メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

『強いられた変身』  眉村卓/著(角川文庫)

2018-06-21 12:53:19 | 
眉村卓/著 カバー/木村光佑 (昭和63年初版)

「作家別」カテゴリーに追加しました。

[カバー裏のあらすじ]

人間は自分が認識できる世界で思考をめぐらし行動する。
しかし、突然そこに、まったく認識や理解を超えた非日常が出現したらどうなるのであろうか?
急激な価値観の変化に対応できるであろうか?
刻々と迫り来る“変身”へと貴方を導く―。
狂いはじめるさまざまな認識を見事に描く眉村SF、殊玉のオリジナル短編集7編。



初出誌一覧を見ると、本書の短篇はすべて『野性時代』の連載だと分かるが
眉村さんの多作ぶりには驚く これほど完成度の高い作品を毎月のように書いていたのか

そして、前回読んだ『深夜放送のハプニング』と本書の解説を読んで、
やっと眉村さんの貫いている「インサイダー文学」というものが
うっすら分かってきたような気もする

体制を変えるには、外部に訴えるより、内部から共感させて、
1人1人の意識を変えていくほうが有効で、早くて、確実、根本的だということ
それがまさに私が眉村作品に惹かれた理由かもしれない



あらすじ(ネタバレ注意

長い夢 初出誌『野性時代』1978.5月号
調査官・クラはこれから宇宙船に乗り、別の太陽系の惑星を巡るコースに同乗する
目的は、宇宙飛行士たちの心底にあるものを把握し、対策を練るためだ

任務を命令したの連邦は、彼らに反乱のきざしがあるという
今後さらに植民可能な新世界を発見するため、
今の宇宙飛行士3人1組勤務制を、ロボットと組む2人制しようとしたが反対された
理由は「幻夢」を失いたくないという

クラがリストから選ばれたのは、かつて予備訓練所にいて、飛行士の何人かと知り合いの
首席操縦士・キシは同級生がいるからだ

クラは小さい頃、ほかの子どもと同様、宇宙飛行士に憧れていたが
連邦経営機構の高官である父はいい顔をしなかった

クラは親に無断で予備訓練所の試験を受けてパスしたが成績がふるわず適性もないと分かった頃
父が連邦にあるサロンにいる高名な飛行士2人に会わせてくれた 彼らはひどく薄汚れて見えた

幻夢のことを尋ねると、「宇宙空間に実際出ないと分からない」と答えただけだった
英雄であるべき彼らの姿に幻滅し、成績はさらに下がり、父の声かけもあり、調査官となった

船長、乗務員がいる飛行士室に入るとキシが説明した
航行中は、1人は「生理機能加速装置」により加速され、1人は加速後の睡眠、もう1人は常態にある

クラはキシとともに加速して眠ることになったが、あまり仕事らしいことをしていないクラは早く目覚める
発進してから300時間経ち、すっかり飽き果てていた

これから第1回目の「跳航」に入る 亜空間に入り、一気に数光年先に出るのだ
だしぬけに体が軽くなり、吐き気もした 周りは不定形の色彩が拡散している

彼は夢を見た
異形のうす水色の細い生物たちが「我々は団結しなければならない」と叫んでいる
彼らは飛行体をつくりあちこち飛んだ

その先に黒い大きなものが待ち構えていて、何万という群れで、うす水色の世界を完全に焼き払った
最後の生き残りがクラに「復讐してくれ」と訴える 「我々の恨みを晴らしてくれ・・・」

キシ:
夢を見たか? うす水色の生きものが滅びる夢か? 加速され、心が受動的な時しか見ない
己が星々の一粒に過ぎないと自覚している人間だけが見る いわゆる飛行士の「幻夢」さ

これはかつて栄えて滅んだ種族の残存思念じゃないかと俺たちは考える
さまざまな異形の生物が出現するが、どれも未練を残していて、訴えかけてくるんだ

それはどの種族にも言えるんじゃないか 早晩滅ぶ人類の連邦が何になる?
すべて消滅して残存思念を漂わせるだけだ
幻夢は跳航中にしか見ない 亜空間のほうが生きものにとって本膳的なのかもしれないよ

クラは飛行士なりの諦観ではないかと推測し、むしろそんな幻夢を奪うために新しいシステムを考えようと思う
すぐに納得するには、彼はあまりに連邦経営機構の一員になりきっていた
連邦がその程度だと信じることは、調査官の彼にはとても耐えられないのだ



気楽なところ 初出誌『野性時代』1978.9月号
古橋はうんざりした K市の出張のたび使うビジネスホテルに予約したのに、受けていないと言われたのだ
折衝の末、薄汚れた部屋をあてがわれた

気を取り直して風呂に入ると、猛烈な上下動が襲った 地震
悲鳴をあげて、裸のまま部屋の外に飛び出した

十数階もある高層建築物だが、どこか工事に手抜きがあるに違いないと前々から思っていた
おまけにここはホテルの最上階だ

ビルの外壁が歪むのを見て、なにか身を支えるものを掴もうと、金属パイプらしいものを掴んだ
足元の非常階段の感触がなくなった もう駄目だ 観念したが依然とぶらさがっている

見ると彼は虚空を握っている たしかに金属パイプの感覚がある どうなってるのだ?
足で探るとそこにも金属棒があり、見えない梯子のようだが、その下には何もないと分かる

上に行ってみると、急に建物の中に入ったようだ その向こうに階段が上に伸びている
下を見ると、金属製の梯子があり、半分崩れたホテルが見えた なぜ今は見えるのだ?

とにかく階段をのぼり扉を開けると、想像もしない景色に出た
青空のもと、大きなドームがそそり立っている そこここには人間もいて、掘っ立て小屋もある

「おい、新参さんよ」40半ばくらいの男に声をかけられた
「そこの移送口から出て来たんだろ」と裸の彼に布切れを投げてよこした パンツ、ジーパン、Tシャツだった
「わしも移送口から紛れ込んだのさ 詳しいことはわしの巣で話そう ああ、またうるさい奴らが来たぞ」

見ると、10名ほどの男女が来る 髪を短く刈り、みな同じ派手なシャツを着ている

「安井さんよ、そろそろ我々の仕事を手伝ったらどうですか
 いずれドームのストックはなくなる
 その前に他の世界を襲撃して、必要なものを入手する組織を作らねばならない
 君は新参だな 君は我々と仕事をするべきだ!」

「タケオ、やめたら? 強引に連れて行くのはグループ間協定に反するわよ」

タケオという男は女を殴りつけ、どやどやと行ってしまった

安井:
わしは元はモーレツ社員だった しゃにむに働くのを止めれば、食えなくなる恐怖感のせいだろうな

が、とうとう体を壊して別のポストに回された わしはアホらしくなって、会社の金を持ち逃げした
パアっと使って死ぬつもりだったが、金はすぐなくなり、
ビジネスホテルの非常階段から飛び降りようとしたら、見えない梯子を掴んだ

ここは次元支配組織本部の廃墟らしい
世界は無数に重なっていて、そのいくつかには地球に似た星があり、中には我々そっくりな人間がいて
その何%かはよく似た歴史がある
 ここはそうした世界への侵略センターだった
移送口はみな別々の次元世界の日本に通じているらしいが、ここはかなり昔に放棄された

ここは天国だ あのドーム内には合成食品、衣料などがぎっしりある わしにはそれで充分だ

だが、近頃は、いくつかのグループの力が強くなり、ここに文明社会を築こうとか言ってドームの物資を管理しはじめた
物資を消費するには、仕事をしなきゃならんという わしも建物づくりなどの作業をしなければならん

ことにうるさいのは、さっきのタケオのグループだ 別の次元で掠奪するため、軍隊組織を作ろうとしている
こっちはまっぴらだ わしはのんびり生きたいだけだ
あんたもしばらく様子を見て考えたほうがいい 時間はたっぷりあるし

夜になっても寝つけなかった 彼は努力してまで元の世界に戻る気はなかった
面白くもないセールスマン稼業に戻る未練はない ここにとどまろうと決心した

「出て来い! 女をかくまっているだろう? 出せ!」

昼間のタケオだ 女が同志の約束を破って逃げたという
いくらいないと言っても暴力をふるい、小屋を壊してしまった

安井:
仲間で手分けして探しているのか? 一人で来たんだろう
グループリーダーのくせに、前の女に逃げられては、さまにならずに慌てているんだ

タケオは刃物を出した 安井も長い棒を出し、タケオを打った
安井:あの巣を作るのに、わしがどれほど苦労したか あんたには分からんだろう

殺しかねないと古橋は止めたが、息を吹き返したら仲間を連れて仕返しにくるだろう

安井:
始末するほかないな ここには警察などないがリンチは日常茶飯事で、みんな己の身を守らなきゃならん
わしがここに来て人を殺したことがないとでも? こいつらもだいぶ殺人をやっている
わしはどこか適当な移送口から他次元へ放り込むことにしている
地震で崩れた元の世界に落とそうじゃないか ごみ捨て場としては理想的だろ?

2人でタケオを開口に押すと地面に落ちる音は聞こえなかった

古橋:なるほど、元の世界も役に立つものですね

安井:
これでグループ力も少しは弱まるだろう この調子でうるさい連中を1人ずつ片付ければいい
じたばたしたって、どうなるものでもないんだ



セリョーナ 初出誌『野性時代』1979.2月号
加賀はだいぶ酔っていた 大学時代の同期・橋本と話し
「帰るか」と勢い良く立ち上がると、上の棚に頭を打ちつけそのまま気を失った

気づくと皆が心配そうに覗き込んでいる 騒ぎが大きくなる前に加賀は外に出た

失神はこれが初めてではない 昔、ハイキングコースからだいぶ外れた岩の横に倒れて
発見されるまでの3時間、何も覚えていない


後で検査を受けても異常はなく、なぜそんな所に倒れていたのか思い出せなかったが
なぜか、不意によみがえってきた

おかしな夢を見た 激しい揺れを感じ、何体かの影が必死になにか訴えて、自分は選択を迫られている
やるほかはないのではないか セリョーナを救うためには

今の夢はなんだ 加賀は、非現実世界も、実は現実のなにかの投影だと承知していた
忘れたこととか、無意識が夢に現れると読んだことがある
奇妙な夢を見た後は必ず分析するクセがついていた

あれは宇宙船のブリッジだった セリョーナとは何だ?
だが、あれこれ探索しても仕方ない 所詮、中年の疲れた男の迷妄の断片なのだ
それより、明日からの適当にやり甲斐もある仕事のほうが大事だ
平凡で陳腐だが、そっちが本物の生活なのだ

退屈な資料だったが、今日の企画会議までには片付けなければならない
その時、ふっと心が空白になるのを感じた またあれが滑り込んできたのだ

宇宙船内 これからバラバラに飛び出そうとしているが、敵は追尾し、成功の確率は極めて低い
それでもやらねば セリョーナのために

そばに部下の長井がいて「会議が始まります なんだかお体の具合が悪いようですが・・・」
加賀「そうかもしれない 少し熱もあるようだ」と誤魔化した

会議で全員の顔を意識すると、いつもと違って大きな熱いものがこみあげ、同時に視野がぼやけた

我々は最悪の事態を迎えた! 船は敵に破壊される 脱出しなければならない
 一人ひとりが出来るだけ生き延びて、最後まで敵に抵抗しなければ全滅だ
 生き抜き、再び戦列に復帰するために、しばらくのお別れだ!」

部下らは一斉に散り、脱出ボートのハッチへ走りだした

視界が戻ると会議の出席者の顔が白い
「加賀次長・・・今のはどこの言葉でしょうか?」

幻覚でも、自分が何を喋ったか内容は頭に残っている それは日本語ではなかったのか?
現実感が復帰し、体調が悪いと言って、会議を続けた

会社の医師に診てもらい、今後の勤務にさしつかえる診断になり、報告されては困るので
加賀は友人の医師・米山を訪ねた

米山:愉快じゃないか 宇宙船とか まあ、横になれ 催眠術をかける 君の心の中に何があるか探ってみよう

今度の戦いも失敗に終わった 一時は優雅な高度文明を誇った種族セリョーナも滅亡するだろう
だが、最後の一人になってもあくまで抵抗するぞ
自分が乗った脱出ボートは、なるべく母星を離れたところを漂っている そこから奇襲をかける作戦だ

惑星に引き寄せられたのは幸いだが、炭酸ガスが少なすぎて、着陸しても長く生きられない環境と分かる
非実体化して、原住生物の体を借りるしかない

原住生物が近づいてきた 目が脳に近いこと、頭部の大きさから、知力があると分かる
司令官の自分がまず乗っ取るのだ 相手が逃げるより早く脳の中に滑り込んだ

その後、誰も来ない ボートに引き返した頃には、仲間はもう全員死亡していた
救難信号器をセットし、発見されないような場所に埋めた
救助されるまで、ここで原住生物の一員として暮らさなければならない

目の前に追跡してきた敵がいた 慣れない体で射撃をよけきれず、その場に倒れた

加賀が目覚め、変な夢を見たと言うと

米山:
催眠術の時は夢は見ない 君は山歩き中に気を失ったと言っていたな
今聞いたことが事実なのか、異様な思い込みなのか判断がつかないんだ

米山は加賀の話を伝えた

加賀は山で歪んだ球体のようなものを見つけ、そこから緑色のかたまりが飛び出し襲いかかってきた
次にロボットのようなものとテレパシーで会話し、そいつは「君は人間でない種族に乗っ取られたから助けた」と言った

君に入った侵略者は、一度入ると、その生物を殺さぬかぎり外に出すことが出来ない
そいつはむやみに原住生物を殺したくないから、内部に閉じ込め、次第に力が衰え、消滅するのを待つことにした
そして、君が見聞きした記憶を消した

ドラマならよく出来た話だが、現実にはあり得ない
現実や人生は、もっと単調で退屈で、常識的なものなんだからな

加賀は、学生時代に来た駅に久々おりた
倒れていた場所に行き、土に埋めたという救難信号器を確かめるためだ

きっと、あのバーで頭を打った衝撃が、セリョーナの記憶を覚ましたに違いない
ふと気を抜くと彼の体を操ろうとする

世間は極めて日常的で、退屈だからこそ、ちょっとしたことが刺激になる
それ以上は空想の世界に属すると信じたかった


駅前の景観は記憶とまるきり違っていた
ここが!? 舗装された広い道と、びっしり並んだ建売住宅の群れ

よしんば埋めたにせよ、容赦なく土を掘り返すショベルカーやブルトーザーで押し潰されたか
どこかの家の下にあるだろう 結論は出なかった
自分は一生疑い続けながら日々を送るのだ



古い録感 初出誌『野性時代』1979.4月号
若い社員は録感テープの缶を十数個出してきた

「興味をそそられなかったわけではないですが、商品として使えるかどうかと問われると見当がつかないです
 1つ、2つ受感しますか?」

年配の社員:
この作者は知っている もとは作家でぱっとせず、そのうち消えた
この方面でも生き延びれなかったわけだ
活字と録感では、まるで違うということがまだ分かっていなかったんだ

若い社員:半覚醒常態の幻夢論なんて、この時代の技術では到底出来ないでしょう

実感装置のスイッチを入れた

曇った冬空 どうせ「心の帰郷」とやらをするなら、収入にしようとさもしい気持ちが働いた
自分を裏切るのにも馴れたというだけのことだ

知人が録感関係の会社員で

「あなたはこの辺りにしばらく住んでたでしょう
 太平洋戦争が終わる前後じゃないですか? そこが奇蹟的に残っているんです
 敗戦から四十数年も経ったのに、ほとんど変わっていないそうで タイムトンネルみたいなものです
 あなたに帰郷してもらいたいんです その感慨を録感させてもらえないでしょうか」

録感は初めてだった 己が感じ、考えたことがナマで他人に伝わるのは、裸になるようで嫌だったからだ
だが相手は強引で根負けしてしまった

私は目的意識を失っていた それより世の流れから逸脱しつつあった 私は浮いていた

過去の風景と出くわすことで、記憶が思いがけなくはっきり甦った
私はこの道を何度も行き来したのだ

戦後、半年あまり、私の一家はこの都市に引っ越して数年間過ごした
父の仕事の都合で田舎から出戻り、戦災をこうむらなかったこの辺に来たのだ

級友Dの家に来たが廃屋のようだ
Dは色白の繊細な少年で、実際病弱で、学校を休んでいた

私の家は長屋の一軒で、Dは己の優位を示すチャンスと思ったのかもしれない
邸内はやたら広く、堂々たる豪邸だったが、どこか荒廃した感じがあった
思うに、相当な資産家だったが、敗戦で痛手を受け、Dの父が亡くなり、家財を売って食いつないでいたのだろう

蔵には珍しいものが多かった 当時私は勲章やバッジの収集に興味があったため
「これもみな売るなら、僕に1つくれないか 売ったとしても安いものだ 惜しいのか?」

Dはたぶん勲五等か六等の瑞宝章を渡した その時、祖母が入ってきた
「それをあげたりしちゃならん! 出て行け!」
「ケチ! ケチばばあ!」

Dの祖母の顔が歪んだ Dは蒼白だった あれからDの家には行っていない
今では母屋は潰れそうに傾いている
喪失感が私を包み込んだが、それよりケチとののしった現場が永久になくなると思うと安堵感を強く感じた

歩き続けると、その頃の私の傷口を開きはじめた すでに過去を怖れているようだ
まだ何か出て来るのではないか


そこは教会で、あの時分、アメリカ兵が接収していたよく来ていた
そこは級友Qの家でもあった 父が牧師なのか聞いても言葉を濁した

Qは進駐軍からいろいろなものをもらっていた
ある日、歯がチョコレートで汚れていると言うと、舌で残滓を舐めるのを見て不潔感を覚え
羨望が一挙に敵意に変わり、チャンスをみつけてはQを窮地に追い込んでやろうとした

「今日は珍しいもの持ってないのか?」

Qはそのたび、ベルトやらを自慢気に持ってきた
そのたび羨ましくてしかたないと煽て、持っていないと、露骨にガッカリした顔をするのだ

Qは何日も学校を休んだ アメリカ軍人のものを盗もうとして殴り倒されたと噂を聞いた
彼は自分の立場を保持しようとしたのだ その後どこかに転校していった

大通りに近づくと、もう現代になってくる
こんな真似をして私が得たのは何だったのか

最初は型通りの懐かしさを満足させること、その馬鹿馬鹿しさを予想していたが、そんなものではなかった
少年時代の自分がいかに残酷で無神経だったかということ

当時の私は全く気づかず、己を満たすことだけに熱中していたが
今は吐き気すら覚える嫌な人間に思える

私は連鎖反応的に何十人もの級友、教師、親、他人を想起した
この残酷さはクラスの誰もが持っていた気がする
ある時は被害者、ある時は加害者でもあった

その残酷さは、大人の心情を理解出来なかったためだとも考えられる
時に明瞭な、時に隠微なしがらみで、明快に割り切れない世界を汲み取ることを考えないゆえの図太さだ

だが、子ども社会から排斥されることは本人の死活問題なのだ
無知からくる勇敢さが古いものを容赦なく打ち壊し、新しい価値が出来るという人も多い

ただ、今の年齢の私には、そういう子どもに会うのは愉快ではない
なろうとして大人になったのではなく、妥協、敗北の積み重ねの果てにこうなってしまった
それをこれでもかと見せつけられ、苦笑以上の自己嫌悪の体験になった

これからも今度のことを思い出し、ある程度人の傷みを知っているつもりで
気づかないまま侮辱しているのではないかと恐れに悩まされるだろう
これは一種の拷問だったとも言える



年配の男:
昔はこの手の総体に重くて、作者の思い込みが強い作品はいろいろあったんだ
君たちのような現代風の作品しか知らない層を狙うほうがいいかもしれない
でも、これは駄目だ

この作品がなぜ使われなかったか 理由は主題だ
他人の心事を理解しなかった過去のたまらなさ

若い社員:それがなぜいけないんです?

年配の男:
そこさ 他人に構わず自己主張してなぜいけないのかという人間のほうが多数派になった
だから、こんな作品は反発されるか、無視されたのさ

若い社員:僕はてっきりお遊びだと思った

年配の男:
本気だったんだ この作者からすれば、今の我々はみな子どもなのだろう
大人の弱さを持とうとしない、残酷で無神経な子どもだ
今はみな精神的に未成熟でなければ他人を蹴落とせないんだから仕様がない
他のを受感してみよう うまく売れそうなのが見つかるといいんだが



代ってくれ 初出誌『野性時代』1979.9月号
昼の時間になって督促の電話がきて、僕は陳謝し、弁解し、今日の午後、説明しに伺うと約束までした
別の課の同期入社のSから、週末バレーボールの試合があるから練習しようと誘われたが
運動が不得手なため、どうせ試合に行ってもベンチで観戦するのがおちなため当たり障りのない返事をした

会社からだいぶ離れたレストランに入り、隅のテーブルについた時
僕と同じくらいの背格好で、濃いサングラス、初夏なのにマスクをした男が同席してきた

じろじろ見るのも失礼だから自分の思いに耽った

卒業して今の会社に入って3年目 大過なくと言えるだろうが、仕事はそれほど楽しくはない
まして将来への野心などさらさらない

いいなと思う女性が会社にいるが、結婚は面倒だから、それ以上考えないようにしている
これがサラリーマンの典型だと言われれば仕方ないが、こんなはずではなかったという気がするのも事実だ

気づくと同席の男はずっと無遠慮に自分を見ている
男:結構なものだな 高田さんよ 誰だと思う? 当ててみろよ
その後、沈黙して依然こっちを見つめて黙っている

構わないのが安全だ 食べる速度をあげ、勘定する際、男がサングラスを外してこっちを見た
僕とそっくりなのだ 叫びそうになるのを抑えて、何事もなかったように店を出た

その後、ふとするとそいつを思い出すが、関わり合いを持たないのが正しかったのだ
怪我をしそうなものに近づかないのがサラリーマンで、自分もその一員なのだ
だが、なにか面倒事に巻き込まれるのではと不安だった

夕方、またそいつが追ってきて「どこかで話そうや」という
行くとすれば喫茶店がよかろう こいつはいつサングラスを外すか分からないから
アベック喫茶に入り、一番奥の暗い席に座った

男:
僕は心を決めてここへ来た オレはこの世界の人間ではない 別の世界から来た
世界は感知できなくても無数に重なり合っている
その中には互いによく似た世界もあるわけだ 例えば、オレとここのように
その人間同士は大部分が対応する オレは分身を探してやっとお前を見つけた

オレたちの世界はここよりもう少し秩序立っている こんなのんびりしていられない
オレはそこのエリートだ

この2、3日お前を観察していたが、お前はこの世界に満足してないんじゃないか?
もっとやり甲斐のある仕事をしたい、そうだろう?

だったら、オレと代わってくれないか?
任官されるテストはオレがパスした 仕事自体は催眠学習でなんとでもなる
お前の仕事なんて独力ですぐ引き継げるさ

高田:エリートがなんでわいと代われ言うねん 勝手なこと抜かしくさって 用はないわ わいは帰るで!

数日後の土曜日 休日だがバレーボールの試合がある
予想通り、僕はずっとベンチで座りづめだった
二次会に行く気にはなれず、体調が悪いからと一人で抜けた

イライラして、電車を降りるとアルコールが全身に回っているのを感じた
そこにまたあいつが出て来た この前とはうってかわって哀れっぽい調子で
「一生のお願いだ 聞いてくれ 詳しくオレの事情を話す」
「駅前に一杯呑み屋があるからそこへ行こう 帽子と眼鏡は取るなよ」

男:
オレは高級行政官の第一歩の生活監視官だ 権力もあり、待遇もいい
自動的に昇進するから、誰もが憧れる

高田:どんな仕事や?

男:
人々が正しい生活を送れるよう監視し、指導する
常にパトロールし、報告する 違反者にはマイナス点をつける
テストに合格するため、他のすべてを捨てて勉強した
仕事自体は難しくない 人々を任意に捕まえ、調べ、記録する それを1日に何十回もやる

1回のマイナスで一生が狂うことも多い オレがマイナスをつけて自殺した者も多いんだ!
生活監視官は鬼だ!

高田:なんで辞めへん?

男:
生活監視官は任官の時、忠誠を誓わされる 辞めるのは反逆で一生奴隷になる
オレには知らない秘密組織があり、他の世界と行き来する方法を発見していた
そこで自分の分身を説き伏せ代わってもらう なにせエリートだから嫌という者は少ない
オレは休暇をとり、休暇は今日で終わりだ 代わってくれ

高田:僕はまっぴらやわ そんなエリートいらんわい 自分で責任取らんかい ええ加減にせい

男は力づくでつかみかかってきたが、突き飛ばすと意外に手応えもなく吹き飛んだ
店の人々が見る中、そいつは泣き出すと、表に出て行った



車内でうたた寝をしていた高田は、子どもが2人通路を叫びながら走っていていて目が覚めた
見ると、母親が2人お喋りをしている

彼の後ろにいた青年が母親のほうへ歩いていった バッジを見せると母親たちから血の気が引いた
風紀監視官だ 母親らの国民登録番号のついた身分証明書を見て、携帯用記録器に記録する
それはマイナス点になり、あるレベルに達すると、公民権の制限、剥奪されることもある
監視官は、酒を飲んで暴れている連中、禁煙車で喫煙している者、食事で食べ残す者らにマイナスをつける

これは圧制だ、人権侵害だという者もいるが、高田はそうは思わない
不自由も感じない 自分にとってはそれくらいはいつも守るモラルで
それを維持する監視官はエリートだと信じている マスコミもそう扱っている
彼の息子が難関を突破して監視官のコースを歩み始めた

30年ほど前、自分そっくりの男がやって来て、代わってくれと言ったのをまだ覚えている
あいつはなぜあんなことを言ったのか 今の自分なら喜んで受けるだろう あの頃は未熟で拒否した
あいつは例外なのだ でなければ、監視官がああも生き生きと働くわけがない

高田は眠ると、彼の顔は寝る前以上にぶよぶよした無個性な肉塊となり、
大きないびきが洩れたが、自身はもちろん自覚していない



真面目族 初出誌『野性時代』1979.11月号
吉岡誠は課長に書類を提出すると、忘れていたようだ
昨日の帰りがけ、「大至急作成してくれ」と言い、デートの約束を取り消してまで
自宅で4時間かけて仕上げたのに、うるさそうに席に戻れと合図し、書類を見ようともしない

これは毎度のことだ 課長は他人の感情に鈍感だが、己のプライドや虚栄心は強い
そして、上の連中にはまことに従順なのだ


隣席の同僚が「気にするな まともに受けていると身がもたないぞと笑う

これでいいのか? 彼はこれまで同類の連中に無数の迷惑を受けてきた
彼も同僚のようならいいがそれが出来ない 真面目人間なのだろう

そんな彼を庶務課の臼田さんが同情するような顔で見つめていた
40過ぎの係長だが、「石臼」と呼ばれるほどの真面目一点張りで、辟易するほどだ

その臼田からお昼後、お茶に誘われた

臼田:
あなたは真面目なせいでだいぶ損していますね
せっかく真面目にやっているのに評価されず、逆に不利になるなんて不公平だと思いませんか?
あなたに出てもらいたい会があるんです 真面目さを力にする集まりなんです
私がみんなに紹介しますよ

次の日曜に、臼田に教えられた場所に行った
「精神体力練成会」と書かれた部屋に入ると、10名ほど席でなにか書いている
頭上の垂れ幕には「真面目こそ力なり 真面目は武器なり」と書かれている

教師の一人が挨拶した

「とりあえず最初の学習をしていただきましょう
 このノートにあなたの好きな漢字を書けるだけたくさん書いてください」

彼は自分の名前の「誠」を書いた
キチンと書けと言われ、これが何の役に立つのか疑問に思いながらも書きつづけ、1時間ほど経った時

教師:
はい止めて それぞれの住所、氏名、、、を記入してください
今のは一人ひとりの個性と真面目度をみる重要な資料になります

この会は多くの先輩の資金援助と、集会の都度、わずかな会費を頂くことで成り立っています
私ども真面目族はこれまで随分不当な処遇を受けてきました
真面目とはそんなにいけないでしょうか? 実直より愚直だとどれほど大勢が泣いてきたでしょうか

しかし、ついにそれが報われる時代が来ました 真面目は徹底的に通せば、通るものなのです
その根気、気力を強化する方法が確立されたのです

古来、日本における主流は真面目でした
それが行き過ぎて窒息しそうだ、創造的でないと軽蔑されるようになった
それもやはり行き過ぎなのです 正しい真面目さは正当に評価されなければならない

吉岡は聴いていて心地良さを感じた 仲間がいて、指導者がいて、強化手段もあると希望がわいてきた

教師:
会合は週に1回 各自に場所・時間を知らせますが、真面目でない人には通知しません
第2レベルに行くと、具体的な方法を教え、合法的な薬品の提供も行います
私どもは第4レベルです 最高は私どもも知らないが、第8レベルまではあると知っています

次の課題は、我々のスローガンを大声で読むことです
最初は全員で50回 次に一人ずつ順番に50回ずつ 本気でやってください

「真面目こそ力なり 真面目は武器なり」みんなで怒鳴った 奇妙な恍惚感さえあった



会に入って4ヶ月が過ぎた 本当の真面目ではないと判断され、最初の集会から2人減った
その後も一人ひとり脱落していった このままでは会員が減る一方ではと聞くと
新入者候補はいくらでもいて、支部は全国に何百もあるから大丈夫と教師は笑った

忍耐力を作るため、社交ダンスのボックスをしながら、周囲からゲラゲラ笑われるなど辛抱を重ねたりした
残った5人の仲間とともに第2レベルに進級したと告げられた

「仕事こそ手を抜いてはいけない」と教師たちは厳しく言う
真面目を本気で押し通すことが大切なのだという

課長から面倒な役所の統計を今日までやれと言われ、昼食を抜いて社内に残ってやり始めた吉岡に
課長は嫌悪感を感じている 依怙地になっているとしか映らないのだろう



今日からついに第2レベルの課業に入る

教師:
これからは個人訓練が多くなります
多少厳しいでしょうが、そのうち当たり前になり、喜びを感じるようになるでしょう 実益も多くなります

まず「真面目強化法」が教えられます
同時に、先達が開発した薬品が一人ひとりに合った処方で出されます

何が真面目で、何がそうでないか良書のリストを渡します
主張を掲げながら、違うことをする言行不一致の人間を我々はもっとも忌み嫌います
なので、本人の許しを得て、嘘発見器を使い、本当に真面目にやっているか確認します

すこし窮屈になってきたぞと吉岡は思い、無意識にタバコに火をつけた

教師:
タバコもなぜ吸うかの必然性が確立されてからでなければ、無自覚の不真面目さと受け取られかねませんよ
タバコが嫌になる薬、酒が嫌いになる薬もあります

新しい教材を見て、彼は憂鬱を感じはじめたが、これまでの努力を捨てるのは惜しかった
母は、真面目すぎて見合いを何度も断られたことなど、繰り返し愚痴をこぼした

訓練はだんだん厳しくなっている 好きな読書もままならない
マンガなどは一流以外は見る必要がないという
近頃は会に出るのも億劫で、嘘発見器にすぐ出るので、注意され、今が正念場と言われた

会社では臼田さんの小型版「若臼」と呼ばれている
教師にはそれらも乗り越えなければならない関門だと励まされる

ある日、臼田さんに畑違いの仕事、相当な田舎への出張所勤務異動が出た 左遷と言ってもいい
真面目族の先輩の彼が、報われることなく、結局こういうことにしかならないのかとショックを受けた
無益の努力をしたものだ

そこに臼田がやって来た

「私は新しいチャンスを与えられた 奮励努力して、新設出張所を大きくしてみせますよ
 私は第4レベルになりました いずれ真面目族の時代が来ます 信じなさい

臼田の言葉はもう感銘を与えなかった 負け犬の遠吠えにしか思えなかった
それがまた自分の運命でもあると気づいて身が震えた
修業などきょう限りでやめるのだ 本来の本性の己でいいではないか 今日から自由なのだ



団地のドアを開けて出ようとして妻に言った

「1ヶ月に2回も子どもを親に預けて映画に行くのが知られたら、会社や近所で嫌味を言われるだろうな
 だが、官庁推薦の映画じゃないから、教育委員会のブラックリストに載せられるのは避けないと」

妻:年々窮屈になるみたい

2人は手を振り合う 夫婦仲が悪そうだと言われると、家庭生活相談員が来るかもしれないのだ
結婚して10年目 子どもも生まれた

彼が辞めた後も真面目族の組織は拡大し、徐々に世間に名乗りはじめた
彼らが頭角を現すにつれ、世間も肯定した 

真面目族の国会議員が出ると、あとは時の勢いだ
深夜放送、テレビのおふざけ番組が消えた 遊びの要素があるものはすべて排斥された

臼田は取締役となり、脱落者の自分には言葉もかけない
これでいい 今のままでいいのだ こういう生き方が本当の真面目さかもしれないと思う



オレンジの旗 初出誌『野性時代』1980.4月号
相川は、小学4年の次男と遊園地のベンチに座って
妻と中1の長男はスーパーコースターに乗るのを見ている
相川は高所恐怖症で、こうした乗り物は考えるだけで冷たい汗が出る

コースターが上昇し、降下に向かう時、前寄りにいた乗客の1人が、オレンジ色の三角旗を掲げた

次男:オレンジマンが出た!

そいつは、顔の上半分をオレンジ色のマスクで覆っている
はじめはそんな人はいなかったから、機体が動き出してから着用したのだろう

懸架式で引きちぎられそうな勢いで1周しても旗はなびいている
仮面の男は自分の安全ベルトを緩め、中腰になって旗を立てている
観衆からは我を忘れて拍手がおこった

常識的には、あんなのは馬鹿げている
中年の、何事にも非常識なものに対して抱く特有の警戒感もあるが
自分もかつてはああであり得たという記憶が重なり
あれだけ一切を賭けていることに妙に熱いものがこみあげてきた

ゴンドラが終点に向かうと仮面の男はもういなかった
乗客が降りる時、数人の警備員が尋ねるが、誰も名指しする者はなかった
「危険な行為はなさらないで下さい!」と係員が携帯マイクで注意した

次男:
オレンジマン、カッコよかったね 学校でもみんな言ってるもん
『少年ビクトリー』によく載ってるよコースターマンのこと
オレンジマンが一番カッコいいんだ



主計課副課長とう中途半端な職にある相川には、とかく雑用に近い仕事が廻ってくる
中堅の広告代理店だが、経理マンはどこにいようと変わらない

昼食を黙々と食べながら、近頃しばしば襲う生活の倦怠感、空しさをまた感じていた
これといって目標もなく、働き稼ぐ存在としているだけの自分

40代半ばになり、己の一生がおおよそ見えるようになり
時間をなし崩しに消費しているのはやり切れないが、ほかにどうすることも出来ない

そこでふとこないだのコースターマンを思い出した
遊園地のジェットコースターなどに出没し、オレンジマンは一番派手なことをやるそうだ
少なくとも自分は、あんなことで日常の重さが拭き飛ぶとは思えない
では、何をすればいいのだ?

気分直しに調度の豪華な喫茶店でコーヒーを飲んでいると
同年輩で、営業副部長をしている坪花やくもが来た
押しが強く、社内では「女親分」と言われている
またなにか大きなプロジェクトを抱えているらしい

Q興業が開発した「スペース・バトル」という、近頃のスーパーコースターよりもっとスリリングな機械だという
彼女にオレンジマンのことを話すと

やくも:
ジェットコースターは、原理上、外に放り出されないよう設計されているいるけど
最近みたいにスリルを狙う変型が出て来ると、安全ベルトなしじゃどういうはずみで落ちるか分からない

危険だから追随者が出ないよう、マスコミではあまり報じないことを申し合わせてるけど
子どもたちにとってはヒーローでカッコいいと思えるんでしょうね

そんな連中はこれまで何回か捕まったことがあるけど、せいぜい厳重説論か罰金でしょ
オレンジマンは追われても、おそろしく逃げ足が速いんだって
それに捕えるといっても遊園地は根絶する気は始めからないんだし

コースターマンが出現するような設備があると宣伝にもなるのよ
オレンジマンは定評があって、彼が出るコースターは第一級のスリルがあると保証されるんだって


待てよ・・・それを利用すればいいんだ
オレンジマンにここへは出ないでくださいと呼びかければ客はうんと来るでしょう?
それでも出てきたらやっぱり話題になるわ この線で押してみることにしよう



出張で夜行列車に乗った相川 明朝早く飛行機に乗れば間に合うが、空路など到底無理だ
4人掛けにはサラリーマン風の男が同席している

学生時代は旅行が好きで、夜行で眠ろうと思えばすぐに眠れて、翌朝も元気が回復したが、最近は眠れない
列車が大きく揺れた拍子に、前の男のボストンバッグが滑り落ち、
中からオレンジ色の巻いた布地と金属棒が転がり出た

目の前の眠っている男がオレンジマン?
男は目を覚まし、慌ててバッグを拾った

相川:
失礼ですが、この前、遊園地でお見かけしたように思います
私は警察でも遊園地の関係者でもありません
ただ野次馬として聞きたいんですが、僕は高所恐怖症なんです
あんなことして、恐ろしくはありませんか?

男:恐ろしいと言えば恐ろしい そうでないと言えばそうでなし・・・

男にはどこの訛りなのか、馴れていない言葉を使っているような感じがある

相川:それじゃなぜ? もやもやがスカッとするからでしょうか?

男:
自分を追い詰めたいからというところでしょうか
私は記憶喪失者なんです 2年前までのことを何も覚えていない

ここまではみんな同情してくれるが、その後は誰も信用してくれない
実は、私はこの世界の人間ではないのです よそから紛れ込んで来たんです
妄想となさっても結構です

私は別の世界の宇宙船のパイロットで 異種族の攻撃を受けて爆発寸前でした
死ぬのは嫌で、なんとか逃げ出したいと必死に念じて意識を失い、気づくと、素裸でこの世界にいたんです

なんとか適応するしかなく、記憶喪失を装い、宇宙船の乗組員の知識を利用して割りのいい仕事に就いた
でも、ここではアルバイトで、私の専門を活かせる場がない ここで一生を終えたくはない

ここでも自分を追い詰めれば、また転移が起こるかもしれないと思い
コースターなら自分以外に危険が及ばない

もしこの世界から抜け出しても、今より良くなるとは限らない
でも大きな変化を求めるなら、思い切るべき時があるんじゃないでしょうか?
私は明日、ある遊園地に行き、2、3度機械を試してからあれを決行するか判断します

相川は日常への不満があるなら、どこかで踏ん切らなければならないと
漠然と感じていたものの、明確に意識したことはなかった



帰宅すると誰もいなかった
息子は塾に通い、妻はPTAの会合の帰りに子どもを迎えに行くとメモがある
習慣的にテレビをつけるとニュースをやっている

「今日、遊園地の乗り物から、安全ベルトを自分でほどいた客が、外へ放り出される事件がありました
 スペース・バトルという乗り物で・・・」


それは坪花が言っていたものだ 企画を通し、オレンジマンに訴える広告を実行し
非常な人気を呼びつつあると聞いていた おそるべきスリルを与える代物で
さすがのコースターマンたちも1人も出ていないようだったが
出たとすれば、それは夜行列車で会ったあの男じゃないだろうか?

映像を見るとオレンジマンが旗を振っている 逆方向に曲がり、沈んだ瞬間
彼の体がゴンドラから離れて宙に浮き、落下
だが、まるで服だけという感じではないか?

「落ちた人の行方を捜したものの、服、下着、旗、マスクだけで本人を発見できませんでした」

あの男との出会いの興奮は時間とともに風化し、これまで同様の時間が過ぎて忘れていた
あの話も妄想かもしれないと思うようになっていた
今は真実だという気がする あいつは別世界に脱出したのだ

それは・・・自分にもやれることなのかもしれない
何かから始めなければならない



スーパーコースターはゆっくり頂上に引き上げられる
最後尾に座った相川は体が震えるのをどうしようも出来ない

耐えなければならない 馴れるのだ そしていずれはポケットに入れた白い旗を振ってみせる
最後にはオレンジ色の三角旗にするのだ

ひょっとしたら、落ちるかもしれない 死ぬかもしれない
彼のように別世界へ飛ぶかもしれない それでいいのだ
これまでの倦怠とおさらばすることだけは間違いない

ついさっきまでの体の震えが止まっている
機体がガラガラと急降下を始めた




【解説 谷甲州 内容抜粋メモ】
先輩作家の作品について解説を書くのはまことにやりにくい
まして大先輩の眉村さんとなるとなおさらだ

学生時代、毎週のように自作のショートショートを眉村さんに送りつけて採点してもらっていたことがある
眉村さんのDJの番組で「リーダーズ・ストーリー」「ショート・ノベル塾」のラジオ版のようなものだ

本書は「野性時代」の1978~1980に発表された7つの短篇を集めている
この2年間は、日本のSFにとってかなり意味があった

1978年に封切られた『スター・ウォーズ』をきっかけに、世間ではSFブームになったらしい
らしいというのは、私はそれを目撃していない
私は幸か不幸か、この時期に日本を離れていた

ブームを当て込んだSFまがいも多かった
それが悪いというのではない もともとSFの9割は屑と相場が決まっている(!

本書はそのブームの真っ只中に発表されたにしてはいかにも地味で真面目なSFなのだ

「異なる視点で、見慣れた世界を 違った角度で見る」

これはSFで得られる特権だ
視点というより「ものの見方」と言ったほうがいい

「セリョーナ」では、結末の底の深さ、恐ろしさは見事だ

「古い録感」に出て来る「実感装置」は眉村SFにはよく使われる小道具で
視点の変化にこの頃から執着していたのではないかという気がする

その後の短篇でも、読者としては騙される快感を感じるはずだ

「オレンジの旗」の最後では、視点は未知に向かって突っ込んでいき、読者はあとに残される

ここには不変なものは何もない
時代が変わっても、これだけは変わらないと信じていたものも、ごく自然に変化していく

これらの作品群はSFであることにこだわっている
これはブームとは無関係で、眉村がとり続けている視点なのだ



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