人は縁・花は色

花と旅の風景などの記録を紹介したくて
開設しました。

お彼岸の頃になると必ず思い出す[雪椿]

2019-03-21 09:58:50 | 日記
小林幸子の[雪椿] 数年前に3回大船渡の[椿館]に
行きました。その頃流行っていた曲です。

3番の[つらくても・・・・春の日が]というところが好きでした。

母が長年患い入院していたときに、わたしも辛い時があって
枕元で愚痴をこぼしたんです。母から返ってきた言葉は
[わたしでさえ一人で頑張ってきたのに、お前には夫が居る。
二人で乗り越えなさい]と言われました。それが母の助言でした。
それからは母に愚痴をこぼしたことはないです。

この歌を聴いてから心のどこかにこの歌詞がいつもわたしを後押ししてくれます。
歌の力って凄いですね。
そんなことを思い出しながら昔の画像を引き出してFSを作成して遊びました。
これも母への供養になるかもと思いながら・・・
よかったらお付き合いしてください。

ここをくりっくです







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12 コメント

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お彼岸の中日 (屋根裏人のワイコマです)
2019-03-21 10:47:04
この日は、先祖を思いだしながらの・・
供養の日・・まだ陸奥は春が遠い季節・・
でもこの寒さも日一日と暖かさをまして
くれますね。昨日は東京で幾つかの椿を
見かけましたが、信州も東北もまだ咲きま
せんよね・・でももうすぐ咲いてくれます。
お母様を偲びながら思い出してください
いい歌ですね・・
Unknown (tomo)
2019-03-21 11:29:46
心に響く情感溢れる唄ですね。

見事に作り上げて素晴らしいです。

日本ならではの情景が浮かびます。
こんばんは (牡丹)
2019-03-21 18:30:32
屋根裏人のワイコマさんへ
今日は小雨の一日でした。
子供たち・孫達・妹らが来てくれて
わが家は大賑わいでした。

先祖が見たらきっと喜んでくれてると思います。もうこの年になると感謝のみですね。
新潟も岩手も同じ (牡丹)
2019-03-21 18:34:28
tomoさんへ
母は早く未亡人になったので
本当に苦労の連続だったと思います。
親孝行らしいこともできずでした。

最近作品づくから遠のいているので
忘れそうです。
こんばんは (ふくちゃん)
2019-03-21 22:52:26
そうなんです、私も3番で母を思いました。
30歳から一人で二人の子を育てていました。
今と違い戦後どさくさですから。
母は私が二十歳になってからは何も言いませんでした。
お店を手伝ってもらったり子供を預かってもらったりなのに親孝行らしいことはしてないのです。
思い出し上げるのも孝行かな? (牡丹)
2019-03-22 10:11:01
ふくちゃんへ
本当に自分の生活で精一杯でしたから
思いやりの精神かけてたんですね。

昔の人はしっかりしてましたね。
見習うこと沢山ありました。
おはようございます (mappee)
2019-03-22 10:12:15
70歳過ぎまで生きてくると
みんな・みんな 何かしら辛い事を通り過ぎて来ていると思います・・
過ぎてしまえば、懐かしい・・

改めて詩を読ませて貰うと、グット 来ます
この歳になったので、分かるのかもしれませんね
懐かしい曲を
有難うございます
椿 (まりん)
2019-03-22 11:30:20
ほんとうにしんみりとしたいい歌ですね^^
それにしても、椿の花の種類の多いのには
ビックリしました!
数えてみたら、33種ありましたよ!!
良くも沢山写しましたね!
「光源氏」というのが気に入りました。
こんばんは (牡丹)
2019-03-22 17:39:45
mappeeさんへ
寿命が延びて70代は人生でも楽しい
年齢だという人も居ますね。
山あり・谷あり。本当に過ぎれば楽しいことばかりです。

先祖に感謝しながら生きれれば充分。
昭和の歌はいいですね。
これでも一部ですよ (牡丹)
2019-03-22 17:43:42
まりんさんへ
椿展だったので沢山の種類が
ありました。
満開のときに行ったので運が
よかったです。

甲・乙なしでどの花も綺麗でしたよ。
わたしは金花茶が好きです。

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