娘さんが女へと変わっていく、その精妙なようす。透明な季節の光や風を食べながら、緑の樹々がすこしずつ色づいていくように、葉をおとした幹がゆたかに成熟していくように、あたらしい若芽が雨をたくさん味わうように、その微細な変化のようすは詩のように美しい。
風を味わう樹木の声に耳をすますように、その成熟のようすをみることはできるだろうか。いま味わっているその小さなちいさな味そのものが、そして、その味わいがもたらす日々の変化とその道すじ、そのものが美しいのだということを、はじめから伝える手だてがあったらいいのに。そうすれば彼女たちはもっと幸福になれるのかもしれない。
鬼束ちひろさんの「Sweet Rosemary」を聴きながら、そんなことをかんがえていた。瑞々しい若草の匂いをはこぶ、風のような歌。いつのまに彼女の色あいは、こんなに変わったのだろう。あの娘さんの姿はもうそこにはなくて、ハンドバッグのなかにしまいこまれた旅のノートに、たいせつに書かれた言葉のようにそれは響く。
人生は長いのだろう
あなたのことも、思いだすのだろう
ときには、にじむ日々を越えていく
ときには、雨が洗うのを待つ
遠く、とおくで声が聴こえれば
迷わずに抱きあえるように
ひたいに見えない傷のしるしを宿しながら、清冽な水のながれに、そっとさらされた素足。
*写真はアルバム『LAS VEGAS』ジャケット
風吹き渡るさつきなりけり。
難解な言い回しもできるだけ少なくされているようにも思いました。
「Sweet Rosemary」は素晴らしいと思いました。
それからよく聴くのは「バラ色の日々」です。これはもうずいぶん以前にできていた歌だそうですが、このタイミングで出たおかげで、悲惨さがなくなって、むしろ希望の色あいが濃くて、まったく違って聴こえますね。正直できれいな歌ですね。
これからの鬼束さんは、希望のある明るい歌のほうが、かえってすごい才能をみせてくれそうだなと、これを聴いて感じましたよ。たとえば単純な料理やワインの歌なんかをつくったとしても、あの透明感のある声と繊細な歌詞で、素晴らしい仕事をやってくれそうです。これからが楽しみですね。
ある意味彼女は、矢野さんみたいな突き抜け方をしたほうがいいのでしょうね(笑)。
矢野さんの今月出たアルバムも素晴らしいです。わたしがはじめて生で聴いた歌小屋ライブの一曲目が「たからもの」という歌だったことをはじめて知りましたよ。矢野さんもいい歌をたくさん書きますねえ。
そういえば鬼束さんも矢野さんも、いつだったか「やられたら、やり返す」という言葉を使ったことがありますが、これはいかにも傷つきやすい小娘が言いそうな台詞ですよね。ふたりとも女になりました。