メランコリア

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ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

ボブ・ディラン ノーベル賞詩人 魔法の言葉@NHKスペシャル

2018-11-04 15:46:10 | 音楽&ライブ
語り:長塚圭史

出演:オダギリジョー





【内容抜粋メモ】




フロリダ11月下旬





その男に会うことはこの世で最も難しいことのように思われた
コンサート会場では、敷地内のいたるところで厳戒態勢が敷かれている

(男が寄ってくる

「撮影はやめてくれ 彼は撮影を嫌がっている 私に止めさせろと指示した」



ノーベル文学賞受賞
75歳となったボブが今年世界を驚かせた
ミュージシャンがノーベル文学賞を受賞するのは史上初めてのことだった




ボブは言葉を自由に操る
誰にも書けないような歌詞を書く ポップミュージックの革命者

しかし、その言葉の意味するところは不可解で難解だ






Mr. Tambourine Man




Oh, Sister

Visions of Johanna



500曲を超える手書きの原稿
その謎だらけのボブを語りうる貴重な発見があった

Ballad of a Thin Man

One of Us Must Know (Sooner or Later)






スタッフ:まるで何かを探しているようです 終わりのない何かを

ボブは、魔法の言葉をどのようにして編み出してきたのか
そして75歳となった今 言葉はどこに向かっているのか


昔ディランはこう言った

「どこにあるかもわからない 自分の家を探し続けている」



ディランを知る男
ボストン郊外 11月中旬
ボブとの接触を試み始めたのは11月中旬のことだった
だが、ガードが固く全く埒があかない
私たちはまず、ディランをよく知る伝説的なミュージシャンを訪ねることにした

アル・クーパー(72)
彼がディランと知り合ったのは50年以上前のことだ





オルガニストとして、いくつもの名作をともにレコーディングしている
言葉に対するボブの並外れた執念を目の当たりにしてきた
クーパーにとってディランとの録音は驚きの連続だった



アル:
変わった男だった
ディランとは途方もない時間を一緒に過ごしたよ
初めての録音は♪Like a Rolling Stone だ



ボブのレコーディングでは、曲ではなく彼の詩で待たされるんだ
だから俺たちは卓球ばかりしていた

彼はいつまでも歌詞を書き直し続けるからな
音楽家と詩人 彼には2つの顔があったのさ


【1965年6月16日 リハーサル音源】



D:違うな あそこをどうするか・・・

話に区切りがついた頃、クーパーにこう頼んだ 「ディランに渡りをつけてはくれないか?」

アル:
実は彼に最後に会ったのは15年も前で、それ以来連絡を取り合ってはいないんだ
だから分からない どうすれば会えるかなんて見当もつかない
今やなんといってもノーベル賞詩人だからねw



ディランを探して
世界で居場所を知るものはわずか数人とも言われるディラン
確かなことは50年以上途切れることなく600を超える歌を作り続けてきたということだけだ


【1963年7月 ニューポート・フォークフェスティバル】
フォークギターを抱えたディランが颯爽と現れたのは20歳の時だった

第三次世界大戦を語るブルース
おかしな夢を見たんだ第三次世界大戦の夢さ
次の日医者に行ったら悪い夢だと言われたよ




Only A Pawn In Their Game




若きディランが題材としたのは「東西冷戦」「核の脅威」など時事問題

アメリカが「ベトナム戦争」に本格的に介入を始めると、
「戦争と正義」についても歌詞に取り込んでいく
だがそれは、単に正義を振りかざすものではなく、戦争の本質に言葉で挑んだものだった











お前らは大砲作り爆弾を作る 「戦争の親玉」(1963)

Masters of War
それでいて弾丸が飛び交い始めたら どこかへ消えちまうんだろう?
お前らが死ぬ時は墓場までついていくぞ
そして本当に死んだと 俺が確信できるまで お前らの墓を踏みつけてやる


安全地帯にいる者や、戦争を商売にする者への言葉は鋭く激しい

Blowin' in the Wind

B:風に吹かれて をみんなで歌うよ

(みんなで合唱 バックコーラスの中にはジョーン・バエズもいた






“どれだけ砲弾が飛び交えば 武器は永遠に禁じられるのか?
 友よ、答えは 風の中にある”











ディランはノーベル賞授賞式に出席しないと発表
11月18日 取材を始めて数日後 ディランを伝える緊急ニュースが全世界に配信された



通訳の女性:
この記事によると、ディランがスウェーデンに手紙を出して「行けません」という事でした
「12月10日の授賞式には出ない」と 欠席の理由は「先約があるから」

その2日後 ディランサイドからインタビューについて返事が届いた

通訳の女性:
コンサートの取材とインタビューについて両方とも難しいそうです 今のところは
あなた達だけではなくて、取材を受けないことは、数十年前からのポリシーということです
協力的に行っているので、ノーというところは本当にノーなんだと

ディランの声が聞きたいという希望はこれでついえた





ボブ・ディラン資料庫



11月27日 ディランサイドから不思議なメールが届いた
「タルサという街に来ればいいものが撮影できる」と書かれていた

アメリカ中西部のオクラホマ州タルサ 指定された場所に向かう
「タルサ大学」 私たちは待った



現れた男は、ディランの膨大な資料を管理する人物だった

ボブ・ディラン資料庫責任者 マイケル・チェイキン
タルサへようこそ 君たちが期待するものを見せるよ



ディランの自宅から集められた6000点もの資料
その一部を特別に撮影させてくれるという



自宅に眠っていたステージ衣装、写真嫌いのディランがなぜか手元に置いていた未公開の写真








数多の名曲が記されたオリジナルの楽譜もあった
最も大事に保管されていたのは、500曲を超えるという歌詞の下書きだ


Knockin' On Heaven's Door












Chimes of Freedom


Maggie's Farm



ディランの肉質は語る
1964年から現在に至るまで、数々の名曲が生まれた瞬間がそのままの姿で保存されている
直筆の歌詞は、ホテルの便箋やレシートなどなどにも手当たり次第書き殴られていた
車に乗っている時、友人とくつろいでいる時



思いついた単語があればディランはすぐにメモしていたと言う
街を歩いている時も、気になる文字が目に飛び込んでくると、いきなり言葉遊びが始まる










直筆の下書きには、様々な言葉を連想した形跡も残っていた
「パズルのピース」「身震い」「振動」「少年兵」「悪天候」

同じ曲の中の言葉とは思えない不思議な単語の数々
単語は一つの文章となり、鮮やかな世界を作り出した


Who Killed Davey Moore?



レフリー:俺じゃない 途中で試合を止めたら客が怒るだろう
観客:俺じゃない 俺たちは汗を見たかっただけさ
記者:俺じゃない どんなスポーツも危険は同じだ

俺じゃない、と本当に殺した奴が言う
奴が死んだのは運命 神の思し召しだ、と



ディランは変わる

昔ディランはこう言った

「今日はハロウィンだから、ボブ・ディランの仮面でもかぶっていくか」


【1965年7月 ニューポート・フォーク・フェスティバル】
ディランは、フォーク界の最大のスターになっていた



しかしこの日、ステージに登場したディランが持っていたのはエレキギターだった
激しいビートに乗せて自作のロックを歌いだす

“マギーの農場で働くのはもうまっぴらだ”

フォークソングを期待していた会場はブーイングの嵐となった
異様な雰囲気の中で新曲が披露される

Like a Rolling Stone





一人の女性の流転の人生を歌っている
ロックの歌詞に初めて物語性を持ち込んだとも言われる画期的な曲だ

物語はこうはじまる



昔はぶりのいい女性がいた
いい服を着て、学歴も財力もあり、付き合う男はインテリの外交官
それが今ではたった一人で帰る家もない

そしてディランがこだわったというサビでは、一転して挑発的な問いが繰り返される

“どんな気がする? ひとりっきりってことは
 帰る家がないってことは 誰からも知られていないってことは
 転がる石のようだってことは”








「転がる石のように」とは?
ディランは具体的な問いを語りかけている
しかし最後の問いだけが奇妙なのだ
「転がる石のように」とは何を意味するのか?



この比喩は、2つの解釈が可能だ
転落、脱落、落伍者、転がり落ちる人生
もう一つは、脱出、前進、解放されること しがらみから解放された 自由な生き方

両極端の解釈が聞き手に委ねられる
女性は転落したのか それとも自由になったのか

しかし多くのファンは、従来の歌を歌わなかったディランに不満を抱いただけだった






だがディランは♪Like a Rolling Stone を歌い続けた





【1965年のライヴ】
客:ユダ!(裏切り者)
D:俺はお前らを信じない 嘘つきめ でっかい音で行こうぜ!







(この辺のくだりは、ディランのファンにはよく知られているエピソード 後ろはTHE BANDだ

曲が終わると大歓声の中「じゃあな」と言って去るディラン



ディランは解体する
ディランはどのように歌詞を作り上げてきたのか
その謎に光を当てる新たな発見があの資料館であった

1975年頃 30代半ばのディランが歌詞を書き留めるために使った古い手帳だ



スタッフ:ディランは誰にも言わずこの手帳をこっそりとっていたんです

手帳にはディランの作品の中でも極めて複雑な世界観で知られるヒット曲の下書きがあった


Tangled Up in Blue(大好きな曲の一つ

まだ路上 今もどこかを探し続けている
私たちは同じように感じていたが
違う視点から見ていたらしい

ブルーにこんがらがって


歌われるのは、自らをモデルにしたという男女の物語
愛した女と別れ、長い旅に出かける男の痛みを内省的な言葉で語られている

しかし、ディランが手帳に書いていた歌詞は完成版とは全く違っていた
物語が語られていく順番も大きく異なっている

最初に書かれている歌詞のブロックが、完成形では一番最後へ
他のブロックも大胆に入れ替えられている
ディランは、あえて下書きを解体し、バラバラに組み合わせて再構築していたのだ






ディランの意図は何なのか?
ディランの言葉の変遷を研究するハーバード大学文学論 リチャード・トーマス教授はこう分析する

リチャード:
ディランはその不安定さを強調することで、
不完全な人間の存在を強く提示しようとしたのではないか?



ディランは、人間とは何かを捉える能力が傑出しています
しかもそれを音楽と歌の組み合わせで伝えることができる
文学が担ってきた役割を音楽活動によって果たしているのです


さらに完成したはずの歌詞を、ディランはもう一度書き換えている
主語は「私」から「彼」となり、物語自体も男女の恋愛というより
個人と世界との関係性を歌っているように聞こえる
ディランは歌う “地球は平らなのか 丸いのか”



ディランは沈黙する




Man In The Long Black Coat(1989)

人間を見つめる作品が増える一方で、ディラン自身は公の場にほとんど姿を見せなくなっていた

故郷ミネソタ州を捨て、言葉と格闘し 長い沈黙の時代へ
メディアに露出しないディランを世間はこう思うようになっていた

「ディランは隠遁してしまった もはや過去の人なのだ」


その沈黙の時代、数年に一度ではあったが、ディランのインタビューを続ける記者が1人だけいた

エドナ・ガンダーソン記者:
ディランは他の表現者とは違います
メディアに媚びませんし、自分に関心が向くことも求めません

ここ何十年も静かな生活を守り続けています
彼は話題を提供するだけのセレブ達とは違います
公共の場所は心地の良いところではないのです


そして50代が近づくと、暗示に満ちた言葉を吐き始める

Everything Is Broken(1989)




切れた線
割れた瓶
壊れた偶像
破られた誓い
何もかも壊れる


1989年「ベルリンの壁崩壊」
“何もかも壊れる”と歌ったその年、東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊した
激動の時代が始まる






1991年から「旧ユーゴスラビア内戦」 やがて血で血を洗う戦争が始まる
破壊と憎しみが世界を覆う




崩れ落ちた門
折れたナイフ
破られた法律
何もかも壊れる


1991年「湾岸戦争」

その後、唯一の超大国となったアメリカは、世界中の紛争に積極的に介入していくようになった







悲しみと憎しみが 世界に撒き散らされる
祈りの声も聞こえない
まだまっ暗闇ではないが
じきにそうなる


【2001年 ニューヨーク グリニッジビレッジ】
アメリカに忘れがたい傷を残したその年、ディランのニューヨーク公演を間近で見たファンがいた



書店店主:
それは60歳を越えたディランが行った伝説のライブだった
あの夜のライブチケットは、どの店でも売り切れだった
あの夜、ディランは私たちの何かを激しく揺さぶったのです


2001年9月11日
アメリカに憎しみを抱いた者たちがこの街を破壊した
悲しみが残り、激しい言葉が踊った



正義と幸福が叫ばれ、多くの文化活動は自粛に追い込まれた
だがディランはニューヨークのステージに立ったのだ


【2001年11月19日 マジソンスクエアガーデン】
観客が隠し撮りした映像だが、ディランサイドは特別に放送を許可した



“輝く光を待とう ともに合図を待ち続けよう”








1時間が過ぎた時、普段ならありえないことが起きた
演奏の途中でディランが語り始めたのだ



D:
みんな、俺はここにいるぜ
俺の音楽はニューヨーク生まれた そうだろう?
レコーディングだって、今もニューヨークだ
どれだけ大切な街がわかるだろう





終わりなき言葉
アメリカを離れる直前、ディランの言葉が眠る資料館でまた新たな発見があった

スタッフ:
この箱は最近のものです
すべて1つの曲の歌詞です
長い長い曲なんです




Tempest(2012)

箱の中にあったのは、2012年に発表されたアルバムの表題曲だった
ディラン71歳の時の作品だ

様々な紙に書かれた歌詞は、実に45番まで続く
そこには、世界の終末を予感させる言葉がいくつも重ねられていた
タイタニック号の沈没をモチーフに、死に向かう人々を歌う




白い月
薔薇は輝く
西の町を出航する
女は船が沈む悲しい物語を語り始める

海へ沈み始める
地球が口を開ける
名前を叫ぶ声がする
天使がそっぽを向いた

その道は狭く
闇が満たされていた
様々な悲しみ味わった


70歳を越えたディランは、45番までの言葉で何を伝えたかったのか
救いのない世界の絶望なのか 死にゆく者たちへの弔いか

だがディランは何も答えない
しゃがれた声でこれからも歌い続けるだけだ


花は散った
全ては散った
あまりに長い時










番組直後に流れた番宣




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