北京の地下鉄に乗ると物乞いの姿が目に付く。夏になってから大量の乞がが涼しい地下鉄で物乞いを行うため車内秩序に影響がでているのだ。
今年35歳になる馮さんは安徽省合肥から北京にやって来。小さい頃に機会で足を切断してしまった。生活にも困り、妻にも看病する金がなかったため2004年に同郷人と共に北京にやってきて物乞いを始めたという。「私は2日1回、午前9~11時、午後2~4時、晩の7時から10時まで地下鉄2号線で「仕事」をします。1日の稼ぎはだいたい6~70元。多いときには100元くらい稼ぐよ」と彼は言う。
四川省の逹州からやって来た李さんの話では、北京の西、苹果園(地下鉄1号線の終着駅)には地下鉄で物乞いをする人達のたまり場があって少なくとも5~60人がいるという。
彼らは同郷で集まり、月150元の部屋を借りて住んでいる。ここは安いだけでなく地下鉄の駅にも近い。安徽、河南、四川から来た人達は組織化し助け合いながら、縄張りをもって物乞い活動をしているという。
北京市内の石景山には彼らの支援施設があり、100人程を収容できるようになっているが、現在終了されているのは6人、うち2人はそこを出たがっているという。
片や支援施設はガラガラ、片や地下鉄車内は物乞いで溢れている。その謎を馮さんが教えてくれた。「物乞いをすれば金にはなるが、施設に入っていても金にはならない。物乞いの中には仲間同士が組織化され、重要な構成員となっているから一度仲間から離れると、全体の収益に影響するのさ。それにもこんな生活に慣れてしまっているし、施設に入っても10日間しかいられなくてその後は田舎に帰らされてしまう。帰ったからといって食い扶持があるわけでもないしね。結局は乞食をすることになるのさ。」
「言うことも聞かず、支援も受け入れない。諭してもダメで、制止にも従わない」物乞い達に、民政、公安、交通などの各部門が頭を痛めている。
【北青網】
今年35歳になる馮さんは安徽省合肥から北京にやって来。小さい頃に機会で足を切断してしまった。生活にも困り、妻にも看病する金がなかったため2004年に同郷人と共に北京にやってきて物乞いを始めたという。「私は2日1回、午前9~11時、午後2~4時、晩の7時から10時まで地下鉄2号線で「仕事」をします。1日の稼ぎはだいたい6~70元。多いときには100元くらい稼ぐよ」と彼は言う。
四川省の逹州からやって来た李さんの話では、北京の西、苹果園(地下鉄1号線の終着駅)には地下鉄で物乞いをする人達のたまり場があって少なくとも5~60人がいるという。
彼らは同郷で集まり、月150元の部屋を借りて住んでいる。ここは安いだけでなく地下鉄の駅にも近い。安徽、河南、四川から来た人達は組織化し助け合いながら、縄張りをもって物乞い活動をしているという。
北京市内の石景山には彼らの支援施設があり、100人程を収容できるようになっているが、現在終了されているのは6人、うち2人はそこを出たがっているという。
片や支援施設はガラガラ、片や地下鉄車内は物乞いで溢れている。その謎を馮さんが教えてくれた。「物乞いをすれば金にはなるが、施設に入っていても金にはならない。物乞いの中には仲間同士が組織化され、重要な構成員となっているから一度仲間から離れると、全体の収益に影響するのさ。それにもこんな生活に慣れてしまっているし、施設に入っても10日間しかいられなくてその後は田舎に帰らされてしまう。帰ったからといって食い扶持があるわけでもないしね。結局は乞食をすることになるのさ。」
「言うことも聞かず、支援も受け入れない。諭してもダメで、制止にも従わない」物乞い達に、民政、公安、交通などの各部門が頭を痛めている。
【北青網】