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東山慈照寺 通称:銀閣寺
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正式名称を「東山慈照寺 = ひがしやまじしょうじ」といい、相国寺の塔頭寺院の一つで、銀閣寺の名の由来は江戸時代、金閣寺に対し、銀閣寺
と称せられることとなったといわれています。
室町幕府八代将軍の足利義政によって造営された山荘東山殿を起源とし、義政の没後、臨済宗の寺院となり義政の法号慈照院にちなんで慈照寺
と名付られました。
九歳にして家督を、十五歳にして将軍職を継いだ義政は、生涯をかけ自らの美意識のすべてを投影し、東山文化の真髄たる簡素枯淡の美を映す
一大山荘を作り上げました。 銀閣寺は美の求道者ともいえる義政の精神のドラマを五百年後の現代にも脈々と伝えています。
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東宮堂
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向月台(こうげつだい)
銀閣寺を象徴する建物が銀閣と呼ばれる観音殿です。
本堂の前には二つの砂盛があり、波紋を表現した銀沙灘(ぎんしゃだん)と白砂の砂盛りの向月台(こうげつだい)と呼ばれる
何とも言えないその美しさには心を打たれます。
大人の背丈ほども有る向月台の上に座って東山にある月待山から昇月を眺めるためのものといわれていますが、現在のよ
うな形になったのは江戸時代後期になってからとされています。
※この、画像の左に銀沙灘(ぎんしゃだん)が広がっていますが撮影アングルが悪く画像に残す事が出来ず、すみません。
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花頭窓(かとうまど)
花頭窓は窓の形状による名称の一つで、上部が尖頭アーチ状の窓のことです。 上記画像の向月台で説明出来なかった
銀沙灘(ぎんしゃだん)が花頭窓から見える砂がそうです。
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紅葉の後ろの建物が銀閣寺です。