三酔人の独り言

ルポライター・星徹のブログです。歴史認識と国内政治に関わる問題を中心に。他のテーマについても。

樋口陽一&小林節『「憲法改正」の真実』から学ぶ

2016-04-30 10:43:51 | 憲法
 樋口陽一東京大学名誉教授(憲法学)と小林節慶應義塾大学名誉教授(同)の対談共著『「憲法改正」の真実』(集英社新書/2016.3.22発行)を読んだ。両者とも憲法学の重鎮と目され、数年前まで「護憲派の樋口」「改憲派の小林」などと対立的に述べられてきた。しかし、ここ数年の安倍晋三内閣を中心とする安倍政治による憲法骨抜き・立憲主義無視の状況下で、「まずは憲法・立憲主義に基づいた政治を取り戻す」ことで共闘する動きが急速に進んだ。現在の最大の問題は壊憲(かいけん)、との認識だ。

 以下、本書から特に重要と思われる個所を私の独断で引用しつつ、感想めいたことも記したい。

 *本書からの引用は≪   ≫内。「・・・」は略を表す。[   ]内は引用者(星徹)が補った。

(1)対抗軸は「護憲か改憲か」ではなく「立憲主義か壊憲か」
小林≪・・・憲法を破壊しようとする権力に対しては、護憲派も改憲派もその違いを乗り越えて、闘わなくてはなりません。≫(P6)

樋口≪おっしゃるとおりです。・・・≫(同)

小林≪・・・憲法が破壊された国家で、静かに独裁政治がはじまりつつある体制下に私たちは生きている。・・・≫(P6-7)

【感想】
 共著者2人と同じように考える憲法研究者は多いだろう。対抗軸は「護憲か改憲か」ではなく、「立憲主義か壊憲か」ということだ。国民の中にこういった理性的で物事の本質を突いた思考が一定以上あるならば、安倍政治を支持する割合はもっと少なくなっているはずだ。残念ながら、それが不十分なのが現状だ。

(2)立憲主義と民主主義の関係
樋口≪世界的な流れで見て言うと、<民主>だけで進んでいっても、全体主義に転化したり、独裁を招いてしまう。・・・

 もちろん、もっぱら立憲主義だけでも国民不在になってしまいますので、実際には、<民主>と<立憲>のあいだで、その中間にどうバランスをとるかが大事です。≫(P42-43)

樋口≪[第2次世界大戦後に作られた西ドイツの憲法は、]言論・思想や結社の自由に関しても、憲法秩序に反するものは禁止するという考え方です。これは、ナチズムの再登場を防ぐためとも説明されたものです。ワイマール憲法には憲法自身を否定する勢力を封じるという規定がなく、ヒトラーにまで、十分な言論と活動の自由を与えてしまった。だから、今度は、そんな野放図なことはしないのだという対応が出てきたわけです。≫(P91-92)

【感想】
 究極に於いては、あるいは最終的には、立憲主義と民主主義は重なる部分が多い、と思う。民主主義の内容面での目標は「人々の幸福を増進し、不幸な人を極力減らし、社会・国家の安定をはかる」ということだろう。そして、立憲主義はこの「内容面の民主主義」を増進・維持させるための手段という面が大きい、と思うからだ。しかしながら、民主主義には「形式面の民主主義」という側面もあり、有権者や議員の(一時的な)「数の力」で立憲主義もしくは「内容面の民主主義」を組み伏せる、という危険性も内在する。

 民主主義が成熟し高度化した暁には立憲主義と両立し、お互いを高め合う状態になりうるはずだが、そこに至る過程においては、立憲主義と民主主義はしばしば衝突し、相矛盾することもある、ということだ。

 1930年前後のワイマール憲法下のドイツでは、民主主義が未成熟な状況下で「数の民主主義」に身を任せたことも大きな要因となり、ヒトラー率いるナチスに国を乗っ取られ、後戻りできない独裁体制を許してしまった。

 日本の現在は「1930年前後のドイツ」の危険性を秘めている、と私は思う。首相・内閣の力が増大し、国会はチェック機能を十分には果たさず、司法は「高度な政治性を帯びた国家行為に関する判断を避ける」(統治行為論)のが常だ。結局、「数の力」を背景にして、内閣は憲法・立憲主義を無視してでも好き放題にでき得る、という危険な状況になりつつあるのだ。ただ、現段階ではまだ、私たちは選挙でこの危険な政治状況を変えうる。それだけが救いなのだ。下記も参照されたい。

 当ブログ2015.10.15「「ナチスの手口」と「安倍政治の手口」」

 当ブログ2015.10.22「「ナチスの手口」と「安倍政治の手口」 その2」

(3)憲法に緊急事態条項を入れるか否か
小林≪国家緊急権それ自体は重要な概念です。必要ないとは言い切れない。・・・しかしながら、緊急事態条項を憲法に書きこむことについては、反対の立場をとるようになりました。

 国家緊急権が必要だとしても、憲法に書きこむのか、そうでないのか。それがこの問題の一番のポイントだと思うのです。≫(P107-108)

樋口≪日本について私自身の立場を言えば、国家緊急権を憲法化することについては一貫して反対です。憲法で国民の自由を保障し、緊急時の対応を定めた法律による自由の制限が例外的にありうる、という大きな枠組みを維持すべきです。憲法自身に国家緊急権を書きこむと、原則と例外が対等に並ぶことになってしまうでしょう。≫(P110)

樋口≪・・・テロなど国内で起きた暴力について対応するには、警察法の「第六章 緊急事態の特別措置(第七十一条~第七十五条)」がすでにあります。外国からの攻撃については、武力攻撃事態国民保護法が二〇〇四年に施行されています。これらの法律の内容をそれぞれ批判的に吟味しておくという課題はそれとして重要ですが、新しい種類のテロという危機に対応したいのなら、これらの法律の内容を見直せば良い。≫(P112)

小林≪・・・すでに現行憲法のもとでも、「公共の福祉」が人権に優先する例外的な場合があるという規定(十二条、十三条)を根拠にして、危機的な状況に対応する法律的な枠組みは整備されているということ。・・・≫(P113)

小林≪・・・この緊急事態条項について・・・「お試し改憲」だと世間は思っているでしょう。しかし、それはちょっと違う。これこそが、「本丸」なのではないでしょうか。・・・「永遠の緊急事態」を演出し、憲法を停止状態にすることができる。≫(P121)

樋口≪そもそも国家緊急権という考え方が、立憲主義との非常に厳しい緊張関係にあるということです。へたをすれば、この条項はナチスを台頭させたワイマール憲法の二の舞を引き起こします。≫(P122)

樋口≪・・・歴史上の一番の教訓は、ワイマール憲法四十八条の大統領緊急令でしょう。世界恐慌などの危機に際して、大統領が緊急令を乱発し、議会の軽視が常態化した。議会など意味がない、という雰囲気のなかで内閣を立法者とする全権委任法に行き着いてしまった。・・・≫(同)

*長谷部恭男氏(早稲田大学教授/憲法学)によるこの件での「裁判所による監視と抑制の仕組みの必要性」の言説を紹介した上で→

樋口≪もし司法が力をもたない状態のまま、緊急事態条項を導入するとしたら、恐ろしいことに誰も肥大化した行政をチェックできない。≫(P125)

小林≪アメリカにも国家緊急権はありますが、やはり司法が強いんですよね。・・・≫(同)

【感想】
 要するに、何ゆえに緊急事態条項を憲法化する必要があるのか、分からないのだ。「念のために」という理屈は、政治権力側の都合であり、負の側面を考え合わせれば「却下!」と言うしかない。

 樋口氏も小林氏も述べるように、確かに緊急事態に対応する法制化やその見直しは必要だが、それを憲法に付け加える必要もないし、負の側面が大きすぎる、ということだ。

 この問題を考える上で、(2)の【感想】でも述べたように、「1930年前後のドイツ」の歴史を学ぶことがとても重要だ。

 日本の司法が本来の役割を果たしていない状況下で、緊急事態条項を憲法化することがいかに危険か。樋口氏と小林氏の上記コメントから、そのことがよく分かる。こういった懸念を「考えすぎ」と言う人は、よっぽどのお人好しか、政権ベッタリの思考しかできないのだろう。

 以下も参照されたい。

 当ブログ2016.1.9「緊急事態条項のための改憲?」

 当ブログ2016.3.13「緊急事態条項のための改憲? その2」

(4)権力者による「静かなクーデター」
*安倍政治が憲法に違反する安全保障関連法をゴリ押しで制定させたことに対し→

小林≪・・・憲法擁護義務のある権力者が憲法を擁護せず、違憲立法まで行うこの状況は、クーデターと言っていい。≫(P213)

樋口≪・・・安倍政権の場合は[一般的なクーデターとは]逆に、権力を掌握して独裁的に国会運営をして、実質的に憲法停止状態をつくってしまうということになっている。≫(同)

小林≪ええ、ですから、権力者による「静かなクーデター」です。革命と言い切ってもいいかもしれない。・・・≫(同)

【感想】
 この安倍政治のゴリ押しを「許して」いる要因の1つが、司法の責任放棄にある(*これまでの経験からそう思われているのであり、今回の件に関してはまだ未確定)。この事に関しては、(2)と(3)の【感想】で述べたとおりだ。

 内閣法制局も、その役割と責任を放棄してしまった。国会も、与党が内閣と無思考的に連動しており、本来の役割を果たしていない。

 立憲主義が「数の力」によって切り崩され、好き放題に変質させられていく・・・。その危険性が「迫っている」のではなく、「現在進行中」なのだ。私たちは、この状況にもっと危機感を持つ必要があるのではないか。

【本書全体に関する感想】
 樋口氏と小林氏の本質を突いた鋭い指摘には、得るところが多くあり、自分の考えを深める上でとても役に立った。

 ただ、とても重要な点について述べられていない、と思った。現実に「2014.7.1閣議決定」がなされ、それに基づいて2015.9.19に安全保障関連法が成立したのだが、これを「どういった方法で」「どのような形に変革すべきか」について聞きたかったのだ。もちろん、お二人とも憲法学者であり、政治家ではないのだから、政治論や運動論でなくてよいのだが。政権交代をするなどして、「同閣議決定」を否定する新たな閣議決定を行ない、「同廃止法」なるものの立法を目指すのか? 

 これは編集上の問題ではないのか? もし私が編集者(司会を含む)なら、この重要な点は絶対に落とさないのだが。

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机の上の空論 (世論)
2017-03-25 22:14:30
今晩は、世論と言います。
「憲法改憲の真実」という樋口陽一と小林節の
対談著書を読みました。
学者でもないど素人の私から感想として言います。
このブログの管理者さんと樋口、小林両氏の主張はど素人である私から、机の上の空論としか見えません。
現実に考えてみれば、日本は戦争に巻き込まれています。
管理者さんは「何の戦争に巻き込まれたと言うのかね」とおっしゃると思います。
北朝鮮が、起こした日本国民(もちろん、日本だけじゃ
なく他国の自国民も含めて)拉致です。
一つの独裁国家が他国の自国民を拉致をする行為は
国際法違反の戦争犯罪行為ではないですか、旧ソ連の独裁者スターリンが行った日本人だけじゃなく、蒋介石の息子蒋経国をはじめとする他国の自国民に対して行ったシベリア抑留という国際法違反の非人道行為
を簸た隠していた左翼系文化人の皆様の主張と対して変わらないからです。
以上の利用で私は、樋口、小林両氏の主張を支持はいたしません。

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Re.机の上の空論 (星徹(管理者))
2017-03-26 11:44:47
世論さん、コメントをありがとうございます。

あなたの文章と本著『「憲法改正」の真実』や当ブログの私の文章がどう関係するのか、ちょっと分かりづらいですね。

相手の言動に対して批評・批判する場合に重要なのは、①対象となるものを事実に基づいてよく吟味すること、②「事実」と「思い」を分けて論理的に考えること、であると思います。

「〇〇さんはAと書いている(言っている)が、私は反対(賛成)する。なぜなら、Bという理由から、私はCと思うからだ」

このパターンが、あなたへの1つの提案です。

本著の2人の憲法学者の主張の論旨は、当ブログで私が書いているように、「現在の最大の問題は壊憲(かいけん)」であり、「対抗軸は「護憲か改憲か」ではなく、「立憲主義か壊憲か」ということ」だと思います。私もこの主張に大賛成です。
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