政府・与党や首相の私的諮問機関(安保法制懇など)が安倍晋三首相の「特異な価値観」の追認機関となっている危険性について、これまで当ブログ2014.2.13「集団的自衛権 安倍首相の屁理屈に日本が支配される?」や同2014.2.22「安保法制懇という名の「安倍首相一人芝居」」で指摘してきた。
体調不良のため入院していた小松一郎内閣法制局長官が、昨日2/24に1か月ぶりに公務に復帰した。
「朝日新聞」2014.2.25(朝刊)「憲法解釈変更に意欲 小松法制局長官が復帰」によると、小松長官は同局に出勤した際、安倍首相が目指す憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認について、記者団に次のように語ったという。
「内閣法制局は内閣の一部局だ。首相の方針に従ってやるべきことをやるということだ」
「首相の方針に従ってやるべきことをやる」とはどういうことか? 「揚げ足を取る」ことはしたくないが、これまでの経緯と文脈を読めば、これは「安倍首相の意向どおりに政府解釈の変更に同意する」ということにしか理解できない。
確かに、「内閣法制局は内閣の一部局」だ。しかし同局の役割は、▽憲法を頂点とする各種法律について解釈・意見を述べること(意見事務) ▽閣議に付される法律案等を審査すること(審査事務)──などであり、法治国家の根幹を担っている。「内閣の一部局」だからと言って「内閣の政治的思惑」に左右されていては、日本はもう「法治国家」と言えなくなるのではないか。
結局、安倍首相の考えの基本線(根)は、「選挙で勝って内閣を組織したのだから、憲法解釈の変更を含めて大方のことは許される」ということのようだ。この「根」に基づいて、安倍首相の様々な思惑の「枝葉(えだは)」が伸びている、ということだと思う。これら「枝葉」は重要ではあるが、結果としての現象面である、ということも認識する必要があるのではないか。
この「枝葉」は、これまで見てきたように、▽安保法制懇での“審議”とそれに基づく「報告書」 ▽内閣法制局長官の「意見」──という形で表れようとしている。しかし、これらは全て安倍首相の分身(ぶんしん)の仕業であり、事が済めばこの分身は安倍首相の元に舞い戻り、また一体となるであろう。まさに「安倍首相の一人芝居」だ。
確かに、自民党と公明党は国政選挙で勝利し、安倍氏は国会(衆議院)で首相に選任された。その形式面に限れば、「民主的」であることは確かだ。しかし、その後の安倍内閣のあり方は、民主的であるとはとても言えない。
すべてが実質的に「安倍首相の思惑」に支配されており、多様な意見・価値観は排除され、審議やチェック機構の多様性・多重性は有名無実化している。実質的に「独裁政治」に近い様相を呈している、と思うのだ。
そういった安倍内閣のあり方を「許して」きたのは、有権者自身だ。安倍内閣の暴走がここまで進行しているにも拘わらず、安倍内閣の支持率は高止まりしてきたことが、そのことを表している。日本の立憲主義・デモクラシーをここまで破壊し続ける安倍内閣を「支持する」ということは、「安倍首相らの共犯者」と言われても仕方がないだろう。
しかし、最新のテレビ朝日(報道ステーション)世論調査によると、安倍内閣の支持率(2月)は48.8%(前月比-4.5%)に下落し、「支持しない」は30.9%(前月比+4.5%)に上昇した。
これまで「眠っていた」人が、目を覚ましつつあるのか? まだ分からない。いま目を覚まさなければ、もうその機会を逸することになるだろう。
体調不良のため入院していた小松一郎内閣法制局長官が、昨日2/24に1か月ぶりに公務に復帰した。
「朝日新聞」2014.2.25(朝刊)「憲法解釈変更に意欲 小松法制局長官が復帰」によると、小松長官は同局に出勤した際、安倍首相が目指す憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認について、記者団に次のように語ったという。
「内閣法制局は内閣の一部局だ。首相の方針に従ってやるべきことをやるということだ」
「首相の方針に従ってやるべきことをやる」とはどういうことか? 「揚げ足を取る」ことはしたくないが、これまでの経緯と文脈を読めば、これは「安倍首相の意向どおりに政府解釈の変更に同意する」ということにしか理解できない。
確かに、「内閣法制局は内閣の一部局」だ。しかし同局の役割は、▽憲法を頂点とする各種法律について解釈・意見を述べること(意見事務) ▽閣議に付される法律案等を審査すること(審査事務)──などであり、法治国家の根幹を担っている。「内閣の一部局」だからと言って「内閣の政治的思惑」に左右されていては、日本はもう「法治国家」と言えなくなるのではないか。
結局、安倍首相の考えの基本線(根)は、「選挙で勝って内閣を組織したのだから、憲法解釈の変更を含めて大方のことは許される」ということのようだ。この「根」に基づいて、安倍首相の様々な思惑の「枝葉(えだは)」が伸びている、ということだと思う。これら「枝葉」は重要ではあるが、結果としての現象面である、ということも認識する必要があるのではないか。
この「枝葉」は、これまで見てきたように、▽安保法制懇での“審議”とそれに基づく「報告書」 ▽内閣法制局長官の「意見」──という形で表れようとしている。しかし、これらは全て安倍首相の分身(ぶんしん)の仕業であり、事が済めばこの分身は安倍首相の元に舞い戻り、また一体となるであろう。まさに「安倍首相の一人芝居」だ。
確かに、自民党と公明党は国政選挙で勝利し、安倍氏は国会(衆議院)で首相に選任された。その形式面に限れば、「民主的」であることは確かだ。しかし、その後の安倍内閣のあり方は、民主的であるとはとても言えない。
すべてが実質的に「安倍首相の思惑」に支配されており、多様な意見・価値観は排除され、審議やチェック機構の多様性・多重性は有名無実化している。実質的に「独裁政治」に近い様相を呈している、と思うのだ。
そういった安倍内閣のあり方を「許して」きたのは、有権者自身だ。安倍内閣の暴走がここまで進行しているにも拘わらず、安倍内閣の支持率は高止まりしてきたことが、そのことを表している。日本の立憲主義・デモクラシーをここまで破壊し続ける安倍内閣を「支持する」ということは、「安倍首相らの共犯者」と言われても仕方がないだろう。
しかし、最新のテレビ朝日(報道ステーション)世論調査によると、安倍内閣の支持率(2月)は48.8%(前月比-4.5%)に下落し、「支持しない」は30.9%(前月比+4.5%)に上昇した。
これまで「眠っていた」人が、目を覚ましつつあるのか? まだ分からない。いま目を覚まさなければ、もうその機会を逸することになるだろう。