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神君出生の城 岡崎城 三河武士の館
〶 444-0052 愛知県岡崎市康生町 501 岡崎公園内
☎ 0564-22-2122、
2016.04.05 撮影
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岡崎城の起源は15世紀前半までさかのぼる、明大寺(みょうだいじ)の地に西郷頼嗣(よりつぐ)によって築城されたのが始まりです。その後、享禄4年(きょうろく = 1531)
に 松平清康(家康の祖父)が現在の位置に移して以来、ここが岡崎城と称されるようになりました。
天文11年(1542)12月26日、徳川家康は、ここ岡崎城内で誕生した。家康は6歳で織田信秀(信長の父)、8歳で今川義元の人質となり、少年期を他国で過ごしたが、永禄3
年(1560)の桶狭間の合戦で、今川義元が戦死したことを契機に自立した。 ときに19歳。以来、岡崎城を拠点に天下統一という偉業への基礎を固めた。
元亀元年(1570)、家康は本拠地を遠江浜松(とおとうみはままつ = 静岡県浜松市)に移し婿男信康を岡崎城主とした。天正7年(1759)に信康が白刃したあとは、重臣の
石川数正、ついで本多重次を城代とした。天正18年(1590)に家康が秀吉によって関東に移されると、秀吉の家臣田中吉政が城主となるが家康が江戸に幕府を開いてからは
譜代大名にここを守らせた。
江戸時代、岡崎城は「神君出生の城」として神望視され、本多氏、水野氏、松平(松井)氏、本多氏(忠勝系統)と家格の高い譜代大名が城主となった。石高こそ5万石前後と少
なかったが、大名は岡崎城主になることを誇りにしたと伝えられる。
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天守閣より撮影の画像ですが、ビニールシートや露店を、画角内に入らない様にした1枚です。
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ここ、岡崎城公園は桜の木もかなりの本数を数え、お花見には絶好の場所だと思われる。公園内も野球場2倍近く有るんじゃないかな、でもね写真を撮るには
不適合でさ、露天商と言うのかな、「焼きそば・たこ焼き・から揚げ・ポテト、その他数えきれない品々」のお店が所狭しと出店していてね、数にして150店舗は有
ると思う、このページを閲覧して頂いている皆様は150店舗は大げさだろうと思うでしょうが、150店舗とは言わないにせよ、120~130は最低でも出店してい
るよ、そんな訳でさ、撮影にはベストアングルと思われる所では、この出店が邪魔でさ、お堀沿いを撮影しようと思うと、ブルーシートで埋め尽くされていてね、こ
のページが貧祖に見えるよ、こう言う場合は出店やブルーシートも画角内に入れても良かったかな? (なるべく画角内に、余分な物が映らないようにして見た。)
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木々が邪魔して、お城をバックに桜を写し込む場所が無く、残念に思う。
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