安倍晋三元首相は、2022.7.8、参院選の応援演説中に暴漢に銃撃され、死亡した。暴力による殺傷は、決して許されない行為だ。安倍氏がこうした形で殺害されたことを、残念に思う。
安倍氏が死去して以降、巷(ちまた)では、「安倍氏礼賛(らいさん)」の言葉で溢れている。個々の政策や実績を冷静に検証した上での「礼賛」なら、まだ分かる。だが、情緒先行の礼賛であれば、薄気味わるい。
日本社会では特に、「死者を鞭打つな」的な風潮が、根強くある。そのため、「事実を歪(ゆが)めて死者を美化する」傾向が顕著だ。一般人に対してなら、まだ分かる。だが、公人、特に政治家に対するそうした姿勢は、「悪しき伝統」だと思う。日本の民主主義にとって、悪弊だ。
岸田文雄首相は先日、「故安倍氏の国葬を行なう」旨を発表した。
「安倍政治」を冷静に検証する間もなく、「安倍国葬」か? 国民の情緒が盛り上がっているうちに、思考停止のうちに、国葬なのか? 国民を馬鹿にするにも、程(ほど)がある。
安倍氏は、長く首相の座にあった。「長さ」ゆえに、「悪さ」が増長されたという面も、確かにある。
「安倍政治」に於ける最大の害悪は、国家の根幹たる立憲民主主義を骨抜きにした、ということだ。
特に、立憲主義を破壊した責任は、甚大だ。
安倍政権は、2014年7月1日、〈集団的自衛権の行使を一部容認する〉旨を含む閣議決定を、強行した。これは、個別的自衛権と集団的自衛権を意図的に混同させる、「目くらましの閣議決定」だった。要するに、〈集団的自衛権の行使を一部容認する〉立法への、序章だった。
翌年、この閣議決定に基づき、「安保関連法」が、「数の力」で強引に成立させられた。
立憲主義の根本にある憲法(特に9条)と、「積み上げられた憲法解釈」を、無理筋でねじ曲げたのだ。憲法を真っ当にどう「解釈」しても、「集団的自衛権行使の一部容認」など、認められるはずがない。「違憲の立法」としか、言いようがない。
それにもかかわらず、安倍政権は、立憲主義を骨抜きにし、無理やり立法した。
「集団的自衛権の行使を認めさせたい」「自衛隊を軍隊に改変したい」という安倍氏の思いは、一応は「理解」できる。だが、そうであるなら、立憲民主主義のルールに則(のっと)り、正規ルートで憲法改正を追求すればよかった、と思う。
もちろん、反対勢力は、「安倍改憲」の動きに対し、「反対」を必死に訴えただろう。
だが、安倍氏はそうはせず、姑息にも「立憲主義の骨抜き」に邁進した。国家存立の土台を、政治の最高権力者が、突き崩してしまったのだ。
〔*以上に関して、もちろん、「民主主義への冒涜」も大いに絡んでいる〕
他方で、民主主義の面でも、安倍氏は国民を欺き、国の威信を大きく傷つけた。
森友問題・加計問題・桜を見る会問題等で、安倍首相(当時)は、真摯な説明から逃げまくった。一貫して、国民への説明責任を果たさなかった。
桜を見る会問題では、〈国会で100回以上の虚偽答弁を繰り返した〉との疑いが、濃厚になった。
政治の最高権力者が、民主主義を嘲笑い、無視し、事実を誤魔化し続けた。政治権力があるからこそ、そうした姑息で傲慢な行為が、可能だったのだろう。まさに、「民主主義への冒涜」と言わざるを得ない。
このように、立憲民主主義を愚弄し、破壊し続けたのが、安倍晋三氏だ。
外交に於ける安倍首相(当時)の「低劣ぶり」については、以下を参照されたい。
当ブログ2022.3.27《シンゾーの素人「内交」がプーチンを増長させた》
以上のことから、「安倍氏は、歴代首相の中で、最低最悪レベルだった」と、言わざるを得ない。これは、印象論ではない。事実に基づいている。
やはり、私は声を大にして、「安倍国葬には絶対に反対」と言いたい。
安倍氏が死去して以降、巷(ちまた)では、「安倍氏礼賛(らいさん)」の言葉で溢れている。個々の政策や実績を冷静に検証した上での「礼賛」なら、まだ分かる。だが、情緒先行の礼賛であれば、薄気味わるい。
日本社会では特に、「死者を鞭打つな」的な風潮が、根強くある。そのため、「事実を歪(ゆが)めて死者を美化する」傾向が顕著だ。一般人に対してなら、まだ分かる。だが、公人、特に政治家に対するそうした姿勢は、「悪しき伝統」だと思う。日本の民主主義にとって、悪弊だ。
岸田文雄首相は先日、「故安倍氏の国葬を行なう」旨を発表した。
「安倍政治」を冷静に検証する間もなく、「安倍国葬」か? 国民の情緒が盛り上がっているうちに、思考停止のうちに、国葬なのか? 国民を馬鹿にするにも、程(ほど)がある。
安倍氏は、長く首相の座にあった。「長さ」ゆえに、「悪さ」が増長されたという面も、確かにある。
「安倍政治」に於ける最大の害悪は、国家の根幹たる立憲民主主義を骨抜きにした、ということだ。
特に、立憲主義を破壊した責任は、甚大だ。
安倍政権は、2014年7月1日、〈集団的自衛権の行使を一部容認する〉旨を含む閣議決定を、強行した。これは、個別的自衛権と集団的自衛権を意図的に混同させる、「目くらましの閣議決定」だった。要するに、〈集団的自衛権の行使を一部容認する〉立法への、序章だった。
翌年、この閣議決定に基づき、「安保関連法」が、「数の力」で強引に成立させられた。
立憲主義の根本にある憲法(特に9条)と、「積み上げられた憲法解釈」を、無理筋でねじ曲げたのだ。憲法を真っ当にどう「解釈」しても、「集団的自衛権行使の一部容認」など、認められるはずがない。「違憲の立法」としか、言いようがない。
それにもかかわらず、安倍政権は、立憲主義を骨抜きにし、無理やり立法した。
「集団的自衛権の行使を認めさせたい」「自衛隊を軍隊に改変したい」という安倍氏の思いは、一応は「理解」できる。だが、そうであるなら、立憲民主主義のルールに則(のっと)り、正規ルートで憲法改正を追求すればよかった、と思う。
もちろん、反対勢力は、「安倍改憲」の動きに対し、「反対」を必死に訴えただろう。
だが、安倍氏はそうはせず、姑息にも「立憲主義の骨抜き」に邁進した。国家存立の土台を、政治の最高権力者が、突き崩してしまったのだ。
〔*以上に関して、もちろん、「民主主義への冒涜」も大いに絡んでいる〕
他方で、民主主義の面でも、安倍氏は国民を欺き、国の威信を大きく傷つけた。
森友問題・加計問題・桜を見る会問題等で、安倍首相(当時)は、真摯な説明から逃げまくった。一貫して、国民への説明責任を果たさなかった。
桜を見る会問題では、〈国会で100回以上の虚偽答弁を繰り返した〉との疑いが、濃厚になった。
政治の最高権力者が、民主主義を嘲笑い、無視し、事実を誤魔化し続けた。政治権力があるからこそ、そうした姑息で傲慢な行為が、可能だったのだろう。まさに、「民主主義への冒涜」と言わざるを得ない。
このように、立憲民主主義を愚弄し、破壊し続けたのが、安倍晋三氏だ。
外交に於ける安倍首相(当時)の「低劣ぶり」については、以下を参照されたい。
当ブログ2022.3.27《シンゾーの素人「内交」がプーチンを増長させた》
以上のことから、「安倍氏は、歴代首相の中で、最低最悪レベルだった」と、言わざるを得ない。これは、印象論ではない。事実に基づいている。
やはり、私は声を大にして、「安倍国葬には絶対に反対」と言いたい。