・伊勢神宮~人はなぜ伊勢を目指す?~(前編)@ブラタモリ
【内容抜粋メモ】
●「文化6年に旅行した道中記」
丸岡さん:
実は3年前に、東京の江東区で、こういうものが見つかりまして
道中記なんですけれども 丸岡家に泊まったという記事が出ています
牧野さんという方が、総勢17人で、伊勢滞在は5泊6日
二見(地名)でお参りして、みそぎをして、それから御師宅に着いている
次の日は、朝から外宮参拝、昼から「御神楽」を観た
「倭舞」
五穀豊穣や、家内安全を感謝し、舞をおさめる
江戸時代は、御師宅にある神楽殿で行われていた
丸岡さん:
御神楽にはランクがありまして、規模が大きくなるほど、時間もお金もかかったんです
記録には「大々神楽」って書いてあります これは最上級の御神楽なんです
最上ランクの神楽は6時間くらいやっている
休憩を入れてお菓子を食べたり、酒も飲んだり、食事もしたり
それもお伊勢参りの楽しみのひとつ
●御師・丸岡家 秘伝の献立とは? お客が食べたご飯の内容も記録に残っている
丸岡さん:
資料の中で一番古い 300年前の献立です
是非食べていただきたいのが、鯛のお刺身
「煎り酒」
酒に梅干しなどを加えて煮詰めた調味料
タ:醤油をつけると、本来の味が分からなくなるから
メニューもあり、その時、お客さんが食べた並びまで載っている
千枝さん:
お神楽も、案内も、お土産も、全て込みで
牧野家の古文書から見ると、17人、5泊6日で60両
今で計算すると600万円から、場合によっては1000万円くらいかかった
タ:丸岡家は相当儲かったんじゃないですか?
丸岡さん:
いいえ、借金しているんですw
文化6年(1809)に25両 町内会から借りている
文化6年は、牧野さんが来られた時と同じ
先ほどの後なんですけど、29日の夕方「古市(地名)」へ行ったと書かれてあります
牧野さんはご夫婦連れでしたから、夜の8時くらいに帰っているが他の人は分からない
夕食や夜食はいらないと書いてある
タ:聖なるものの横には俗が必ず寄り添ってますからねw
●「古市」は、遊郭があった 一大歓楽街
「麻吉」江戸時代創業の老舗旅館 建物は国登録有形文化財
千枝さん:遊郭ではないんですけど、料理旅館ですね
「懸造り」
傾斜が急な崖や渓谷の上に建てる建築様式 清水寺本堂などが有名
(雅叙園もそうかな?
・福ねこat百段階段 展@ホテル雅叙園~和室で楽しむねこアート~(2017.5.10 ネタバレ注意
麻吉の女将・上田さん:
5階建ての見晴らしの良い最上階へどうぞ
てっぺんの座敷だと思っております
上田さん:
お伊勢参りの後に、この場所に上りつめて、お酒を飲んで、
伊勢音頭を歌ったり、踊ったり、楽しい時間を過ごすのが当時の憧れ
千枝さん:至れり尽くせりなのが「お伊勢参り」
当時の再現CG
●全国の商人が目指した町
タ:問屋街ですね
千枝さん:
門前町に卸す食材や日用雑貨が、川を遡ってここまで持ってきていた
全国から商人が船で伊勢に来る それで発展した町がこの河崎です
酒問屋、魚問屋さんが商売替えして陶器屋さんになったり
タ:レールがありますね レールの上に台車をのせて、向こうの倉庫に運んでいたんだ
千枝さん:
ここで終わっていなくて、川まで繋がっていたと考えられる
河崎には川から荷揚げするための専用の坂道が何本もあった
大量の物資を蓄える奥行きの長い蔵が通り沿いに並んでいた
●日本最初の紙幣 「山田羽書」
富田さんのお宅は、薪炭など燃料と甘藷(さつまいも)を北海道から九州まで取引していた
「山田羽書」
羽書と書いてはがき 江戸時代の初めから明治まで流通していた「お札」
日本最初の紙幣は、伊勢生まれ/驚
金や銀などへ換金できる「兌換紙幣」だった
この一枚で銀3分と交換できる
千枝さん:
かなり信用力が高かったので、桑名や名古屋(尾張藩)でも使われていた
そのうち藩も「藩札」という地域通貨を刷るようになった その最初が伊勢
山田羽書は、7年に一度回収して新札を出す それが信用力の元になっている
実は他の藩札の中に「ニセ金」もあるんです これ手書きなんです
千枝さん:御師たちがグループを組んで信用力を高めていた 銀行みたいなこともやってるんです
●明治以降 人はどう伊勢を目指したか?
三重大学高額研究科 准教授・浅野さん:明治に入ると御師がいなくなった
明治4年(1871)御師制度廃止
浅野さん:
こちらの道路は「御幸道路」 御幸は「天皇が外出する」という意味です
明治天皇が参拝をするのにふさわしい近代的な道をとつくられた
終点が23番になったのは戦後なんです 戦前は1番だった
●85年前に開業した駅舎へ 「近鉄 宇治山田駅」
浅野さん:昭和6年にできたのですが 、突然ヨーロッパ風の立派な建物ができて不思議に思いませんか?
近畿日本鉄道株式会社 秘書広報部主査・福原さん:
大阪から宇治山田まで路線をひくために、莫大なお金を使って、社運をかけた駅舎なんです
タイル部分は「テラコッタ(陶器)」です
お伊勢さんにお参りするための駅を作ったんですけれども
駅だけを見に来るたくさんのお客様がいらっしゃった(今の東京駅みたい
大阪⇔伊勢間を2時間半 日帰り参拝を可能にした
●ホームに驚きの工夫が
「神都バス」
昭和36年まで外宮と内宮の間を走った 路面電車をモチーフに作られたバス
福原さん:ホームにも伊勢を目指していただくための工夫があります
タ:ホームに出たんですね 降りたお客さんがバスに乗り換えるための施設なんですか?
「転車台」
バスの進行方向を変えるために使われた転車台
●内宮へ線路を延ばすための 幻の痕跡!?
2階建ての「ビスタカー」が通り過ぎた
タ:大人気で全然席が取れないんですよ
福原さん:
信号機の手前の鉄柱と、信号機の向こうの鉄柱のジョイント部分を見てください
八角形のジョイントから横に鉄柱が出てケーブルを支えている
タ:線路を増設するときも対応できるように
福原さん:
JR(国鉄)、近鉄(参宮急行)大きな鉄道会社が
すべて外宮に集中していて、内宮には駅がないですよね
タ:分岐させて一つを内宮に行こうかと
福原さん:
80年前の先輩は、何か僕に訴えてくれたのかなと
個人的な発見なんですけれども、タモリさん認定していただけますか?
タ:認定します
●人気観光地に隠された驚きの歴史とは?
「おはらい町」
内宮前の参宮街道の終点にある町 年間500万人が訪れる一大観光地
浅野さん:
このにぎわいが生まれたのは、この20年の間なんです
昭和の頃は、観光客が一時期かなり減ってしまった
この写真は30~40年前のおはらい町
昭和40年代 鉄道や観光バスによる参拝が主流になり
「日本一滞在時間の短い観光地」となってしまった
そこで地元の人たちがおはらい町の中に入っていただくように
新しいまちづくりに挑戦していくんです
(私たちも行ったな 天気のせいか、こんなに混んではいなかった
お土産はもちろん、屋台などの食べ物屋さんが多かったような?
●人が入りたくなる町づくりとは?
浅野さん:この建物はとても古そうに見えますが
タ:瓦が古くないですよね
浅野さん:このお店で40年前位に改築された
タ:奥は新しいですね
「伊勢市まちなみ保全事業」
通りに面した外観の建築様式を統一 江戸時代の門前町のイメージにした
年間20万人だった観光客が→年間500万人になった
●伊勢ならではのキーワードが関係している!?
浅野さん:
国道1号の御幸通り、宇治山田駅、これらの町づくりの背景には共通するキーワードがあるんです
伊勢では「式年遷宮」を目標に、いろんな都市計画が進んでいきます
20年に一度、都市を成長させる仕組みや、きっかけを持つ町は伊勢だけです
「明治以降の式年遷宮」
「伊勢うどん」
柔らかく、コシのない麺と、たまり醤油を使った真っ黒なつゆが独特
伊勢うどん、もちもちしてて美味しかったなあ! 1日に2回食べた また食べたい!
【内容抜粋メモ】
●「文化6年に旅行した道中記」
丸岡さん:
実は3年前に、東京の江東区で、こういうものが見つかりまして
道中記なんですけれども 丸岡家に泊まったという記事が出ています
牧野さんという方が、総勢17人で、伊勢滞在は5泊6日
二見(地名)でお参りして、みそぎをして、それから御師宅に着いている
次の日は、朝から外宮参拝、昼から「御神楽」を観た
「倭舞」
五穀豊穣や、家内安全を感謝し、舞をおさめる
江戸時代は、御師宅にある神楽殿で行われていた
丸岡さん:
御神楽にはランクがありまして、規模が大きくなるほど、時間もお金もかかったんです
記録には「大々神楽」って書いてあります これは最上級の御神楽なんです
最上ランクの神楽は6時間くらいやっている
休憩を入れてお菓子を食べたり、酒も飲んだり、食事もしたり
それもお伊勢参りの楽しみのひとつ
●御師・丸岡家 秘伝の献立とは? お客が食べたご飯の内容も記録に残っている
丸岡さん:
資料の中で一番古い 300年前の献立です
是非食べていただきたいのが、鯛のお刺身
「煎り酒」
酒に梅干しなどを加えて煮詰めた調味料
タ:醤油をつけると、本来の味が分からなくなるから
メニューもあり、その時、お客さんが食べた並びまで載っている
千枝さん:
お神楽も、案内も、お土産も、全て込みで
牧野家の古文書から見ると、17人、5泊6日で60両
今で計算すると600万円から、場合によっては1000万円くらいかかった
タ:丸岡家は相当儲かったんじゃないですか?
丸岡さん:
いいえ、借金しているんですw
文化6年(1809)に25両 町内会から借りている
文化6年は、牧野さんが来られた時と同じ
先ほどの後なんですけど、29日の夕方「古市(地名)」へ行ったと書かれてあります
牧野さんはご夫婦連れでしたから、夜の8時くらいに帰っているが他の人は分からない
夕食や夜食はいらないと書いてある
タ:聖なるものの横には俗が必ず寄り添ってますからねw
●「古市」は、遊郭があった 一大歓楽街
「麻吉」江戸時代創業の老舗旅館 建物は国登録有形文化財
千枝さん:遊郭ではないんですけど、料理旅館ですね
「懸造り」
傾斜が急な崖や渓谷の上に建てる建築様式 清水寺本堂などが有名
(雅叙園もそうかな?
・福ねこat百段階段 展@ホテル雅叙園~和室で楽しむねこアート~(2017.5.10 ネタバレ注意
麻吉の女将・上田さん:
5階建ての見晴らしの良い最上階へどうぞ
てっぺんの座敷だと思っております
上田さん:
お伊勢参りの後に、この場所に上りつめて、お酒を飲んで、
伊勢音頭を歌ったり、踊ったり、楽しい時間を過ごすのが当時の憧れ
千枝さん:至れり尽くせりなのが「お伊勢参り」
当時の再現CG
●全国の商人が目指した町
タ:問屋街ですね
千枝さん:
門前町に卸す食材や日用雑貨が、川を遡ってここまで持ってきていた
全国から商人が船で伊勢に来る それで発展した町がこの河崎です
酒問屋、魚問屋さんが商売替えして陶器屋さんになったり
タ:レールがありますね レールの上に台車をのせて、向こうの倉庫に運んでいたんだ
千枝さん:
ここで終わっていなくて、川まで繋がっていたと考えられる
河崎には川から荷揚げするための専用の坂道が何本もあった
大量の物資を蓄える奥行きの長い蔵が通り沿いに並んでいた
●日本最初の紙幣 「山田羽書」
富田さんのお宅は、薪炭など燃料と甘藷(さつまいも)を北海道から九州まで取引していた
「山田羽書」
羽書と書いてはがき 江戸時代の初めから明治まで流通していた「お札」
日本最初の紙幣は、伊勢生まれ/驚
金や銀などへ換金できる「兌換紙幣」だった
この一枚で銀3分と交換できる
千枝さん:
かなり信用力が高かったので、桑名や名古屋(尾張藩)でも使われていた
そのうち藩も「藩札」という地域通貨を刷るようになった その最初が伊勢
山田羽書は、7年に一度回収して新札を出す それが信用力の元になっている
実は他の藩札の中に「ニセ金」もあるんです これ手書きなんです
千枝さん:御師たちがグループを組んで信用力を高めていた 銀行みたいなこともやってるんです
●明治以降 人はどう伊勢を目指したか?
三重大学高額研究科 准教授・浅野さん:明治に入ると御師がいなくなった
明治4年(1871)御師制度廃止
浅野さん:
こちらの道路は「御幸道路」 御幸は「天皇が外出する」という意味です
明治天皇が参拝をするのにふさわしい近代的な道をとつくられた
終点が23番になったのは戦後なんです 戦前は1番だった
●85年前に開業した駅舎へ 「近鉄 宇治山田駅」
浅野さん:昭和6年にできたのですが 、突然ヨーロッパ風の立派な建物ができて不思議に思いませんか?
近畿日本鉄道株式会社 秘書広報部主査・福原さん:
大阪から宇治山田まで路線をひくために、莫大なお金を使って、社運をかけた駅舎なんです
タイル部分は「テラコッタ(陶器)」です
お伊勢さんにお参りするための駅を作ったんですけれども
駅だけを見に来るたくさんのお客様がいらっしゃった(今の東京駅みたい
大阪⇔伊勢間を2時間半 日帰り参拝を可能にした
●ホームに驚きの工夫が
「神都バス」
昭和36年まで外宮と内宮の間を走った 路面電車をモチーフに作られたバス
福原さん:ホームにも伊勢を目指していただくための工夫があります
タ:ホームに出たんですね 降りたお客さんがバスに乗り換えるための施設なんですか?
「転車台」
バスの進行方向を変えるために使われた転車台
●内宮へ線路を延ばすための 幻の痕跡!?
2階建ての「ビスタカー」が通り過ぎた
タ:大人気で全然席が取れないんですよ
福原さん:
信号機の手前の鉄柱と、信号機の向こうの鉄柱のジョイント部分を見てください
八角形のジョイントから横に鉄柱が出てケーブルを支えている
タ:線路を増設するときも対応できるように
福原さん:
JR(国鉄)、近鉄(参宮急行)大きな鉄道会社が
すべて外宮に集中していて、内宮には駅がないですよね
タ:分岐させて一つを内宮に行こうかと
福原さん:
80年前の先輩は、何か僕に訴えてくれたのかなと
個人的な発見なんですけれども、タモリさん認定していただけますか?
タ:認定します
●人気観光地に隠された驚きの歴史とは?
「おはらい町」
内宮前の参宮街道の終点にある町 年間500万人が訪れる一大観光地
浅野さん:
このにぎわいが生まれたのは、この20年の間なんです
昭和の頃は、観光客が一時期かなり減ってしまった
この写真は30~40年前のおはらい町
昭和40年代 鉄道や観光バスによる参拝が主流になり
「日本一滞在時間の短い観光地」となってしまった
そこで地元の人たちがおはらい町の中に入っていただくように
新しいまちづくりに挑戦していくんです
(私たちも行ったな 天気のせいか、こんなに混んではいなかった
お土産はもちろん、屋台などの食べ物屋さんが多かったような?
●人が入りたくなる町づくりとは?
浅野さん:この建物はとても古そうに見えますが
タ:瓦が古くないですよね
浅野さん:このお店で40年前位に改築された
タ:奥は新しいですね
「伊勢市まちなみ保全事業」
通りに面した外観の建築様式を統一 江戸時代の門前町のイメージにした
年間20万人だった観光客が→年間500万人になった
●伊勢ならではのキーワードが関係している!?
浅野さん:
国道1号の御幸通り、宇治山田駅、これらの町づくりの背景には共通するキーワードがあるんです
伊勢では「式年遷宮」を目標に、いろんな都市計画が進んでいきます
20年に一度、都市を成長させる仕組みや、きっかけを持つ町は伊勢だけです
「明治以降の式年遷宮」
「伊勢うどん」
柔らかく、コシのない麺と、たまり醤油を使った真っ黒なつゆが独特
伊勢うどん、もちもちしてて美味しかったなあ! 1日に2回食べた また食べたい!