三酔人の独り言

ルポライター・星徹のブログです。歴史認識と国内政治に関わる問題を中心に。他のテーマについても。

誰によるマインドコントロールが最も危険か?

2014-03-02 18:07:33 | 国内政治
「マインドコントロールから抜け出して、必要なものはしっかりと子どものために書き換えていく必要がある」

 安倍晋三首相は2014.2.20の衆院予算委員会で、戦後教育体制への強い不信感をにじませてそう語った。

  *「朝日新聞」2014.3.2(朝刊)「政権 宿願へ着々 首相、戦後教育に不信感」参照

 こういった安倍首相の価値観・思いに基づき、教科書をはじめとする日本の教育のあり方が、いま大きく変えられようとしている。

 *当ブログ2014.1.11「中高教科書 領土問題で政府の宣伝物へ?」など参照

 「私の考え・価値観は、マインドコントロールされて形成されたものだ」と言う人は、ほとんどいない。また、「私の言動は相手をマインドコントロールするものだ」と言う人も、滅多にいないだろう。

 大方の人は、「私は正常だ」「私に悪意はない」と考え、またそのように主張する。しかし、そう主張したところで、その当否を判断するのは相手方なのだ。重要なのは、各人の「思い」ではなく、外形的事実だ。

 マインドコントロールとは何か? 簡単に言えば、「強制によらず、さも自分の意思で選択したかのように、あらかじめ決められた結論へと誘導する技術のこと」(*「ウィキペディア」参照)だろう。

 エセ宗教家や結婚詐欺師が人々に対して駆使するマインドコントロールも、大きな社会問題だ。しかし、最も重大かつ危険なマインドコントロールは何かと言えば、「国家によるもの」ではないか。国家は国民に対して一定の「強制力」を持つ故(ゆえ)、私たちは国家に対して、さらに「洗脳」の危険性も併せて考慮しなければならない。

 そう考えて、安倍首相の「マインドコントロール」発言に戻れば、「最も注意すべきは、あなたが主導する政治によるマインドコントロール(又は洗脳)でしょ!」という思いが強くなってくる。

 安倍首相はかつて、「日本を取り戻す」というスローガンを連発していた。何を取り戻すのか? これまでの言動を総合すれば、政治(行政・立法)・教育・言論・報道などについて、「戦前日本のあり方を取り戻す」という「思い」が見えてくる。

 「1945年に終わった日本による侵略戦争と植民地支配の歴史」を美化・正当化し、そういった価値観に基づく教科書・教育を、「政府の宣伝物」化によって成し遂げようとしているのではないか?

 近現代立憲主義など民主主義の積み重ねの成果を軽視し、「政治」力でこれをねじ伏せようとしているのではないか?

 公共放送であるNHKの幹部(経営委員・会長)人事を私物化し、政府にとって都合の良いメディアに変えようとしているのではないか?・・・

「歴史の事実」とデモクラシー(立憲主義など)の成果の積み重ねを否定し、又は自身に都合よく解釈し、高い支持率をバックに政治力で強行突破しようとしているようだ。

 こう見てくると、麻生太郎副総理(兼財務相)による昨年7月の「ナチス=ドイツの手口を学んだらどうかね」(要旨)発言は、笑いごとでは済まされず、現実味を帯びてきたように見える。

 「ナチス=ドイツの手口」とは、「民主的」と高く評価されていたワイマール憲法を、正式の改定手続きによらずに全権委任法を制定することで無力化した、という手口だ。

 当ブログ2013.12.7「特定秘密保護法が成立 これからが問題だ」

 安倍首相らが現在画策中の「憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認」のやり口は、人類がこれまで積み重ねてきたデモクラシーの成果を「政治力」で強引にねじ伏せようとするものだ。このことは、「ナチスのやり口」を十分に想起させるものだ(*ナチスの場合は、暴力性も併せ持ったが)。

 日本の政治は、かなり危ういところまで来ている。そういった現状認識こそが、まずは必要なのだ思う。

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