sibasenn気ままな旅日記&日常のつぶやき

東海道53次ウォークや気ままなバックパッカーの旅日記を写真もまじえて報告&日常のつぶやき

東海道53次ウォーク第13弾(平塚〜戸塚 23年12月26日)

2024-02-02 18:46:00 | 東海道旅日記
こんにちは、sibasennです。

23年12月26日

9時ごろホテルを出て、東海道ウォーク2日目がスタート。

平塚駅(9時)


平塚と聞いて思い出すのは、湘南ひらつか七夕まつりと
サッカーチームのベルマーレ平塚(現在はベルマーレ湘南)くらい。

道路が広々としている。
ちょっと調べてみると、
1945年7月16日深夜から17日未明にかけての大空襲で焼け野原となり、
戦後復興にあたって広い道路をつくったとのこと。

馬入一里塚(9時15分)


馬入橋(相模川)を渡り始める。(9時20分過ぎ)


ふと後ろを振り向くと、茶色っぽいビルの向こうに富士山が。


もう少し歩くと、はっきりと富士山が見える。


橋の向こうには東海道本線が走っている。


橋を渡り終えると、堂々たる富士山が。(9時30分)


富士川など富士山麓付近を歩いた時も、沼津や三島、そして箱根や小田原を歩いた時も
ほとんどお目にかからなかった富士山ですが、ついに念願の対面!

実はこの日は、何度も富士山を見ることができました。

この馬入橋を渡ると、平塚市から茅ヶ崎市に入る。

旧相模川橋脚(9時50分)


南湖の左富士(10時過ぎ)

碑は逆光で文字が見えないが、、、

青空にくっきりと浮かぶ富士山


「左富士」はここ南湖ともうひとつ、
吉原宿(静岡県富士市)でも見ましたね。


茅ヶ崎駅(10時40分ごろ)

茅ヶ崎駅に立ち寄り、カフェでひと休み

茅ヶ崎一里塚(11時20分ごろ)


このあたりは平塚と違って道路が狭い。
松並木も残っているが、車がビュンビュン通っていくので危ない!


牡丹餅立場(11時45分ごろ)

「立場」とは、宿場と宿場の距離が遠い場合、
その途中に休憩施設として設けられた茶屋など。
ここ菱沼立場は、牡丹餅を名物とした茶屋があったことから呼ばれた。

茅ヶ崎市から藤沢市に入った。

四ツ谷一里塚(12時40分ごろ)



藤沢宿京方に入ると、下のような案内板が目立つようになる。


このあたりは遊行寺の門前町、宿場町として栄えた地域。


藤沢宿問屋場跡(13時40過ぎ)

宿場で人馬の継ぎ立てを行う場所

藤沢宿蒔田本陣跡(13時45分)


旧桔梗屋(13時50分ごろ)



江ノ島弁財天道標(13時53分)

このあたりは浮世絵ポイントであり、高札場もあった。




遊行寺橋(14時05分)


橋を渡り、少し行くとふじさわ宿交流館がある。


さていよいよ箱根駅伝でも難所の急坂として有名な遊行寺坂を上っていくのだが、
約700mの急坂をのぼるためにも、遊行寺でちょっとひと休み。
靴を脱いで足を投げ出す。

藤沢宿見附(江戸方)(14時28分)


遊行寺坂一里塚(14時32分)


遊行寺坂を上がりきる直前で、
「憲法九条を守り、いかそう」の横断幕発見!(14時40分)

こういうものを見つけると、ついつい写真を撮りたくなる。

まもなく藤沢市から横浜市戸塚区に入る。(15時ごろ)




そう言えば、今日はまだお昼を食べていない。
あるカレー専門店に入る。(15時40分ごろ)

食べ終わって窓から外を見ると、見えました。
夕焼け空に富士山?(16時20分)

店員さんにも確認すると、やっぱり富士山でした。

お腹もふくれたし、富士山も見えて力をもらったので
さああとひと踏ん張りするか!

原宿一里塚(16時53分)


そしてまたまた見えました、富士山。(17時ごろ)


大坂松並木(17時12分)


「大坂」ということだけあって、結構な下り坂(17時30分)




戸塚宿上方見附(17時35分)


戸塚宿澤邊本陣跡(17時51分)


戸塚町問屋場跡(17時54分)


17時を過ぎると、駆け足でどんどん暗くなってくる。
そろそろ18時なので、今日の東海道ウォークも戸塚駅で終える。

今日のウォークは、6時間で22km、34000歩である。

今夜のホテルは戸塚駅東口にとる。

少し休んでから、晩ご飯を食べに出かける。

戸塚駅・トツカーナモール内のそば居酒屋でいただく。
関西人には少し濃いめの味だったが、美味しかったです。




明日は半日ほど歩いて大阪に戻る予定。
二日間みっちり歩いて、疲れもたまっているが、
一晩ぐっすり眠れば回復するだろう。

今回はここまで
ではまた