だと思います。

今回の胃がん発見も定期検査の際に

「胃カメラは苦手だし腫瘍マーカーも異常がないからやらなくていいですよね?」

と担当の先生に聞いたところ

「う~ん、でも去年やってないし、今年はやった方がいいんじゃないですかねぇ」

「えー でもあれ苦手だし・・・やらなくて良いならそれに越した事ないし」

なんて押し問答をゆる~く繰り返した問診だったらしいのですが。

 

でもそれでも胃カメラを飲んだ母でした。

 

あの時に胃カメラを飲んでなかったら・・・

そう思うと怖い。

 

私も面倒臭いと思う検診や人間ドッグはきちんと真面目に受けようと思うのでありました・・・。

 

去年は姉の介護もあったので細かい検査まではしなかった母。

今年 癌になった母。

姉はその前に旅立った。

そこに意味はないんだろうけれど、意味を見つけてしまいそうになる。

 

 

今は母の一番大好きな食べる事が思うようにできなくてそれは少し可哀想です。

でも 「命あってのものだね」 ですよね。

ただ食べる事が思うようにならなくても

元来好きなお料理をするっていう気持ちがなくなっていないので嬉しい。

私や孫たちの為に今もまだ料理の腕をふるってくれます。

今年いっぱいは母の手料理はおあずけかなぁなんて思ってたけど

術後1ヶ月もしない内に作ってくれました (笑)

「多く作り過ぎちゃった」って。

更には術後2週間位で朝のウォーキングも復活!

今もこの寒い早朝にウォーキングしてます。。。

来年の1月4日のジム初日からは

水泳も復活するらしいです・・・。

 

すげぇーよ 母。

 

アタシも頑張らなくちゃ、何かしなくちゃ (焦)


また時間が経っちゃった。色々ありました。

2014-11-22 | つぶやき

気が付けば11月も終わり。。。

早いなぁ。。。

 

その間にもまた色々ありました…。

ふぅ。。。

 

今ひと段落・・・かな。。。。

 

お豆ちゃんが初めての集団生活の冬を迎え

沢山の風邪を貰って帰ってきます。

お豆ちゃん2号はそれを貰ってさらに耳に菌が入って中耳炎になったり

お豆ちゃんはお豆ちゃんで風邪を引き副鼻腔炎になり、治り

胃腸炎になり、治り

そして容連菌になり、治り

その中で私も引っ切り無しに菌を貰いの2ヶ月間でした。

 

そして母が病気になりました。

今は手術も終え退院し、元気に過ごしてます。

 

11月19日

ゴビが亡くなりました。

オーストラリアで生まれて台湾人の友達の目に止まり

でもゴビは一緒にいた夫さんが気になり

飼い主の台湾人の友達は徴兵制度で自分の国に帰り

そのまま気になった夫さんと暮らす事になったゴビ

それから後からやってきた私がゴビに一目惚れ

それから姉の病気がきっかけで

ハルバル遠くオーストラリアから日本にやってきたゴビ

 

オーストラリア生まれ

中国語育ち

日本人の家族

 

日本に来ても英語でも日本語でもなくて中国語で話さなくちゃいけなくて

母は大きな紙に中国語を書いて覚えてたっけね。

 

色々あったね

今頃お姉ちゃんと散歩してるかなぁ。。。

 

 

色々あった2014年

 

ゆっくりまた振り返りますね。

 

何といっても母は自身が3度目の癌でしたから!!

 

癌でも元気になっている人の姿を見てもらいたい。

 

20年前に乳がんになり

8年前に大腸がん

そして今年、胃がんです。

そんな母は元気にしてます。

 

頑張らなくちゃ 

 

ですよね。


夏を終えて

2014-09-01 | 旅立ち

お久しぶりになってしまって申し訳ありません。

それなのに時々のぞいて下さる方がいらっしゃるのですね。

それだけで私の胸はいっぱいです。

本当に感謝です。

ありがとうございます。

 

 

娘の生まれて初めての夏休みが終わりました。

何だか忙しかった。

 

私が住んでいる所はここ1週間ずっと涼しくて

それもあってか

何だか とっても寂しい気持ちです。

夏が終わっちゃったんだな。

 

夏は姉の誕生日もあります。

みんなでお寿司を食べました。

姉の大好物だったお寿司。

 

49日も無事に済みました。

 

新盆も迎えました。

それはそれは美しく飾りました。

こんなに美しい祭壇があるのだろうか

っていう位美しい。

 

姉ちゃん、帰ってきた?見た?

それともまだ姉ちゃんのお骨は家にあるから

まだ私達と生活してる?

 

新しいお墓が出来たよ。

とってもきれいなお墓だよ。

家からも近いからね。

いつでも会えるからね。

あ、お墓にはいないのかな?

そうだよね、世界中飛び回ってた方が面白いよね。

というか・・・

世界中旅行しているって考えさせてね。

旅行好きだった姉ちゃん。

 

新しいお墓に姉ちゃんの名前が刻まれているのを見た時に

涙が溢れてきた。

あ、本当にいなくなっちゃった

 

御先祖様は皆 長生きなのに

100歳 88歳 …

一人 何でそんなに若いの?

 

遠くに住んでいるオーストラリア時代の友達が

お花を贈ってくれました。

こんなにも更新しないブログを時々のぞいてくれていて

それで姉の事を知って贈ってくれたのでした。

母と私は涙が止まりませんでした。

 

とっても見事なお花でした。

49日も新盆も一緒に迎えられたよ。

ありがとう。

本当に本当に感謝してます。


姉の親孝行

2014-06-30 | 旅立ち

庭に見事なバラがあります。

それは姉が病に倒れた年 

2008年の母の日に

姉が母へ贈ったバラの花

最期になってしまった母の日の贈り物

 

ガーデニングが好きな母は

そのバラを大事に大事に育てました。

今は私の背丈よりも大きくなり

毎年花を咲かせます。

今年も咲きましたら写真を撮りますね。

 

去年の8月

その時は自宅介護でした。

発症して5年目の夏

 

バタバタの毎日

色々な人が助けてくれる毎日

賑やかな毎日

 

元気に母は

介護の合間に

自分の水泳の日課は外さず

運動に介護に元気に過ごしてました

 

2年前と変わらずデイサービスへ行き

週末にかけてショートステイをして

自宅にいる時は昼に夕に介護士さんが来て下さって

母のご飯を食べていた姉ちゃん

 

そっかぁ 去年の今頃は

1階のリビングのソファでいつも座ってたなぁ・・・姉ちゃん

お豆ちゃんがよく姉ちゃんによじ登ったり

顔をペシペシ叩いたり・・・

 

週一回の訪問看護 マッサージの先生

 

でも

その頃から風邪を引きやすく

高熱があっという間に出てしまう体調

ご飯の飲み込みも悪くなってしまって

自宅介護にはかなり限界を感じていた頃

ケアマネージャーさんと先生と色々な方々と

話を詰め相談していた頃

 

トイレへももう行けなくなり 

トイレの補助器具も撤去

でも頑張ってトイレへ連れって行ってくれてたな・・・

感謝

 

それから9月 高熱により入院

自宅介護も難しい事から

自宅近くの病院がしばらく居ていいですよと言ってくれ

それから毎日 毎日通う母

 

その後 姉の状態も安定し

12月頃に特養に入れる事になりました。

 

そうして昨年中には

レンタルしていた介護用ベッドも家からなくなり

 

家の中で使っていた姉の介護用品は

徐々に特養のキレイな部屋へと移っていった。

 

こうして徐々に徐々に

姉の身の回りの物は家からなくなっていき・・・

そして

母の日常も少しずつ変化していった昨年末

 

 

母は水泳に励み

午後は特養へ行く

 

毎日行くから特養へ入った意味がないですよ~

なんて職員さんから言われたり

でも それでも行って

姉の身の回りのお世話をしていた母

 

でも家の中の姉の物は少しずつなくなっていった

 

そして 

今年2月

再び 高熱で入院

 

病院の先生方もその時は

すぐに特養へ帰ろうね と言って下さっていたけれど

なかなか好転せず・・・

 

じゃあ 特養は無理だからと

違う病院を紹介された矢先だったね

 

姉ちゃん

自分の居た痕跡を 

少しずつ 少しずつ 少しずつ

家から消していったね

 

去年の9月まで

お母さんの隣で寝ていたけれど

ずっとリビングのソファに居たけれど

 

腰が痛くない様に たくさんのクッションがあって

 

洗面所には姉ちゃんの洗面用具があったけれど

トイレには補助器具が固定してあったけれど

 

少しずつ少しずつ なくなっていった

 

 

だから 

姉ちゃんは突然逝ってしまったけれど・・・

 

お母さんは

それらの姉ちゃんの物の悲しみの渦に巻き込まれる事は

少しで済んだよ

 

お母さんは

まだスイミングには行けてないけど

人と会う事に苦しんではいるけれど

食べられなくなって すごく痩せちゃったけど

毎日 泣いているけれど

よく眠れてないけど

 

でも 

激しい悲しみの渦からは逃れられたのかな 

と思うんだよ

 

 

これも姉ちゃんの考えてしたことなのかな

って思うんだ

 

ありがとう 姉ちゃん