読書備忘録

私が読んだ本等の日々の
忘れない為の備忘録です

重松清著「はるか、ブレーメン」 

2024-02-01 | 重松清
この物語はファンタジーなのか?「私たちの仕事は走馬灯の絵を描くことだ。それは、人生の最後に感じるなつかしさを決めるということでもある」人生の思い出をめぐる、謎めいた旅行会社に誘われた16歳の少女のひと夏の物語。小川遙香、16歳。3歳で母に捨てられた彼女は、育ての親である祖母も亡くし、正真正銘のひとりぼっちだ。そんな彼女が出会ったのが走馬灯を描く旅をアテンドする「ブレーメン・ツアーズ」。お調子者の幼馴染、ナンユウこと北嶋裕生と共に手伝うことに。認知症を患った老婦人が、息子に絶対に言えなかった不倫の秘密。ナンユウの父が秘めていた、3歳で早世した息子への思い。様々な人の思い出を見た彼女は。人の記憶の奥深さを知る。そんな折、顔も覚えていない母から「会いたい」と連絡が来るのだが・・・。人生の最期に見る「走馬灯」を描く絵師たちの集団、ブレーメン・ツアーズ。思いがけず他人の過去を見ることができる能力があることを知った「遙香とナンユウ」は、自らの家族の過去を見るか、見ないで苦悶しつつ、傷つきながらも結局赦すことを選び取る。いつも泣かされる重松ワールド今回も何故だが涙が駄々洩れでした。死ぬ間際に見る走馬灯がつらいことばっかりだったらちょっとつらい。「ありがとうね 世話になったね。」と昨年7か月の家庭内闘病で亡くなった母は最期にどんな走馬灯を見たのだろう。そして自分はどんな走馬灯を見ることになるのか、生き方を問われていると思った。「人間には三つの力がある・・・記憶する力、でも記憶していても、それはデジタルと違って、薄れたりぼやけたりする。だから二つめ、忘れる力、になる。そして3つめは、なつかしむ力だ」(p220)
「ブレーメンとはたどり着けない場所、人生はブレーメンに向かう旅のようだ」(P364)
2023年4月幻冬舎刊 
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重松清著「数えきれない星の、その次の星」

2022-07-25 | 重松清
コロナ禍の中で生まれたファンタジーやその他の11短編。感染症がひろがり休校になってしまった春、子どもたちのためにこいのぼりが企んだのは・・・「こいのぼりのナイショの仕事」「こいのぼりのサイショの仕事」。
谷間の小さな村に来る子供たちは・・・「ともしび」。
大切で大好きな相手であればあるほどいまは会えない。父と娘は、画面越しで会話する。・・・ 「天の川の両岸」。
ミックスルーツのリナはお母さんと二人暮らし。「日本人らしい」っていったい何だろう・・・「コスモス」。
桃太郎の鬼退治の真相は、怖い話、・・・「花一輪」。
ひいおばあちゃんと雛人形と戦争と・・・「ウメさんと初恋」。
この一年なかったことにしたいのは・・・「かえる神社の年越し」。
新しいママのいる今年のお盆は・・・「送り火のあとで」。
夜のふしぎな原っぱに集まる子どもたちは・・・「原っぱに汽車が停る夜」。気がつくと夜の砂漠にいた僕は・・・「誰かに会いたいと思ってるとき、ほんとうはもう会えてるのかもしれないな」。・・・「表題作」。
「星のかけらには、さみしさが埋まってる」夜空にちりばめた、11の小さな星たちの物語。人の生活の苦しさもそっと包み込むような寄り添い方で、どれも心にしみる余韻の残るお話でした。
「現実にはありえない話だけど、2021年を生きる10代の自分に届けたくて、この本を書きました。――著者・重松 清」。
2021年9月角川書店刊

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重松清著「旧友再会」

2021-05-02 | 重松清
40~から60歳の男性が主人公の話が中編1つと短編4つ。年を重ねると増えていく「再会」の機会。再会は、別れがあるから存在します。どう別れたかで、再会の仕方も変わってくる。会いたい人、会いたくない人、忘れていた人。《結婚もして、子どもをつくり、そして、いま、家族をなくした。》あなたならどんな再会を望み、何を伝えますか。自分の乗るタクシーに小中学で一緒だった旧友が乗り込んで来て・・・「旧友再会」。同級生3人が文字通りどしゃぶりのグランドで・・・「どしゃぶり」。キリンだったかパンダだったか動物園での思い出・・・「あの年の秋」仕事をがんばる元気も大事だけど、休む元気だって要るからな・・・「ホームにて」。離婚が決まり孫を連れて年老いた両親に合わすために・・・「ある帰郷」。懐かしいだけでは語れない現実の重さとつらさ、過ぎた日の哀愁やるせない気分にもなったが、、これから訪れる葛藤、そして一縷の希望が語られる。

2019年6月講談社刊
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重松清著「木曜日の子ども」

2020-12-16 | 重松清
7年前、旭ヶ丘の中学校で起きた、クラスメイト9人の無差別毒殺事件。給食の鍋に殺鼠剤を入れた中学生の事件だ。犯人はただ一人スープに口をつけなかった生徒上田祐太郎であり、動機は不明だった。結婚を機にその地毒殺した舞台の中学校のあるに越してきた私(清水)は、妻の連れ子である14歳の晴彦との距離をつかみかねていた。前の学校でひどいいじめに遭っていた晴彦は、毒殺事件の犯人・上田祐太郎と面影が似ているらしい。この夏、上田は少年院から社会に復帰し、ひそかに噂が流れる・・・「世界の終わりを見せるために、ウエダサマが降臨した。」
 やがて旭ヶ丘に相次ぐ、不審者情報、飼い犬の変死、学校への脅迫状。一方、晴彦は「友だちができたんだ」と笑う。信じたい。けれど、確かめるのが怖い。そして再び、「事件」は起きた。子供の精神的暴力の痛みと肉体的暴力の痛みの深刻さ、その傷と後遺症の深さが描かれ、連れ子とのギクシャクした関係からきちんと家族に父親になりたいと死線を越えて奮闘する主人公の姿が眩しい。それに犯人が家族の至近距離まで近づいてくる恐怖や不気味さの描写が怖い。いつもの重松ワールドには珍しいサスペンス・ミステリーかと期待したが、終盤の展開・失速ともいえる終わり方にもガッカリ。いつもの感動と読み応えある内容ではなかった。
2019年1月角川書店刊
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重松清著「ひこばえ」上・下

2020-11-13 | 重松清
世間が万博に沸き返る1970年、長谷川洋一郎が小学校2年生の時に家を出て行った。そんな実父への記憶は淡い。しかし40数年ぶりに知った郊外の小さな街で一人暮らしを続けたすえに亡くなった父親石井信也は、生前に1冊だけの「自分史」をのこそうとしていた。何故?誰に向けて?洋一郎は、遺品整理をしながら父親の人生に向き合うことを決意した。このころ洋一郎は介護付き有料老人ホームの施設長に勤務、入居者たちの生き様を前に、この時代にうまく老いていくことの難しさを実感していた。そして我が父親は、どんな父親になりたかったのだろう?残された携帯電話のアドレスをヒントに父親の知人たちから拾い集めた記憶と、自身の内から甦る記憶に満たされた洋一郎は、父を巡る旅の終わりに、一つの決断をする。・・・表題の「ひこばえ」とは樹木の切り株や根元から生えてくる若芽のこと。 太い幹に対して、孫(ひこ)に見立てて「ひこばえ(孫生え)」という。人も皆亡くなっていくがその命は世代を超えて繋がっていくということを言いたかった。孤独死、遺骨と墓、父と子、家族を捨てて出ていった父親が亡くなり、骨となった父親はどんな人生を生きたのか。家族の絆と人の愚かさが描かれている。『「赤ん坊や子どもは「育つ」ことが仕事だよな。それと同じで、悠々自適になったお年寄りの仕事は「老いる」ことなんだよ」、「きれいに歳を取っていく人と、それがうまくいってない人がいるのよ」「歳を取るのをよく「枯れる」っていうだろう? 水分とか脂ぎったところがきれいに抜けていって、枯淡の境地になるのが、うまい老い方だと思うんだ」(下:p266)』終活は難しい。家族がいる人も独りのひとも、考えさせてくれたが、相変わらずいい人ばかりの登場人物たちで都合よすぎる展開で感動もチょッとでした。
2020年3月朝日新聞出版刊
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重松清著「たんぽぽ団地」

2020-02-09 | 重松清

SFファンタジー。元子役出身の映画監督・小松亘氏は週刊誌のインタビューで、かつて自分が主人公として出演したドラマ「たんぽぽ団地の秘密」のロケ地だった「つぐみ台三丁目団地」の取り壊しと、団地に最後の一花を咲かせるために「たんぽぽプロジェクト」なるものが立ち上がったことを知る。そしてその代表者は初恋の相手、成瀬由美子だった・・・。少年ドラマ、ガリ版、片思い・・・昭和の子どもたちの人生は、やり直せるのか、視聴率低迷のために不本意に終わらされたドラマの41年後を描く続編の制作を企画する「僕らの団地がなくなる前に、映画を撮ろう」運命と奇跡のクランクイン、あの頃を信じる思いが、奇跡を起こす。

仕掛けが複雑でタイムスリップなど設定はご都合主義だし、SFは矛盾だらけで論理的でないためいつものように重松ワールードはあまり楽しめなかった。今の小学生の子のいじめの複雑さに吃驚、思春期の子や子育て中の親目線が面白かった。「正面からこっちに歩いてこられると、ずうっと向き合っている格好になって、待ち受けるほうは間が持たない。いまさら気づかないふりをして横をむくわけにもいかないし」(p.71)、など心理の細やかな描写等は流石。

201512月新潮社刊

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重松 清著「空より高く」

2015-11-26 | 重松清
4年前、玉川ニュータウンにある僕らのトンタマこと東玉川高校は廃校が決まった。
東玉川高校最後の生徒・平凡な高校生として、それなりに楽しくやっていたのに、赴任してきた熱血中年非常勤講師・神村ジン先生のせいで調子がくるってきた。
ネタローこと松田錬太郎は通学路で出会ったピエロの大道芸・ジャグリングの技のディアボロに魅せられてしまう。
廃部野球部の元キャプテン・ドガ、説教好きのヒコザ、紅一点のムクちゃんなどジン先生の持ち込んだ迷惑な「ウイルス」に感染してしまったのだ。
思わぬところから転がり込んだ「セーシュン」。
校門前のラーメン屋「ピース軒」のウメおばちゃんからもけしかけられ残された半年にレッツ・ビギン。
派手なことは起きないが個性的な面々のドタバタ青春物語。
『社会には、世の中には、ダシが必要なんです。ひとり一人が、たとえ目立つことはなくても、それぞれの人生を一所懸命に生きていくことで、
いいダシが出るんです。ダシの利いていない世の中は、ほんとうに薄っぺらで、底の浅いものです。』(P294)
2012年9月中央公論新社刊
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重松清著「ファミレス」

2015-08-23 | 重松清
妻と別居中の雑誌編集長・竹内一博と、息子がいる妻と再婚した惣菜屋の小川康文は幼なじみ。
料理を通して友人となった中学教師の宮本陽平は子ども2人が家を巣立ち“新婚”に。
3・11から1年後のGWを控え、ともに50歳前後で、まさに人生の折り返し地点を迎えたオヤジ3人組を待っていた運命のお話。
陽平の教え子やその母・妹・祖母。
陽平たちが通う料理教室の講師およびその娘と元夫など、夫婦、親子、友人・・・人と人とのつながりを、メシをつくって食べることを通して、
コメディータッチで描き出す。
料理レシピ・うんちくの下りが多く鼻につく場合もあった。様々な個性を持つ人物たち登場して、互いを助け、
助けられる展開で50代をむかえた3人の夫婦・家族の問題を織り交ぜていつもの感動さは感じなかったが楽しく読めた。
おひとりさま仕様のファミリーレストラン『ファミリーレストランの略称「ファミレス」は本当は「ファミリーレス」家族なし、
という意味なのではないか?』(P105)
2013年7月日本経済新聞出版社刊
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重松清著「一人っ子同盟」

2014-12-24 | 重松清
昭和40年代の団地に暮らす子供たちの成長を描いた長編小説。両親がいて、子どもは二人。
それが家族の「ふつう」だった昭和のあの頃。一人っ子で鍵っ子だったぼくとハム子は、仲良しというわけではないけれども、困ったときには助け合い、確かに、一緒に生きていたんだ。小学校1年のとき、信夫のクラスに公子が転校してきた。
黒板に書かれた名前を公子をハム子と読んだ信夫は彼女の跳び蹴りをくらう。以来、同じ団地に住むハム子は信夫にとって最強女子だった。6年生になり、クラスで一人っ子は信夫とハム子だけだったが、間もなくハム子に父親と弟ができた。だが、ハム子は、2人を認めず、弟を邪険にする。
一方の信夫も、実は一人っ子ではなく、6歳のときに交通事故で亡くなった兄がいた。
修学旅行が迫り、信夫は少ない小遣いの中から兄にお土産を買うべきか悩む。一方でハム子が弟にお土産を買うのかも気になる。
昭和40年代の団地で生きる小学校六年生の少年と少女。
それぞれの抱える事情に、まっすぐ悩んでいた卒業までの日々の記憶が揺れる心理を丁寧に描かれた感動小説。
2014年9月新潮社刊
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重松清著「ポニーテール」

2012-06-29 | 重松清
それぞれの父母が再婚して即席「家族」となった二人の少女が新しい学校に転校して、新しい生活が始まった。その始まりの日々を、やさしく見つめる姉妹小説。
マキとフミは、できたてホヤホヤの「新米姉妹」。二人の心は、近づいたり離れたり、すれ違ったり衝突したりと・・・。
こんなふうにして、わたしたちは少しずつ家族になっていく。
母を亡くした小学四年生のフミ。親の離婚で苗字も2回も変え学校も変えなくてはならなかった六年生のマキ。
血のつながらない親子であるが故のこだわりやすれ違い感情表現の難しさなどと共に、母と父もマキとフミに気を遣い又どちらもお互いの元の配偶者にも気を遣っている複雑な感情があって微妙な感情を描くのが上手い。
思春期の難しい年頃の女の子は、親が扱うのが難しいのと同時に、自分が自分自身をどう扱っていいのか分からない年頃なんだなぁと。
仲直りの方法がいっぱい教えてもらえる感動小説です。
猫のゴエモン二世がギコチナイ家族の潤滑油だ。
「挨拶は大事だよ。『おはよう』とか『おやすみ』とか、『いただきます』とか『ごちそうさまでした』とか・・・ぜんぶ大切なものなんだ・・・ひとりぼっちだったら、挨拶をすることもされることもできないからだよ」(P251~P252)

2011年7月新潮社刊
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重松清著「十字架」

2010-06-30 | 重松清
いじめを苦に自殺した中学2年のクラスメート藤井俊介(フジシュン)の残した遺書に4人の同級生の名前があった。
遺書の中で「ごめんなさい」と謝られた中川小百合、親友と名指しをされた僕(真田裕)。それから20年、大学を卒業し、就職し、結婚、父親になっても、あいつの影は消えることはなかった。
あの日から僕たちの長い旅が始まったのだ。
背負った重荷をどう受け止めて生きればよいのだろうと悩み、迷い、傷つきながら手探りで進んだ20年間の物語。
親友ということで、マスコミにつきまとわれ「いじめを、見て見ぬ振りをしたお前らが殺した」とののしられたり、フジシュンの家族に引き合わされて「親友なのに、なぜ、息子を守ってやれなかったのか」と、身に覚えのない理由で、フジシュンの父や弟から非難を浴びせられます。
『ナイフの言葉。十字架の言葉。・・・・「ナイフの言葉は、胸に突き刺さるよ」「痛いよね、すごく。
なかなか立ち直れなかったり、そのまま致命傷になることだってあるかもしれない」・・・「ナイフで刺されたときにいちばん痛いのは、刺された瞬間なの」十字架の言葉は違う。
「十字架の言葉は、背負わなくちゃいけないの。それを背負ったまま、ずうっと歩くの。どんどん重くなってきても、降ろすことなんてできないし、足を止めることもできない。
歩いてるかぎり、ってことは、生きてるかぎり、その言葉を背負いつづけなきゃいけないわけ」(63P)
「なにもしなかった罪っていうのは、法律にはないんだ」(237P)
「どんなふうに生きた、どんなふうに感じて、どんなふうに背負って、どんなふうにきみはおとなになったんだ。・・・教えてくれ」(309P)。
あいつの自殺から二十年、僕たちをけっしてゆるさず、ずっと遠いままだった、“あのひと”との約束を僕はもうすぐ果たす。
ただいじめの現場を黙って見ていた生徒を主人公にした話です。
暗くて哀しいお話しですがいろいろ示唆に富んだ考えさせられた物語でした。
2009年12月講談社刊
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重松清著 『Long Long Ago 再 会』

2010-05-31 | 重松清
再会をテーマにした六つの短篇が収められている。
子供の頃、勇気はみんなから称えられ、努力は必ず報われた。
だけど、大人になった今はどうなんだろう。
初恋の少女、好きだったマンガの登場人物、いつも笑わせてくれた酔っ払いのおじさん等々、
なつかしい人との再会は、実はあの頃の自分と出会うことなのだ。
豊かだった家が没落することで女王様の座を追われてやがて転校して行った少女美智子・・・「いいものあげる」
いじめにあっていたあの頃、僕にひどい味のカツカレーをご馳走してくれた酔っ払いのダメな叔父さん・・・「ホラ吹きおじさん」
5年生の学年のオールスターが集まったクラスで自分の凡庸さに気づかされる男子・・・「チャーリー」
勉強もスポーツもできず手先も不器用で可愛くもない上にきわめて運の悪い女の子睦美・・・「人生はブラの上で」
『人間って、そのときどきの自分に合った相手と友達になるんです。服のサイズじゃないけど合わなくなったら自然とお別れすることになる』(133P)
『子供が成長するというのは、自分の生きる世界に順位をつけるようになることだ。・・・順位をつけて選ぶこと』(126P)・・・「永遠」
『やり甲斐とか生き甲斐なんて、あとになってから初めてわかるっていうか、あとにならなきゃわからないんだよな』(290P)・・・「ロング・ロング・アゴー」
「いいものあげる」は、20年後就職氷河期を経て32歳の再会が「ロング・ロング・アゴー」で描かれる。
価値や意味は渦中にいる間はわからなった、けれど歳月が過ぎて、懐かしい友だちと再会し、
懐かしい当時の自分を思い出し、新しい自分と出会う。
再会した時に初めてあの頃のことが人との出会い事が、人生における宝石のようだったと認識する。
何時もながら重松作品は読み進めると「物語に込められた思いが静かに、低く、重く、胸に染みこんでくる。」
また共感と感動で涙をこぼしてしまった。
2009年10月新潮社 刊
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重松清著「あすなろ三三七拍子」

2010-05-20 | 重松清
藤巻大介45歳、あすなろ大学応援団長出向を命ず―
フツーのオヤジが、廃部寸前のヘタレな「あすなろ大学」の応援団長にマジ業務命令で出向。
社会人入試で入学、ヤバい学ラン姿で応援団第87代団長に。
なんとか部員3名を確保し、廃部を免れたが厳しい応援練習の日課が続くし、ライバルの京浜学院応援団との対抗戦が控えていた。
ありえない設定、関西弁まるだしの応援団OB二人組み、顧問は30代の若きフェミニストの女准教授、
金髪ピアスの姿の応援団員は娘のボーイフウレンド、学ラン姿の女の応援団員などこれは異質な古いファンタジーの世界なのか。
しかし、読み出してみると、そこは限りなく愛しい世界。爆笑、ウルウル、熱い勇気がはじけ翔ぶ、熱血応援小説でした。
軽い乗りの関西弁がいい味を出 し、 物語の登場人物全員が善人で悪者は居ない人情劇世界にジーンと来てしまう。
頑張っている日本のおじさんたちの応援歌なのかも。
人を見る目が優しいいつもの重松ワールドでした。
『応援・・・それは自分以外の誰かのことをすらに、がむしゃらに思うということ。』(318P)
『人生はなかなか思い通りにならない。無駄な付き合いや無意味な義理もたくさんある。
「立場」というやつは、本当に窮屈なものだ。それでも、立場や付き合いや義理を振り捨てて自分の道を貫く瞬間は、ごくたまにあってもいいはずだ。
それがあるから、みんな、窮屈な毎日を頑張っていけるんだと思う。』(412P)
2010年3月毎日新聞社刊

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重松 清著『きみ去りしのち』

2010-03-06 | 重松清
「どれだけ歩き続ければ別れを受け容れられるのだろう。幼い息子を喪った父、
“その日”を前にした母に寄り添う少女明日香 。・・・生と死がこだまする、ふたりの巡礼の旅。」
再生への祈りをこめて描かれた別れと再出発の想い。死にゆく者、遺された者の物語。
『人間の死、生、そこから炙りだされる人間の真の愛情』
息子は1歳の誕生日をむかえたばかりで乳幼児突然死症候群で眠るように死んだ。
息子を喪った父親が休職届けを出し、ひとり巡礼の旅に出た。
決して消えることのない傷を抱えた時、いかにして人が人生を再開させるのか。
「旅をしている」から始まる書き出しで始まる9つの土地の風景と人々「旅をしてきた」で終る巡礼の旅。生と死の意味を問う。
恐山・・・ 絶え間なくまわり続けるかざぐるまの花。奥尻・・・地震と津波の惨事の翌朝 。オホーツク・・・北の果ての流氷を見て。
ハワイ島・・・ムーンボウ(夜の虹)。阿蘇・・・炎が大地を覆い焼き尽くす阿蘇の野焼き。
春の大和・・・まほろばの里で。
出雲・・・黄泉の国への入口と砂時計。与那国島・・・久部良バリとハイドゥナン。
島原・・・初盆の精霊流し。一瞬にして心を奪い、人生観に変更を迫る出来事の中で得た人生の光とはなにか。
圧倒されるような彼岸の風景と土地に残る死の記憶に触れた時に感じた奇跡の再生の物語です。
2010年2月 文藝春秋刊
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重松 清著「希望ヶ丘の人びと」

2009-07-22 | 重松清
2年前に妻をガンで亡くし現在は3人家族いわゆる父子家庭の主人公の田島40歳、中三の娘の美嘉と小五の息子の亮太とかつて転勤族だった亡き妻・圭子が小学校5年から中学卒業までの5年間を過ごした街希望ヶ丘に引っ越してくる。子どもたちのために、そして亡き妻のために会社を早期退職してフランチャイズ制の進学塾の教室長として再出発するのであるが・・・。
親の期待と子の思い、帰国子女、転校、いじめ、学級崩壊、モンスター・ペアレント、家族の死・・・。70年代初めに開発された街・希望ヶ丘で死んだ妻の関わった人たちや同級生達に出会い苦難にぶつかりながらも精一杯子供たちと生きていく田島さん一家の奮闘感動物語。
『子どもの「もしも」っていうのは未来に向いている。可能性だ。おとなの「もしも」は過去にしか向わない。後悔や愚痴だ。「もしも」を考えるってことは、いまの現実を否定することだ。』(340~341P)
『前に向って歩いているかぎり、道はぜんぶ、希望の道なんだ』(456P)
『希望のある人生は・・・・幸せなんだよ。絶対に・・・・。』(502P)
いかにもやりすぎフィクションの部分はあるが
登場人物のエーちゃんやフーセンさんなど特長あるキャラがユニークでいつもながら読み出したら止まらなかった。
感動の涙を拭きながら一気に510P読みました。

2009年1月小学館刊
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