このあいだ大阪で虐待死した幼女が、亡くなる直前に、うわごとを言っていたらしい。
その内容が、
「ヒマワリを探してるの」
というようなものだった。そうして間もなく、ベランダに放置されたまま息を引き取ってしまった。
報道でこれを知って絶句し、おもわず涙が出た。
夢や意識のシンボルについて、ヒマワリのもつ重要な「意味」について、ここではながながと書かない。わたしは彼女のことを知らないし、一回かぎりの独自の生について、教科書どおりの概念から光りを当ててみたところで、どうせ間違いだらけの話しかできないだろう。だからここでは、この言葉から誰もが普通に感じ得ることだけを書こうと思う。
彼女はその瞬間、ヒマワリを喪失していたらしい。
すぐそばにお母さんがいるのに? お母さんのところには、ヒマワリはなかったのだろうか。
彼女は闇のなかで手探りにするように、探していたのかもしれない。
子供の心のなかに、いつも宿っているはずのヒマワリを。
最後の最後に、言葉によってお母さんに告げなくてはいけなかったということに、深い悲しみをおぼえる。
とても子供らしくて、とても悲しい遺言。
かわいそうな事件ですね。ヒマワリが聖香ちゃんにとって何なのかは永遠に分かりませんが、ヒマワリがイメージする何かが、彼女のところになかったと知っただけで、とても異様なものを感じます。ヒマワリはとても子供らしい花ですからね。
もちろん、取るに足りないものであった可能性だってあるわけですが、ふつう子供にとって、それは暖かいものであり、太陽のようなものであり、楽しい、明るいものであるはずです(心がよっぽど曲がっていないかぎり)。
こういう悲しい事件が現代になって増えてきたのか、あるいは、もともとたくさんあったものが近年になって発見されるようになったのかは分かりませんが、お母さんのなかで何が起きていたのかを、実力のあるお医者さんが、きっちり分析して研究しておくべきだという気がします。誰だって鬼畜になる要素は持っているし、ダークな部分、悶々とした部分、いろいろ持っていますから、あの母親を理解することは自分を理解するのに役立つのではないかと思っています。もちろん、今後こういう事件を起こさないためにも。
直感ですがひまわりは「優しかったころのお母さん」ではないのかな。と思いました。
離婚する前、聖香さんと一緒に微笑んでいた写真の中の母親は、ごく普通の暖かいお母さんという印象でした。
朦朧とする意識の中で「ひまわり」を探していたことに涙が出ます。お母さん・・・元に戻ってほしかった。