読書備忘録

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村田喜代子著「百年佳約」(ひゃくねんかやく)

2010-07-16 | ま行
九州は肥前、渡来陶工の里をゆるがす結婚騒動に、文化と人間の命脈を描く
「伊万里」と呼ばれた、この真っ白い磁器は豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592-98)の際、朝鮮半島から連行されてきた陶工が有田・泉山で陶石を見つけ、日本で初めて焼き始めたと言われる。
話の主人公は朝鮮人陶工集団を率いた老女、百婆。死後、子孫繁栄を祈る一族の守り神になったところから物語が始まる。
もう1人の主役は新頭領になった息子十蔵。テーマは人間の生の象徴の1つ「結婚」である。
慶長の役により朝鮮から連行された陶工たちが、九州の皿山に窯をひらいて半世紀。
龍窯の母・百婆は死んで神となり、山上の墓から一族を見守る。折しも下界では息子・十蔵がその子供たちの嫁取り婿取りをめぐり、日々思案を重ねていた。これまで通り仲間内で絆を固めるか、日本人と結婚して渡来の未来をひろげるか。
可愛い子孫の「百年佳約」=結婚成就のため、百婆の活躍が始まった!
死んで神になった冒頭のシーン。百婆は朝鮮式の土饅頭形の墓に「小さい体を乗せてちょこんと腰掛け」朝鮮人陶工同士の良縁を願い「キセルをスパリと吸う。
それは「クニ」の伝統と血を守りつつ子孫繁栄を成就させるためだ。
一方、母親の死を機に十蔵は母に逆らい、日本に同化するため息子、娘らを日本人と縁づかせようとする。「外へ嫁にやれば、やがて皿山中に渡来の根が広がっていく」と。
事もあろうに婿探しの席に選んだのは百婆の49日の法要の席だった。ところが、その後も十蔵がもくろむ縁結びがうまくいかない。
神になった百婆も折々に現世へちょっかいを出す。渡来人一世の百婆と二世の十蔵。
そして日本しか知らない三世の娘らの思惑も入り混じり、結婚相手探しは紆余曲折しながら続く。
『生きた男には生きた娘を!死んだ男には死んだ娘を!人の世はよくよくつがいを求めるものだ。』
400年もの昔、日韓両国の文化の違い。世代間の違い。それらがぶつかりながら、国際化を進めた現代に通ずる物語でした。
【一部西日本新聞社伊万里支局・末広浩氏の文引用。】 
2004年7月講談社刊

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