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人は縁・花は色

花と旅の風景などの記録を紹介したくて
開設しました。

人柱(ひとばしら)にされたという19歳の[おいし]という女の子のお話です。

2016-04-23 07:35:41 | 日記
岩手県胆沢郡金ケ崎町に[千貫石堤]があります。
近くに沢山の温泉があるので時々行っています。春にはさくらに逢いたくて寄ります。貯水池歯整備されて綺麗です。
数年前に県の方が工事をしていて県のダムの補修工事を兼ねて桜の木も1000本移植したので、春は桜で見頃になりますよ。と
言ってたのを思い出して久しぶりに行ってみましたが、がっかりでした。綺麗に移植された桜の木も
パラパラです。食堂のおばさんに聞いたら、風が強くて
桜は育たなかったらしいです。少しの枝垂桜だけでした。

入り口にあった六角堂も風に飛ばされて!(^^)!(頂上に移転)

[千貫石神社]をお参りし [おいし観音]に行こうと鈴を鳴らしながら
坂道を登りましたが一人では怖くなり後100mというところでもどっしまいました。


ネットで検索してみましたので読んで見て下さい。

[天和2年「千貫石堤」は洪水対策の池として(1682)着工したダムを作る時に何度も決壊して工事が進まなかったので、
工事中に度重なる決壊事故が起こったために石堤の発起人である川田氏の案で釜石から「おいし」という19歳の処女の女性を、

千貫で買取り石柩に封じ子牛と共に100年の年季を限り人柱として生き埋めにしました。

その後しばらく決壊することはなかったが、毎夜、謎の女性の声が聞こえてきて、伊達藩の石堤の発起人である川田氏の一族は滅び、生前のおいしと関係のあった人々の子供達は大人になるまでには死に絶えたと言われています。

地元民達は、おいしの祟りだと恐れました。
おいしが人柱として生き埋めにされてから100年経とうとしていた安永6年(1777年)に、1週間雨が降り続き、
石堤が決壊した。その時、謎の36mばかり青い光が流れ出したそうです。

100年という時代を超えてもなお[おいし]の怨念は消えなかったようです。

時は経ち、昭和50年に地元民の夢枕に[おいし]らしき女性の幽霊が現れるという事件が度重なったために、
[おいし]の霊を供養する目的で観音像が建立されました。

大災害が起きてから、その後観音様を建立して「おいし観音」
となずけ供養したらしいです。日本人はいつでも事後対策ですね。

このことは私は知っていましたが今改めてネットで検索して詳細を知りました。

今時このようなお話と思いますが、実話であるということは
間違いないようです。

そのときの19歳の少女の気持ちを思うと・・・唯合掌して感謝するだけです。

生かされていることだけでも有難いのに、小さいことでくよくよしている自分が情けなくなりました。

今はダムの水も潤い田植え時には水不足もなく住民は助けられています。

今は水神様として観音様の姿で奉られています。
詳しく知りたい方は[おいし観音]で検索して見てください。

折角行ったので周辺の風景を撮ってフォトストーリーにしてみました。良かったら覗いてください。

ここをくりっくです
















コメント (14)
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