メンタルと体調日記・社会復帰に向けて?

混合性不安抑うつ障害・うつ病・PMSなど・・・一応、社会復帰を目指しています。

急に耐えられなくてなった

2010年11月21日 01時25分25秒 | 体調
自分の存在、言動が許容できなくて、たとえ病気のせいだとしても自分が許せない

仕事断ろうかと迷う

包丁がいつでも使えるように刃を研いだ

やらなきゃならない事で終わってないことはなんだろうか


とにかく自分が自分の存在さえも許せない

だめです

持たせられないかも
もしもの時はごめんなさい

とりあえず薬でごまかします

仕事が決まってしまった

2010年11月21日 00時22分07秒 | 体調
ダメ元でと1個応募していみたアルバイトが決まってしまった。
12月に消え去れない理由を作ってしまった。

応募した時、もしかしたら、自分の中の歯止めになるのではないかと思ったが、責任感以上の歯止めではない。

神と言う存在があるとするなれば、まだ死ぬなって事だろうか。

ひとまず、親に借金返すのと貯金をする目処がたったこと、社会復帰のリハビリができるであろうことは、プラスには間違えがないと思う。

とりあえず、生きながらえそうなので、年賀はがきのデザインとかもしてみた。
最近はメールで年始の挨拶をする人が増えているけど、個人的にはハガキで勘弁と思う。
ネットつながりで住所の知らない人とかは仕方がないなって思うけど。

いち早く年始の挨拶をメールでするのが親しさとは思えない。
分をわきまえないっておもってしまう部分があったり、なかったり。
正月はしずかに初詣以外、しずかにしていようよ。。。

メンタルはアップダウンは相変わらず。
週3日シフトなので、なんとかなるかなって思うけど、寝込んだら迷惑かけちゃいますね・・・。

最近は、あまり深く物事を考えないようにして、慎重に言動するようにしている。
一見矛盾だ。

時間に任せようと思ってみたりしている。
時間が勝手に解決してくれるものは、意外といっぱいあるし。

医師にはメンタルより身体の立て直しを最優先しましょうと言われ、3回の食事と22時頃就寝を守るようにと言われたけど、出来てません。
それができるようにならないと次のステップにいけないらしいです。
心理士が出てくる出番は予想外に遅いのかも知れない。
やっぱり、少し長期戦の覚悟が必要かと。。。。

最近・気になるワードというか、があって。
人間関係・家族関係・コミュニケーション・聞く力などの本を読みあさり中。

よく家族関係が良くない場合、他人に接するように接すればよいと言うけど、相手が他人に接するように接してくれないと無理なんですけど・・・っとか壁が見えた。
はやく心理士に担当してもらえるようになって、そういった、心のクセのようなものを直せる機会がくればよいのになって思う。

薬で調整しているけど、比較的情緒は安定してきている。
流石に他人に当たり散らす事はなかったけど、家族に当たり散らしそうになっていて、それを耐えるのが精いっぱいだったのが、頭がアホになったのか、家族にイライラすることも減ったような気がする。
薬が切れそうなタイミングで、蹴り倒したい・貼り倒したい衝動は相変わらずあるようなので、もうしばらく薬は必要なのだと思う。

あと半月

2010年11月15日 01時57分05秒 | 体調
もう少しだと思うと嬉しい気持ちがあって、不思議だ。
とにかく11月いっぱいは、無理しても最低限の事をすること。

ただそれだけが目標。

それから先の目標・未来・光は、未だ見つからない。



よく死ぬ気で頑張れば・・・ってフレーズを聞くけど、目的や解決したいことがなければ、意味のない言葉のように思える。

少なくとも、今の自分には意味がない。

死ぬ気で頑張りたい事なんて皆無なのだから。
敢えていうなら、最低限の目標ぐらいだろうか。



死というものを真剣に考え始めて約1カ月。

恐怖など、色々感じたものもあったけど、実家に戻る事になるだろうと腹を半ば括った時のように、大切にしたいと思っていた人と別れがくるだろうと半ば腹を括った時のように、半ば腹を括れてしまっている。

ある意味、困りもので。




11月が終わる時、何も手にしたいものがなければ、自分でさえも自分を引きとめることができないのではないかと思う。

だから、半分、焦燥感的に手にできそうなものを漁ったりもしてみる。

今のところ、何もつかめない。

もぉ、何もつかめなくても良いのかも知れないとも思う。




11月が終われば、結果は出ているだろう。
自分でも、どういう結果になるのかよく分からない。

ただ、自分を引きとめるものがないままであれば、悔いを残さないのではないかと思う。



この間の、金曜日に心理士がいて、認知行動療法などが保険対象になる病院に足を運んでみた。
感じのよい病院と医師だった。

試しに、自分なりに感謝しているのに家族から感謝が足りないと言われると言う話をしてみた。

躊躇しているのが見えた、帰ってきた言葉は、感謝とは宗教や哲学が絡む問題だから人それぞれだと言われた。少し驚いた。見聞が広いのかも知れない。

死とか考えていないだろうねって確認されて、ぼそっと本音を言った。
死ぬ選択をするなら、入院という選択肢もあると覚えていてほしいと言われた。

優しいなって思ったけど、ただ単純に辛いだけが原因ではないから、当てはまらない可能性が高いけどね。


失望・絶望に浸ってしまっている自分を救えるのはたぶん、自分で、その方法論として、本を読みあさったりしているが、糸口が見つからない。

お金の心配がなくなったからと慰めを言う親の言葉はエゴの塊にしか聞こえなくて、慰めになりもしない。むしろ、追い詰める。

どんな結論を選んだとしても、許してください。
木偶人形として生きるのは死ぬよりも苦痛に思えてなりません。

こうやって、吐き出すことで消化してしまっているから、生き延びる可能性も高いとは思う。

決めないで11月を最低限の事をしてすごしてみる。
一体、どうなるのか、予想がつかない。

支離滅裂・ぐちゃぐちゃ

2010年11月08日 19時42分46秒 | 体調
思考回路がぐちゃぐちゃです。
酷過ぎると思ったら、乖離状態らしいです。
かるい2重人格のよう感じっぽい。

時と場合によって、思考回路が180度間逆のような感じになり、
違う思考回路の時をあまり覚えてはいないのです。
参りました。

なんとか、引っ越し自体は、ひと段落らしい一段落を迎えたものの、やらなきゃと自分で考えている些細な事に狼狽する日々。

一個一個、少しずつつぶしたいのに、周りがそれを許さない空気。
まだかまだかとせきたてる。

私の人生、家族がかかわったことのほとんどは、そういう印象を持ってしまっている。
気のせいで、自意識過剰かもしれないけど、無理なんです。

小さなプレッシャーに負けやすい自分が大嫌いです。
生きる価値を見いだせない上に、希望も光も、やりたいこともありません。

借金返済は結果的に家族の負担をこれ以上膨らませないこと。
引っ越しは、捨てれるものを可能な限り捨てること。

実家に収まっているけど、なんでここにいるのだろうと思ったりもする。

手元に包丁がある事がある意味、救いのようで、痛々しいんだけど、それが事実で仕方がない。

最低限の作業を終える事ができれば、もういいんじゃないかと思う。
死にたいを通り越してしまった決意に使い気持ちになってしまって、日々、意思は固くなっていっている。

人のいない場所で、静かに消えていきたい。
捜索願いださなくてもよいように、最低限の軌跡は残して。

結局、どうあがいたって、人は一人で、自分がかわいい生き物なのだとしか思えない。
ここ最近の身の回りの人の行動を見てて、ひねくれた視点だと分かってはいるけど、その想いは深まるばかりで、医者にいけば、思考回路が変わるのかも激しく謎。

一段落付ける前に、進められた心理士がいる病院にも行くようにしなくては、
それは、最低限の項目に含まれているから。

11月に入れば、この妄想から救われていればいいなって甘い期待を持っているけど、きつめの薬に切り替えても耐えがたいのだから、無理かもしれないとも思う。

怖い。いたそうって思いもだいぶ克服の域に達している。
あまり良いことではないけど。

いつ、どこで、包丁を自分に使うのかそればかりを考える日々。

私の立場よりの人と接しないから、余計なのだとも思うけど。
今は、人と接する自信がないから、距離をおいている。

この1~2か月の間に、急激に環境は代わり、失ったものも多かった。
築いてきたものや、意欲、そんなものも破壊されつくして、今の現状に感謝しろと言われても。感謝とは自然とわき起こるものであって、湧きおこらないものはどうしようもない。

強要されて、嘘の感謝ならできないこともないけでも、そんなものが欲しいのだろうかと疑問だ。

そんな自分を見て過去を思った、元請けがミスして、こっちがミスの負債を抱えることになって、その元請けが上司から、手土産持って謝りにいけっていわれたからきましたとほざいたのを思い出した。
とっとと帰ればいいのに、無駄に長居されて、邪魔で終電を理由に追い返した事がある。

そんなアホな茶番劇を臨むのか????
頭がおかしいのか、よく分からない。

ただ、気持ちは分かる。
でも本心ではない謝罪でさえも。自分が報われたいがために欲しいのかと
自分が報われたいがために勝手に余計なお世話を働いて、いい迷惑と思われて感謝を示されたいのかと激しく疑問。

自分の思考のバランスの悪さもあるのだろうけど、感謝することには、感謝する、
感謝できない時は大抵、出過ぎなのだ



まあ、それも1カ月足らずで終わる可能性が高いし、我慢だ。
耐えればいい。できるだけ、がまんだ。

ただの痛いヤツ

2010年10月30日 05時51分38秒 | 体調
ここ最近寝てません。
過眠ぎみだった反転でしょうか。

「いつ死のう」でなんとなく検索して、ちょっと痛い日記を発見。
そして、自分の日記もただの痛いヤツな内容なのかも知れないと思ってみる。



話は紆余曲折色々あって、金銭面的フォローを全面的に受けれるって話になったけど、親借金で借金返済まで家から出しませんと言われ、強制的に今の家から今月中に退去命令が・・・@家族


一昨日の晩から、父親が押し掛けてきて、自分のテンポでガツガツ物を捨てたり、処理しようとされて、ちょっと、困る。。。
一人だったら、とっても出来なかったからありがたいことなのだろうとは思うけど。
今月も、今日・明日で終わる気配が見え隠れしているレベルで・・・終わりが見えてません。

手当たりしだい、色々処分して、リサイクルショップにトラック1台分持って行って、5000円ぐらいになって、ちょっと金目の物を個人的にうっぱらって。

なんなのかなぁ~って思う。


最後のゴミの日の朝で、何回か雨の中を往復してみた。
もっと捨てないといけないのは頭で分かってはいるのだけど、意外とダメ。


昨日3時間睡眠ぐらいで、一日中、肉体労働とか、スケジュールの時間と戦ってて・・・あぁ~・・・なんか、この感触何かと似てるなって思って、初めて本気で1週間寝込んで起き上がれなくなった時の少し前の状態に似ているかもしれないと思った。


父親は家族代表で手伝ってくれてて、現状を見て焦りを感じているのだろう。
今は、スヤスヤ寝ているけど。
深夜2時とかにいきなり、バタバタ近所迷惑な音を立てて、勝手に台所のものを処理し始めた。
近所迷惑だから、辞めてほしいってお願いしたら、間に合わないだろうと言われ、ちょっとプチ切れました。

気持ちは分かるけど、イライラするから辞めてほしいと言ったら、ちょっと行動停止したと思ったら、思考モードになったっぽく、アルコールをあおって、寝てしまった。

父は早く寝ろよって言うけど、あんたのあの行動が私に寝ることを許させないんだろうと思ってしまうのは、心のゆがみなのでしょうか。

もぉ、このまま、寝ないで、なんかの拍子で死んじゃえるといいなって思ってみたり。
一応、最低限頑張ろうと思っていた事のお尻が見え始めているから、もういいかなって思ってみたり。

お気に入りの包丁でザクっと言ってしまうかなって思ったり。

死んだら、妹と母が後を追ってくれるそうですが、本当かよっと思ったり。
別に、ごめんだけど、あなたたちのふたりの人生のために延命しようとは思わないぞって思ったり。

一家全体ザックリしてみてもいいのかなって思ったり。

もはや、痛い思考回路以外の何物でもないなっと、自覚してみたり。

一番思うのは、周りの面倒をできるだけ減らさないといけないなって思う。

何かしたいとかあまり欲が湧かない。
お金を作らなきゃとか、お金に変えなきゃぐらいしかあまり考えている事がない。

父親の寝息を聞いて、聞きなれた寝息じゃないって思って、それを思った瞬間に泣きたくなって、今も泣きたくなって。

未来ってなんなのだろうって思う。
人生ってなんなんだろうって思う。

寝てる時間が増えた

2010年10月21日 03時50分45秒 | 体調
最近、やらないといけない事がいっぱいで、やっていることの多くにタイムリミットがあるのに、寝ている時間が増えているように思う。

発作時に飲むように処方されたレキソタンを1mgでは足りないので、最近は2~3mg飲んで横になる。
焦燥感や落ち着きのなさや動機、胸の圧迫、耳鳴り、頭痛、身体の痛み、将来への不安そういったものに悩まされて、気休めと思って薬を飲んで横になって寝てしまう。

起きると、精神的なものはとりあえず、安定しているっぽい。

だけど、月末にかけて、時間との戦いだ。

ダウンしている時間と、悩んでいる時間が多すぎて、時間をロスしている。

実家に帰ると仮定して、大き目のダンボール5箱程度しか持ちかえる事を許されていない。
いっぱい捨てたり、処分しなければならないのだが、身体と気持ちと時間が追いつかない。
もう1週間程度で、家を引き上げないといけないようだ。


実家に帰ると仮定してと書いたのは、再び、保留になったから。
借金返済のための裁判所を通した借用書を姉妹に対して用意して、それが発送されたのを確認しないとお金を貸す事はできないと言われ、この日程には届けると伝えたのだが、相手の都合で、急ぐ事になったらしく、電話の着信履歴はいっぱいあったが、その旨の連絡が留守電にもメールにも残っていなかった。
借りる立場で重要な話だから電話しているのにが、先方の主張だが、本当に重要なら、急ぐの一言でも残せば、こちらの対応が全然違うのにって思うのは、言いがかりなのだろうか。

半分納得しないながらも、署名・捺印して書類は用意した。
もうなるようになれっと思った。
賭けてみるしかないと思った。


しかし、現状、保留になり、こちらの対応を攻められ、考える時間を再度もうけさせてもらった。


ここまでくると、もう、どうでもよくなってきてしまって、
どうでもいいと言葉を吐き捨てた
それが、反感に拍車をかけた。

1か月この調子でもう、くたびれ果てて、意欲も殺がれ、どうするんだろうかと、自分でも思う。

いままで築いてきたものを手放さなければなからいと小事を言ってみた。
築いてきた経験は必ず今後も活かされるし、やっている事の全ては無意味ではないと言われた。
そういう意味ではないのだが・・・もはや、話が通じないので、もういい。。。



保険業をしている姉に迷惑をかけてはいけないと思ったり、迷惑だと言われたので、控えようという視野で動いてきたのに、今さら、勝手にすればと言われる。
その物言いも分からなくもないが。

しかし、そうするために費やせたはずの時間を他の目的に費やし切ってしまって、自分でどうこうできない状況にほぼ陥っているのも事実。


一掃、この世から消え去ってしまおうかと何度も思って。
そいう言葉を吐き捨てたら、妹がじゃ、私が死んだら、数日後に連絡がいくから、死んでよって言われた即決快諾してみた。そしたら、勝手に死ぬなって言われた、もはや、意味が分からない。


妹は手に負えないと思ったらしく、姉が仕切り直しをするらしい。
はっきり言って、この姉との相性は家族の中で一番悪い。
今日まで認識していなかったが、嫌いだ。

価値観が相いれなさすぎる。
また、相手がこちらの価値観を受け入れようと少しもしない。
まぁ、それも良いのだろう。


残されたできる事は少ないが、とりあえず、死にたい気持ちを薬でごまかして、寝てごまかして、家の中のものを最小限にする。
単身どこへでも行けるように。
最悪、もう何も残さなくてもよいのではないかとさえ思う。


自分で自分を殺す妄想に囚われすぎていて、いけないなって思うけど。
どうするか、よく分からない。
決められない。

もう、疲れた。
ただ、それだけだ。


恵まれているようね~とか
感謝が足りないとか、
そういうつもりなの・・・とか
もう、勝手に誤解しといてくれと投げやりになってしまう自分も制御できない。


アホな考えだと分かっているけど、数日後に結婚10周年を迎える姉のお祝いに命をくれてやろうかなどと妄想する。
新築したての家を放火してやろうかとか、アホなことばかりを考える。

少し引いて考えると、それだけ、自分の気持ちは追い詰められているのかも知れない。

今を吐き捨てる

2010年10月19日 22時34分23秒 | 体調
状態がアップダウンして、ちょっと、良くないなって実感。

死にたい気持ちを振りきれない。
頑張りたい気持を持続できない。

選んだ方向は、自分を含めて、関係者全てが妥協できる点だと思った方向。
だけど、自分の出した条件としての望みは少し無視されているかなっと感じる。

仕方がないのかも知れない。

目に見える事実と現状だけをみるとそういうものかもしれない。
裏にある全てが無視されていると感じてしまうのは、自意識過剰なのだろうか。

話し方が、人に対する私の反応が反感を買うと言われたから、可能な限り、ソフトなもの言いをしてみている。
だけど、言いたい事、主張したい事を伝える事がうまくできない。

たぶん、少し前に比べて反感の度合いは減ったと思う。
だけど、意欲がどんどんなくなっていく自分を実感してしまう。

けして自分を殺しているわけではないとは思うけど、
もう全てがどうにでもなれば良いと思う瞬間があって、
家族が反対する選択肢を選んでも心の余裕のなさは変わらないような気がする。

法的手段で借金を増やさないようにしようと思ったけど、家族に反対された。

考えて、妥協案として、家族に心身を立て直すために協力してほしいと申し出た。
家族から見た目線は、恐らく変わることはなく、私の意志の問題にしか過ぎないと思ってはいたけど、それをリアルに感じすぎて、心の余裕のなさを実感してしまう。

家族が法的手段で、建て替えた借金を徴収すると言ってきた。
それは構わないと思った。
だけど、最初に提示されていた内容とは別の形で、私の心は勝手に追い打ちを受けてしまった。

自由がないと感じた。
借金のある身だからと考えても、自由と余裕がないと感じてしまった。
自分の感情を疑ってみた。
人に自分の感情がおかしいのか聞いてみた。
仕方がないんじゃないと言われた。

そういうものなのだろうか。

救済をお願いしたけど、こんな形の救済ならば、他にもあった、家族を頼らない方法の方がよっぽどましだと思ってしまった。

この気持ちをうまく処理できず、
今月中になんとかしなければ、ならない用事を全て投げ捨ててしまいたい気持ちを戦って、無駄に時間だけが過ぎていっている。

時間と戦わなければならない現状だと自分で感じているのに、それができない。

感情の全てさえも投げ捨てて、機械的に言われるままに動いてみようかと考えてみた。
心を捨てたとしても、残ったわずかな心が持たないと思った。

法的手段を選ぼうとしたのだから、家族が法的手段を取っても構わないでしょうと言う気持ちが分からない。
理屈だけを考えれば、そうかもしれない。

だけど、そんな家族に身をゆだねようと思った自分が浅はかだったような気さえが起きて、心の整理ができない。

もう少し、もう少しだけ頑張ればいいのだと言い聞かせても、自分が言う事を聞いてくれない。

本当の意味での切り札は自分が持っていて、今の段階では、まだ選択ができると感じている。
もう最悪の方法論を選んでしまっても良いのではないだろうかと考えがよぎる。

ただ、同時にここまで思考しながら、自分の考えが激しく偏っている事も認識してしまえている。

何故だろう、心の余裕を見いだせないのは、希望を見いだせないからだろうか。
希望って、本当に生きる上で、大切なのかも知れない。

意欲・希望そういったものを手に持ちたい。

ありがたいはずの家族の処置は、口ではありがたいと言えても、本当の意味でありがたいと思えない。
家族の小さな反応のひとつひとつが私を追い詰めていると感じてしまう。

心が幼いのか、病んでいるのか、分からない。

ただ、分かるのは、家族のする行動・処置・配慮の多くを迷惑だと感じて、そんなに追い打ちをかけて楽しいのだろうかと考えてしまう自分がいること。

今日の私から、妹へ

2010年10月11日 04時17分58秒 | 体調
教えなければ、恐らく存在が知れらることはないブログ。
存在を教えるのか、どうするかは決めてないけど。

今の思いを残しておこうと思った。

あなたは、作業療法士として、家族の一員として、よくやっている。
家族の中で作業療法士を演じて、仕事との境目がない今、家族以外の人と接することが、恐らく、救いになっているに違いないと思う。

そして、これを伝えると傷つき、恐れを抱くだろうけど、
その救いの中に家族を救う自分を見せ、陶酔に近い気持ちを抱き、その行動によって自分のバランスを取っているに違いないと思った。

今、書きながら、これをいずれ伝えるのか、どうか迷っている。

私の感じるものは、飽くまで一方方向からの視点で、違いないと確信に近く感じているけども、真実は異なるのかも知れない。

きっと、家族を労わる自分に陶酔するなと伝えれば、拒絶と怒りを持つことだろう。
拒絶できている間は、いい、自分でもしそれを認めてしまう事ができた瞬間に恐らく、精神的な均衡を崩してしまうのではないかと思う。

その時の救う術を見つけられないから、伝えることを迷う。

そんな事にもし、気づいて、それが事実だったとしても、立て直す精神力があると良いのだけれどもと思う。
この場合、かなりの強靭な精神力が必要になるに違いないと思う。

ここに書く内容は、私の主観にしかすぎないから、違っていれば、それはそれで良いと思う。

これ以上、精神的に追い詰めるなと涙したあなただけど、お肌のお手入れをする心の余裕が残っていたことに気づいてしまった。
お洒落に心配りできている事に気づいてしまった。

もしかしたら、余裕のギリギリの淵にいるのかも知れないけど。
それでも、あなたが追い詰めた私の心と比較すると、余裕がありすぎると感じてしまった。

私はね、10年以上、美容にかなり気を使ってきた。
なのに、ここ4年ぐらい、それができなくなっている。
やっと、美容液をつけるレベルまで心を持ち直したのに、あなたに追い詰められた心は洗顔さえも忘れてしまった。

本当に余裕がなくなる、追い詰められるということをあなたは知らないと思ってしまった。

どこまで行っても、これは私の主観。
だけど、私の自分の経験と勘がそう主張している。
ほぼ、今感じていることに間違えはないだろうと。

追い詰められた心を自分で持ち直した時、「昨日と反応が明らかに違うね。どんなものを見出したのかは、知らないけど。」と、あなたは、興奮して言った。
怒るように、拒絶するように、失望するように、希望を見出した私のその時を拒絶した。

あなたの立場を考えるとやむを得ないことなのかも知れない。
だけど、私はあなたのあの時のぶつけてきた感情を印象として記憶に残してしまって、忘れられそうにない。

今だから分かる。
あの時のあなたは、作為的に私をある道へと誘導しようとしていたのだと。
そして、あの瞬間、その誘導に失敗したかも知れない、失敗するかも知れない恐怖のようなものを感じていたこと。

考えてみれば、その背後で糸を引いているのは、実は姉かも知れない。
あなたこそが、姉の誘導に乗せられていた可能性さえある。

可能性は、いくらでもある。
気付いてしまった可能性は、その瞬間に、まるで自分の中で、真実のように成長してしまう。
今は、それをこれを書きながら、私自身が実感しているから。

気づいてしまった可能性によって、自分を追い込み、状態を追い込んでしまっている可能性さえもある。
可能性を追求してしまうと、本当に、言葉遊びのように堂々巡りが始まる。

マイナスの可能性の場合は。

プラスの可能性を信じてみなければ、未来は開けない。
プラスの可能性を信じず、マイナスの可能性のみを考えるという事は、極端に言えば、毎日当たり前にしていることが何らかの障害でできなくなると恐れる事に値するといって、過言ではない。

プラスの可能性を微塵も感じることができなかったとしたら、一歩も身動きできなくなる。
何もえらべなくなる。
目の前の現実しかわからなくなる。

日々の出社でさえも、家族の外出を見送ることさえも、大丈夫という可能性を信じることができなければ、心が許さなくなる。
本当に何も選らべなく、何もできなくなる。
そのにあるのは、失望と絶望と、そこに存在しているという事実しか痛感できなくなる。

あなたが私を追い込もうとしたのは、そういう処だと感じている。
違うだろうか。

人の人生をどうこうする事の恐怖を思い知った方がいいのではないかと思える。

お金面で責任を取るのは容易い。
現金と稼ぐ自信と投資する気持ちさえあれば、誰にでもできること。

別の側面から見た責任を取るというのは、その結果を一緒に背負うことなのかも知れない。
それは、同情なんて容易い気持ちではなく、真実の意味で、それをできるひとは、意外と少ないように思える。

もし、それをする事ができて、それを感じることができて、側にいつづけるとすれば、それは、これ以上ない救いに思える。
それ以上の救済はないかもしれないとさえ思える。

本当の意味で、人から救われるというのは、そういう事なのではないかと、今思う。

ただ同時に、そこまでの事は不可能に近いとも思った。

近い事ができるのが、恐らく、家族なのだろう。

ある人が、あなたの言動を見て、私のことをあなたが家族としてみていないと言っていた。
その時は、あなたを信じたかったから、それはありえないって思った。
だけど、ここまで文章を書いてみて、ある人の言葉が正しいのかも知れないと思った。

人の人生を背負う、責任を取るという事は、容易くはない。
命を背負うことなのだから。

あなたに私の命を背負えるのだろうか。
それだけの気迫を持って行動しているのだろうか。
もし、そこまで考えていないとしたら、浅はかすぎる。

私は、あなたにトコトン追い込まれて逃げ場を失い、自分の自我を取り戻せないと思った瞬間に身を切ろうと決意しているのだから。
本気で考えて、恐ろしいことを考えていると自覚もした。

だけど、それをしなければ、体は生きていても、死んだも同然に近いと考えてしまった。
そこまでして、体を永らえさせようとは考えてはいない。
心が宿ってこその肉体だと思っているから。

はたして、これを知ってもなお、決行できるのだろうか。

人の人生を背負うというのは、ひどい言い方をすれば、自分がその人を殺してしまう可能性もある。

大げさすぎる、物言いだと思う。
ここまで考える人は少ないだろうし、ここまで考える人間は心が病んでいると思う。
だから、こそ、今の自分を悪い意味でも良い意味でも肯定してしまえる。

最終段階に突入してしまったと自覚と同時に、私は大切に思うものをすべて切り離す。

そのために失いかけた精神を取り戻し、今平静を演じている。

あなたを怨むと同時に許してもいる。
あなたの辛さもそれなりに想像できるから。

あなたが、「なまけている」といった数年の私の苦しみと苦労に気づいてくれたとしたら、少し救われるような気がする。

ここまで、書いたけど。

たぶん、なんとかなるし、なんとかしようと考えている。
まだ、自分に期待して、未来に期待できているから。

この重たくって息苦しい文章が、ネットの中の多くの文章の中に埋もれてしまえばいいと思う。
たまに見つけた人に、何かをもたらしてくれるだけで十分だと思う。

だれも、不幸を望んでなどいないし、幸せにむかっていこうと行動している。

そろそろ、思考の限界が来たらしい。

思いつめてはいるけど、思いつめていない。
思いつめた瞬間に多くの未来は閉ざされる。
それだけでも、知っていてほしい。

救いは、信じれば、色々な形である。
手を伸ばせば、意外と届くものなのだと。

思考が錯乱しているけど、今、この時、あなたに何かを残したいと思った。
この文章は、それだけのエゴにすぎない。

どうしようもないね。

2010年10月08日 02時29分42秒 | 体調
精神の立て直しをしたのが、結果裏目に出たらしい。

気丈な態度が、反感を買ったらしい。

立て直さなければ、立っていられなかった。
立て直して、立っていられなくなったかも知れない。



人の心とは、どの方角から見ても難しい。



色々、準備を整えようと思う。
どうにでも転べるように。


もう何度か覚悟してきたのだし。


投げ出してしまえれば、全ては簡単になる。
全てのラインが簡単な一本の線になる。


心を投げ出してしまえれば、恐れるものなど、なくなる。


何が良いのか、それは結果論に過ぎず、
誰にも正解は分かりはしない。



明日ではなく、今日を思う。
次ではなく、今を思う。

自我

2010年10月07日 19時24分20秒 | 体調
今、一番手に入れたいものは、
楽や休息ではない
これらは、確かにあればプラスになる

一番欲しいものは、自分でなんとかしていく力

気力、体力、意欲、信念、自信、そういったもの




心が強い時

気持ちがブレるのは、可能性を信じられなくなるから、自分を信じられなくなるから、不安に襲われるから

気持ちがブレなくなるのは、可能性を強く信じて、自分を強く信じて、やる気に溢れているから





心が弱い時

気持ちがブレるのは、小さな可能性を信じ始めているから、自分を信じてみようと思い始めるから

気持ちがブレなくなるのは、可能性を感じられず、絶望して、諦めるしかないと考えるから、視野が狭くなって選べなくなるから





最悪のケースを考えるのは確かに必要なこと

だけど不安を煽り、可能性を疑い、自分を信じられなくなる

何事にも、バランスは必要で、どっちに行き過ぎても、よくない



不安だから選んだ結果は、所詮はそんなレベルの結果になる

自分を信じることができたとした時の選んだものとは異なる


不安だから選んだ方向は多くの逃げ道がある
それに救われることも時にはある
だけど気づけば、逃げ道ばかりで、自信を更に失うことになってしまう場合もある

不安だから選んだ道でも自信を得ることはある


だけど、それは現在を続ける自信で将来への自信ではない



未来をのぞんだ時、必要なのは自分でなんとかする力で、必要なタイミングで人の力を借りる判断力に違いない



これさえも、偏った考えかも知れないが