三酔人の独り言

ルポライター・星徹のブログです。歴史認識と国内政治に関わる問題を中心に。他のテーマについても。

米国の「9・11」後とイスラエル

2024-05-10 10:37:08 | 国際政治
 イスラエルは昨年10月7日にパレスチナ自治区ガザ地区のイスラム組織ハマスなどから襲撃を受け、約1200人が殺害され〔*軍人や「イスラエル軍の攻撃による被害者」を含む〕、200人以上の人質を取られた〔*当初。その後、約半数は解放〕。イスラエルはこの襲撃を受け、ガザ地区に対し無差別に近い形で軍事攻撃を行ない、多くのパレスチナ人を殺害している〔*2024年5月9日現在、昨年10月7日以降の遺体確認死者数は約3万4900人〕。このうち、約7割が女性や子どもだという。

 米国は当初から、「イスラエルには自衛権がある」として、イスラエルへの多額の資金と大量の武器・弾薬を援助し続けている。また、国連安保理で「ガザ地区での人道的停戦」決議に対し拒否権を行使し続けてきた。

 米国は他方で、国内外からの批判の高まりを意識してか〔*最大の関心事は今年11月の大統領選挙〕、「ガザ地区内の市民の犠牲者が多すぎる」「やり過ぎだ」という旨の「苦言」を呈し続けている〔A〕。また今年5月に入ると、米政府は「(ガザ地区最南部で避難民を含めて120万人以上が集まる)ラファへの大規模な軍事作戦は支持しない」として、弾薬の一部を輸出停止し始めている。

 イスラエルのネタニヤフ首相は〔*数か月前だったと思うが〕、米政府からの上記Aのような苦言・批判に対し、「我々は米国が(2001年9月11日以降に)行なった『対テロ戦争』と同じことをやっているに過ぎない」「米国には我々を批判する資格はない」という旨の反論をしていた〔*記憶によるので、個々の表現は正確ではない。大意〕。

 確かに、米国の批判に対しては、小学生でも「どの口が言うんだ」と言い返すことはできるだろう。だが、それは米国に対する反発・反論としては一定の効果があったとしても、「イスラエルの行為」を何も正当化できていない。

 総体として捉えると、2001年9月11日以降に米国が主導した「対テロ戦争」の枠組み・あり方が「世界のスタンダードになった」との認識自体に、問題の根源があるのではないか。

 2001年といえば、もう23年も前のことだ。米国は「9・11」を実行したとみなすアルカイダの首謀者らをアフガニスタンが匿っているとして、同年から同国に対し「個別的自衛権の行使」を根拠として、一般市民を巻き込む形で苛烈な軍事攻撃を開始した。

 また2003年からは、「9・11」との関連は不明としながらも、「悪の枢軸」の一角のイラクが「大量破壊兵器を保有している」として〔*後にこの主張は嘘・誤りであることが明らかになった〕、「先制的自衛権の行使」なる理屈の下で同国に対しても苛烈な軍事攻撃を開始した。一部の「友好国」も有志連合として戦闘に参加した。日本の自衛隊は直接の戦闘には参加しないが、武器・弾薬や兵員の輸送などで協力した。

 米軍はこの対アフガニスタン・対イラクの戦争を「対テロ戦争」「正義の戦争」などと正当化したが、アフガニスタンとイラクの一般市民を含む多数の死傷者を出すことになった。

 最近、藤原帰一著『デモクラシーの帝国──アメリカ・戦争・現代世界──』(岩波新書・2002年9月)を再読した。というか、三読目だ。初めて読んだ2002年当時の興奮〔*漠然と感じていたことを論理的に吸収できたことなど〕を忘れられない。今回の読書で再認識できたのは、米国の奢(おご)りが同国の「お友達」たるイスラエル対し、以前から行なっていた国際法違反の不正義を「もっと大胆にやってもいいんだ」とのメッセージとして伝わった、ということだ。

 特に、第4章「正義の戦争」を読んで、米国の2001年「9・11」後の罪深さを再認識すると共に、イスラエルがパレスチナ自治区に於いて〔*特にガザ地区だが、ヨルダン川西岸地区に於いても〕現在も行なっている国際法無視の虐殺・弾圧等との繋がりを再認識できた。

 藤原氏はここで、「9・11」後の米国の姿について次のように述べている。

 米ブッシュ(子)大統領は、
〈ほとんど神がかりのような悪に対する正義の戦いを、すべての国民に向けて呼びかけたのである。
 一〇月に入ってアフガニスタンへの空爆がはじまった後も、「絶対悪」と戦う時にはどのような手段が合理的なのか、また倫理的に許されるのか、そんな議論は、少なくともアメリカのなかでは、ほとんど見られなかった。絶対悪に対する自衛のためには手段を選んではいけないかのような、アメリカ国民の瞳に星条旗ばかりが輝く時代になった。〉(P125)

〈戦時国際法によって当然に認められる地位や権利保障も、その「絶対悪」と目されたアルカイダ組織やタリバン政権の「捕虜」に対しては、ほとんど認められていない〉(同)

〈相手からすべてを奪うことも辞さない、あたかも宗教戦争の時代に逆戻りするかのような殲滅戦を展開した〉(P126)

〈ブッシュ大統領は、これは自衛戦争なのだから国連の承認は必要ないと主張し、軍事行動の承認も国連に求めなかった。〉(P126-127)
 *「これ」=「アフガニスタンへの軍事攻撃」

 藤原氏はまた、2002年2月に米国の代表的な知識人や学者ら60人が発表した「アフガン空爆を支持する」声明を紹介した上で、「正義のための戦争」論・正戦論〔*当時のブッシュ(子)政権は、上記のとおり、この政策に基づいて行動した〕について、次のように述べている。

〈一般市民が戦争の巻き添えとなることもやむを得ないことになるだろう。〉(P133)

〈正戦論の背景には、ホロコーストの記憶があった。〉(P134)

〈ホロコーストの教訓は戦争に立ち上がらない不正を糾弾したのである。〉(同)

〈絶対悪に対抗するときには、手段を選ぶ余地はない。そうしたホロコーストの教訓は……〉(同)

〈何が「正義」にあたるのかという定義も、また「正義」を実現する手段には何が許されるのかという判断も、ともに国際協議や国際機構の決定から外されてしまった〉(P136)

 現在、イスラエルはガザ地区に於いて、20年以上前に米国が取り憑かれたように強行した「テロとの戦争+イラク戦争」の「正戦論」を再現するかのように、いや、より濃密度を増して行なっているのではないか〔*以前からこれに類することを行なっているのだが〕。

 私たちは、この現実をしっかりと認識し、今後どうあるべきかを考える必要がある。
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