■大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』 第17回 「いつも2人で」
脚本:宮藤官九郎
音楽:大友良英
ナレーター:ビートたけし(噺) / 森山未來(語り)
【内容抜粋メモ】
大正3年6月
四三はカノウらに呼ばれる
カノウ:オリンピックは中止だ 欧州戦争の長期化で 無念!
茫然と座り込む四三 泣くカノウ
イクエ:スヤとマラソン どっちを選ぶか 今なら勝てるかもしれない 連れて帰って来い
清:ベルリンがダメなら他でやればいい(それもそーだ
丸2日部屋から出ない四三を心配して来る野口ら
部屋でぼんやりしている四三
スヤが来る
清:
オレたちは新橋と言われたら行くしかない 読み書きが出来ねえから
そんなオレたちの代表だろ!
四三:
もう走れんです! 4年の約束で家族の援助を受けている
これ以上迷惑かけられん
スヤは頭から水をかける
スヤ:
熊本に帰りませんか? 首を振る四三
うちはオリンピックがのうなっても構わん 金メダルもいらん
でも四三さんが金メダルをとって喜ぶ顔が見たくて応援しとります
四三:
オレは寂しか きつい練習後は必ずスヤさんの夢を見た
クタクタで、あと1年の辛抱 金メダルとってしまいにしようと思ってた 悔しか
スヤ:
オリンピックは終わりました 帰りました 金メダルたい おめでとう!
ダメばい 四三さんが金メダルとったらもっと笑うばい
始まってもないのに終わるわけなか
泣きつく四三
自転車に乗るスヤと国旗のウェアを着た四三は走る
四三:
追い返してすまん これからは会いに来てくれ
先のことも考えんといかんな 引退後のことも
オレが走れないなら誰が走る? 後輩について話が止まらない四三
スヤ:四三さんが50人いたらいいね
ひらめいた四三はカノウを訪ねる
四三:
オレは教職に就いて指導者になります!
オレが50人いたら金メダル50個とれたとに
東京から大阪を1人10km走れば500km
(バトンを渡す姿を想像する
カノウ:
マラソンが広く普及した理由はそこにあるのでは
40kmを1人で走るのはあまりに辛く孤独だ
団体競技で助け合う仲間がいれば 面白い!
その頃、田畑政治はやさぐれていた
水泳をバカにするチョウタに、エースは10kmも泳ぐと話す政治
政治は医者に水泳を止められている
チョウタ:医者の言うことを鵜呑みにするのは愚の骨頂だに
昭和35年
田畑:こんなの(聖火)重すぎて3時間も走れないよ(縄文土器?
大正5年
四三は神奈川師範に教員として勤務 地理を教える 体育は放課後
自分も後輩と走り、練習法、足袋の改良を模索する
山岸ら候補者を出す四三
読売新聞記者・土岐、大村:
京都じゃダメですか? 我々も同じようなことを考えていた
日本人が京都から東京に移って来年で50年 画期的な運動会が出来ないかと
十二階で会ったのは、元天狗倶楽部の吉岡
記者:どうせなら東海道五十三次をたどったら?
四三:そんな壮大なレースは世界初ですね!
カノウ:
私も次なる目標を見つけた
いつの日か東京でオリンピックを開くために競技場を造る!
スポーツは国力の証 スタジアムはそのシンボル あそこだ!(また借金になるよ
吉岡:あれは明治神宮です
四三らは早速、大日本体育協会に話す
全体を23区間に分けて、関東・関西・中部23人のランナーで
京都から東京まで516kmを走り次ぐ
岸清一:そんなに走って何になるんだ
カノウ:反対意見ばかりだ 解散するかね、永遠に?
岸清一:読売さんが主催なら反対する理由はない
名称を決める
副会長・武田:駅伝はどうだろう? 東海道五十三次駅伝競走 これで決まる
早速、新聞に載る
吉岡:
最終ランナーは金栗くんにお願いしたい 東京中の人々が集まりますぞ!
おそらく丸2日はかかる
シマ:女子の参加は?
吉岡:遊びじゃないんだ
カノウ:女子の体は走るのに向いとらん 君たちはいずれ健やかな子どもを産まねばならん
(女性は子ども製造機!
四三:二階堂先生に相談してみては?
二階堂:恥を知りなさい マラソンなど西洋では時代遅れ 貧乏人の競技です 無謀! 野蛮!
四三は「魅力が伝わってない」と怒る
洗濯物を干しているスヤのたすきを見てひらめく四三
黒坂にたすきの制作を頼む四三
黒坂:足袋にヒモをつけたら足袋じゃない 靴だ
スヤ:あなたが作れば靴も足袋です
大正6年4月 日本初の東海道五十三次駅伝が開幕
昭和35年
田畑はその駅伝を見ていたと土岐の本を出す
田畑:
その日は暴風雨で 浜名湖をどう渡るのかと思ったら、船!(マラソンじゃないw
漕ぐのは船頭 乗ってる選手は申し訳なさそうにしてたよ
関東の選手がアキレス腱を切って棄権 1人が40km走ることになる
他の選手はたすきを渡した後、ランナーと一緒に走って東京を目指した(ワケわからんことに!
スタートから44時間後
最終走者の四三が川崎を出たのは29日午前10:05
日本橋の市電に乗っていたスヤ マラソンで停まってしまう
初の駅伝を見ようと観衆は10万人を超えた 国旗を振って応援
観衆が邪魔で走れない四三ww 線路の上を走ってるの?
記事:
運動史上、未曾有の計画 ここに無事実現
516kmを46人の韋駄天が駆け抜けた
イクエ:四三が帰ってくるばい! ご懐妊たい! 実次と大喜び
関西軍は人数が揃わず断念
中部軍も25人中21人が中高生のチーム
当時はマラソン走者を探すだけでも大変
武田千代三郎が東海道に53の宿場があることから名づけた駅伝
夜走る選手の足元は、すでに走り終えた走者がランタンで照らし不眠不休で並走
(もう相当走った後なのに、死んじゃうよ!
沿道の応援者も加わり、総勢70人も押しかけた宿場はどこもすし詰め状態
(これじゃ女子は入れないな
中部軍の最終走者は元校長!
52歳のマラソン王と呼ばれ、金栗同様、日本マラソンの先駆者がゴールして
会場は感動の嵐となった
(この写真だと70歳くらいのじいちゃんに見えるけど
この駅伝はその後日本中に広がる
(一度も見たことないな 正月とかにやってるんだっけ?
ずっと走る姿を観ているだけってツライ・・・
脚本:宮藤官九郎
音楽:大友良英
ナレーター:ビートたけし(噺) / 森山未來(語り)
【内容抜粋メモ】
大正3年6月
四三はカノウらに呼ばれる
カノウ:オリンピックは中止だ 欧州戦争の長期化で 無念!
茫然と座り込む四三 泣くカノウ
イクエ:スヤとマラソン どっちを選ぶか 今なら勝てるかもしれない 連れて帰って来い
清:ベルリンがダメなら他でやればいい(それもそーだ
丸2日部屋から出ない四三を心配して来る野口ら
部屋でぼんやりしている四三
スヤが来る
清:
オレたちは新橋と言われたら行くしかない 読み書きが出来ねえから
そんなオレたちの代表だろ!
四三:
もう走れんです! 4年の約束で家族の援助を受けている
これ以上迷惑かけられん
スヤは頭から水をかける
スヤ:
熊本に帰りませんか? 首を振る四三
うちはオリンピックがのうなっても構わん 金メダルもいらん
でも四三さんが金メダルをとって喜ぶ顔が見たくて応援しとります
四三:
オレは寂しか きつい練習後は必ずスヤさんの夢を見た
クタクタで、あと1年の辛抱 金メダルとってしまいにしようと思ってた 悔しか
スヤ:
オリンピックは終わりました 帰りました 金メダルたい おめでとう!
ダメばい 四三さんが金メダルとったらもっと笑うばい
始まってもないのに終わるわけなか
泣きつく四三
自転車に乗るスヤと国旗のウェアを着た四三は走る
四三:
追い返してすまん これからは会いに来てくれ
先のことも考えんといかんな 引退後のことも
オレが走れないなら誰が走る? 後輩について話が止まらない四三
スヤ:四三さんが50人いたらいいね
ひらめいた四三はカノウを訪ねる
四三:
オレは教職に就いて指導者になります!
オレが50人いたら金メダル50個とれたとに
東京から大阪を1人10km走れば500km
(バトンを渡す姿を想像する
カノウ:
マラソンが広く普及した理由はそこにあるのでは
40kmを1人で走るのはあまりに辛く孤独だ
団体競技で助け合う仲間がいれば 面白い!
その頃、田畑政治はやさぐれていた
水泳をバカにするチョウタに、エースは10kmも泳ぐと話す政治
政治は医者に水泳を止められている
チョウタ:医者の言うことを鵜呑みにするのは愚の骨頂だに
昭和35年
田畑:こんなの(聖火)重すぎて3時間も走れないよ(縄文土器?
大正5年
四三は神奈川師範に教員として勤務 地理を教える 体育は放課後
自分も後輩と走り、練習法、足袋の改良を模索する
山岸ら候補者を出す四三
読売新聞記者・土岐、大村:
京都じゃダメですか? 我々も同じようなことを考えていた
日本人が京都から東京に移って来年で50年 画期的な運動会が出来ないかと
十二階で会ったのは、元天狗倶楽部の吉岡
記者:どうせなら東海道五十三次をたどったら?
四三:そんな壮大なレースは世界初ですね!
カノウ:
私も次なる目標を見つけた
いつの日か東京でオリンピックを開くために競技場を造る!
スポーツは国力の証 スタジアムはそのシンボル あそこだ!(また借金になるよ
吉岡:あれは明治神宮です
四三らは早速、大日本体育協会に話す
全体を23区間に分けて、関東・関西・中部23人のランナーで
京都から東京まで516kmを走り次ぐ
岸清一:そんなに走って何になるんだ
カノウ:反対意見ばかりだ 解散するかね、永遠に?
岸清一:読売さんが主催なら反対する理由はない
名称を決める
副会長・武田:駅伝はどうだろう? 東海道五十三次駅伝競走 これで決まる
早速、新聞に載る
吉岡:
最終ランナーは金栗くんにお願いしたい 東京中の人々が集まりますぞ!
おそらく丸2日はかかる
シマ:女子の参加は?
吉岡:遊びじゃないんだ
カノウ:女子の体は走るのに向いとらん 君たちはいずれ健やかな子どもを産まねばならん
(女性は子ども製造機!
四三:二階堂先生に相談してみては?
二階堂:恥を知りなさい マラソンなど西洋では時代遅れ 貧乏人の競技です 無謀! 野蛮!
四三は「魅力が伝わってない」と怒る
洗濯物を干しているスヤのたすきを見てひらめく四三
黒坂にたすきの制作を頼む四三
黒坂:足袋にヒモをつけたら足袋じゃない 靴だ
スヤ:あなたが作れば靴も足袋です
大正6年4月 日本初の東海道五十三次駅伝が開幕
昭和35年
田畑はその駅伝を見ていたと土岐の本を出す
田畑:
その日は暴風雨で 浜名湖をどう渡るのかと思ったら、船!(マラソンじゃないw
漕ぐのは船頭 乗ってる選手は申し訳なさそうにしてたよ
関東の選手がアキレス腱を切って棄権 1人が40km走ることになる
他の選手はたすきを渡した後、ランナーと一緒に走って東京を目指した(ワケわからんことに!
スタートから44時間後
最終走者の四三が川崎を出たのは29日午前10:05
日本橋の市電に乗っていたスヤ マラソンで停まってしまう
初の駅伝を見ようと観衆は10万人を超えた 国旗を振って応援
観衆が邪魔で走れない四三ww 線路の上を走ってるの?
記事:
運動史上、未曾有の計画 ここに無事実現
516kmを46人の韋駄天が駆け抜けた
イクエ:四三が帰ってくるばい! ご懐妊たい! 実次と大喜び
関西軍は人数が揃わず断念
中部軍も25人中21人が中高生のチーム
当時はマラソン走者を探すだけでも大変
武田千代三郎が東海道に53の宿場があることから名づけた駅伝
夜走る選手の足元は、すでに走り終えた走者がランタンで照らし不眠不休で並走
(もう相当走った後なのに、死んじゃうよ!
沿道の応援者も加わり、総勢70人も押しかけた宿場はどこもすし詰め状態
(これじゃ女子は入れないな
中部軍の最終走者は元校長!
52歳のマラソン王と呼ばれ、金栗同様、日本マラソンの先駆者がゴールして
会場は感動の嵐となった
(この写真だと70歳くらいのじいちゃんに見えるけど
この駅伝はその後日本中に広がる
(一度も見たことないな 正月とかにやってるんだっけ?
ずっと走る姿を観ているだけってツライ・・・