■大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』 第6回 お江戸日本橋
脚本:宮藤官九郎
音楽:大友良英
ナレーター:ビートたけし(噺) / 森山未來(語り)
【内容抜粋メモ】
■明治44年12月(1911)
四三はまた下駄屋に来るが主人が怖くて入れない
謝っていると、底が分厚いのを作ってくれていた 3枚重ねで大喜び
「大日本体育協会」
ストックホルムオリンピックの選手を選抜する話
先日の結果に対してIOC会長 クーベルタン氏に代わり
駐日フランス大使 ジェラール氏からメッセージが短い届いた
問題は何人エントリーさせるか
マラソンは四三、佐々木、井出、短距離は三島弥彦が候補にあがる
旅費は1ヶ月1人5000円 カニの給料の7、8年分
文部省:国費を使って海外で遊ばせるなど許しがたい
アニコは、四三の飛びぬけた記録は誤測ではという記事を見せる
「22分速いというのは信じ難い」と書いてある
カノウ:金がないから行けないと彼らに言えるか?
カニ:2人か1人しか連れて行けない予算
カノウ:三島くんには自費で行ってもらおう
四三が呼ばれる
カノウ:晴れて、オリンピックに派遣することが決まったよ
エントリーシートを渡されると行きたくないと言う四三
四三:
日ごろの鍛錬を試そうと思って参加しただけだった
オリンピックとは何ですか?
詳しく聞くほど萎縮する
カ:言葉の違いを超えて競い合うんだ
四三:負けたら切腹ですか? 行けば勝ちたいと思うし、負ければ国民が許してくれんでしょう
(よく分かってる!
カ:ガッカリだ!!
ヤヒコも断る
ヤヒコ:
今年は帝国大学の受験 かけっこごときで休めない
文部省の役人からもクギを刺されたので
清国の学生らが帰国すると騒ぐ
革命派の反乱でラストエンペラー・皇帝フギが退位する「辛亥革命」が勃発
清国は混乱し、学生への仕送りも途絶えた
カ:
今戻れば君たちに危険が及ぶ
祖国の未来のために来たことを忘れてはならん
学費は内務省に一時立て替えを頼む
それでダメなら私が全額負担する
君たちは会場設営の時もよく働いてくれた
100名が日本に留まることでできた借金数億円をカノウは生涯返せなかった
四三が優勝カップを返しに来た
カノウ:
我が国のスポーツは遅れている
学生が先頭に立って国民を奮い立たせるんだ
最善を尽くしてくれたらいいんだ
写真をいろいろ見せ、スポーツで平和を唱えたことを話す
カノウ:
勝海舟は日米修好通商条約を結ぶに際して
日本人はちょんまげに袴 50年前の話
何事も最初は辛い
だが、誰かがその任務を負わねば次の機会は4年後なんだ
日本のスポーツ界のために
四三:
行きます 精一杯走ってきます
勝敗にこだわらず、出せる力を出し切ってきます
カノウ:
渡航費を君が出すというのはどうか?
君の金で勝手に行くなら誰も文句は言わん
5ヶ月で1800円かかると後で知る
家族に正直に全ての経緯と、1800円を工面してほしいと1年ぶりに手紙を書いて出す
羽田運動場でひたすら走る四三
■昭和35年(1960)東京 芝
どこもオリンピック関連の工事で渋滞
なぜ毎回、足袋を履いた四三っぽい人が通りかかるんだろう?
これだけのシーンて短い!
■明治45年(1912)
ミノベは円喬に弟子入りして車を引く 1日に4軒も出ている売れっ子の円喬
円喬に好きな噺を聞かれて「富久」が始まる
円喬:耳で覚えるな 噺は足で覚えろ
後の志ん生は、実際歩いて、周りを見ろってことだと気づく
志ん生:弟子は師匠の芸を背中で聞くんだ
五りんは小噺より、父母のなれそめが聞きたいと言う
五りん:オリンピック話が面白かったからまた聞きたい
車夫・清は、坂道ばかり走ってたらダメだと四三に地図を見せる
清:
東京の道はお堀端を中心にぐるって回ってる(チコちゃんでやってたね
日暮里だのは坂が多い
黒坂:どうせなら現地と似た所を走ったほうがいい
四三:ストックホルムは石畳
清:それなら日本橋だな
四三:水の都
清:それなら芝だな
練習コースは上野→浅草→日本橋→芝へ
車を引きながら噺を練習するミノベ
志ん生が五りんらにそれを演ると意味が分からず、笑わない
五りん:母が死ぬ前に書いたハガキには絶品と書いてあるのにおかしいな
志ん生:満州で富久やったことないし、別人じゃねえか
(この謎もストーリー全体を引っ張ってるよね
もとの「富久」は浅草⇔日本橋の噺
志ん生はアレンジして浅草⇔芝に距離を延ばした
四三は浅草⇔芝を走りまくった
ミノベとすれ違う まだ日本橋がキレイに残っていた頃
兄・実次のもとに手紙が届く
日本橋は東京のヘソだった
「熈代勝覧」
江戸時代後期の日本橋を描いた絵巻(駅中?
人であふれ返っている
明治44年に木造から石になり、完成式には大勢がかけつけた
(第19代ってそんなに架け替えてるの???
名橋「日本橋」保存会会長・中村さん
昭和30年代 高速道路工事は大きな転機となった
経済復興の大きなシンボルとして高速道路を造るが暗くて、圧迫感があるため
道路を撤去し、地下に移すことが決まった/驚×5000
イベント空間も設ける予定 見たいなあ!
脚本:宮藤官九郎
音楽:大友良英
ナレーター:ビートたけし(噺) / 森山未來(語り)
【内容抜粋メモ】
■明治44年12月(1911)
四三はまた下駄屋に来るが主人が怖くて入れない
謝っていると、底が分厚いのを作ってくれていた 3枚重ねで大喜び
「大日本体育協会」
ストックホルムオリンピックの選手を選抜する話
先日の結果に対してIOC会長 クーベルタン氏に代わり
駐日フランス大使 ジェラール氏からメッセージが短い届いた
問題は何人エントリーさせるか
マラソンは四三、佐々木、井出、短距離は三島弥彦が候補にあがる
旅費は1ヶ月1人5000円 カニの給料の7、8年分
文部省:国費を使って海外で遊ばせるなど許しがたい
アニコは、四三の飛びぬけた記録は誤測ではという記事を見せる
「22分速いというのは信じ難い」と書いてある
カノウ:金がないから行けないと彼らに言えるか?
カニ:2人か1人しか連れて行けない予算
カノウ:三島くんには自費で行ってもらおう
四三が呼ばれる
カノウ:晴れて、オリンピックに派遣することが決まったよ
エントリーシートを渡されると行きたくないと言う四三
四三:
日ごろの鍛錬を試そうと思って参加しただけだった
オリンピックとは何ですか?
詳しく聞くほど萎縮する
カ:言葉の違いを超えて競い合うんだ
四三:負けたら切腹ですか? 行けば勝ちたいと思うし、負ければ国民が許してくれんでしょう
(よく分かってる!
カ:ガッカリだ!!
ヤヒコも断る
ヤヒコ:
今年は帝国大学の受験 かけっこごときで休めない
文部省の役人からもクギを刺されたので
清国の学生らが帰国すると騒ぐ
革命派の反乱でラストエンペラー・皇帝フギが退位する「辛亥革命」が勃発
清国は混乱し、学生への仕送りも途絶えた
カ:
今戻れば君たちに危険が及ぶ
祖国の未来のために来たことを忘れてはならん
学費は内務省に一時立て替えを頼む
それでダメなら私が全額負担する
君たちは会場設営の時もよく働いてくれた
100名が日本に留まることでできた借金数億円をカノウは生涯返せなかった
四三が優勝カップを返しに来た
カノウ:
我が国のスポーツは遅れている
学生が先頭に立って国民を奮い立たせるんだ
最善を尽くしてくれたらいいんだ
写真をいろいろ見せ、スポーツで平和を唱えたことを話す
カノウ:
勝海舟は日米修好通商条約を結ぶに際して
日本人はちょんまげに袴 50年前の話
何事も最初は辛い
だが、誰かがその任務を負わねば次の機会は4年後なんだ
日本のスポーツ界のために
四三:
行きます 精一杯走ってきます
勝敗にこだわらず、出せる力を出し切ってきます
カノウ:
渡航費を君が出すというのはどうか?
君の金で勝手に行くなら誰も文句は言わん
5ヶ月で1800円かかると後で知る
家族に正直に全ての経緯と、1800円を工面してほしいと1年ぶりに手紙を書いて出す
羽田運動場でひたすら走る四三
■昭和35年(1960)東京 芝
どこもオリンピック関連の工事で渋滞
なぜ毎回、足袋を履いた四三っぽい人が通りかかるんだろう?
これだけのシーンて短い!
■明治45年(1912)
ミノベは円喬に弟子入りして車を引く 1日に4軒も出ている売れっ子の円喬
円喬に好きな噺を聞かれて「富久」が始まる
円喬:耳で覚えるな 噺は足で覚えろ
後の志ん生は、実際歩いて、周りを見ろってことだと気づく
志ん生:弟子は師匠の芸を背中で聞くんだ
五りんは小噺より、父母のなれそめが聞きたいと言う
五りん:オリンピック話が面白かったからまた聞きたい
車夫・清は、坂道ばかり走ってたらダメだと四三に地図を見せる
清:
東京の道はお堀端を中心にぐるって回ってる(チコちゃんでやってたね
日暮里だのは坂が多い
黒坂:どうせなら現地と似た所を走ったほうがいい
四三:ストックホルムは石畳
清:それなら日本橋だな
四三:水の都
清:それなら芝だな
練習コースは上野→浅草→日本橋→芝へ
車を引きながら噺を練習するミノベ
志ん生が五りんらにそれを演ると意味が分からず、笑わない
五りん:母が死ぬ前に書いたハガキには絶品と書いてあるのにおかしいな
志ん生:満州で富久やったことないし、別人じゃねえか
(この謎もストーリー全体を引っ張ってるよね
もとの「富久」は浅草⇔日本橋の噺
志ん生はアレンジして浅草⇔芝に距離を延ばした
四三は浅草⇔芝を走りまくった
ミノベとすれ違う まだ日本橋がキレイに残っていた頃
兄・実次のもとに手紙が届く
日本橋は東京のヘソだった
「熈代勝覧」
江戸時代後期の日本橋を描いた絵巻(駅中?
人であふれ返っている
明治44年に木造から石になり、完成式には大勢がかけつけた
(第19代ってそんなに架け替えてるの???
名橋「日本橋」保存会会長・中村さん
昭和30年代 高速道路工事は大きな転機となった
経済復興の大きなシンボルとして高速道路を造るが暗くて、圧迫感があるため
道路を撤去し、地下に移すことが決まった/驚×5000
イベント空間も設ける予定 見たいなあ!