sibasenn気ままな旅日記&日常のつぶやき

東海道53次ウォークや気ままなバックパッカーの旅日記を写真もまじえて報告&日常のつぶやき

あれから10年

2021-03-11 18:05:32 | つぶやき、ひとりごと
こんにちは、sibasennです。

いつもの旅日記はお休みして、、、

あれからもう10年が経ってしまったんですね。
当時私は小学校教員をしていて、
あと少しで定年退職を迎えようとしていました。
5時間目が終わった休み時間もそろそろ終わるころでした。
なんだか鈍い揺れが続き、気持ち悪くなりました。
やがて校内放送が流れ、地震が起こったことを伝えられました。
でも揺れが小さかったこともあり、そのまま6時間目を行い、
3時45分くらいに職員室に戻って驚きました。
職員室のテレビからは、
大津波が東北地方を飲み込んで押し寄せてきている映像でした。
一方で、地震の被害は東京や横浜の様子が中心でした。
自宅に帰ってから見るテレビの映像は、
地震による倒壊、大津波被害が東北中心に、
関東まで広がっている様子を繰り返し伝えていました。
同時に、福島原発が全電源喪失に陥り、やがてメルトダウンを起こし、
爆発する可能性があることを伝えるようになっていました。
そして3月12日の午後、大地震から24時間経て、
福島原発は次々爆発していったのです。
この大爆発により、放射性物質が大気中に放出され、
その後の甚大な被害へとつながっていったのてす。

私は退職すると、
その年のGWにボランティアとして宮城県・石巻市には行きましたが、
福島には行きませんでした。

東日本大震災から1年が経った頃、
国会前で多くの市民が「原発いらない」の声をあげている様子が
テレビから流れるようになりました。
この声はたちまちのうちに全国に広がり、
大阪でも関電本店前であげていることを知りました。
私も7月に初めて参加し、
それからは毎週金曜日、関電本店前に通いました。

(関電本店前 2013年7月)

秋頃からは国会前に参加したり、

(2014年10月)

各地の集会にも参加するようになりました。

(2014年9月 全国集会)

実は私は福井県で生まれ、大学時代まで過ごしました。
福井と言えば、嶺南・若狭地方の原発銀座を思い浮かべるでしょうか。
ちなみに私は福井県の嶺北(石川県より)地方に住んでいました。

大学生だった1970年前後、
福井県は次から次へと若狭地方に原発をつくっていきました。
大学生のとき、ある新聞社から取材を受けたこともありました。
危険性に対する不安も含め、原発は反対だと表明しました。

そんなこんなで、2012年7月以来、
大阪や国会前で「原発いらない!再稼働反対!」の声をあげ続けました。
最近では、私の住んでいる松原市でも、毎月第二金曜日に声をあげています。

(2020年8月)

2014年4月には、初めて福島原発の被災地をこの目で確かめてきました。
(2014年4月 福島県富岡町)
(これ以上は、帰還困難地域だったので北進できなかった)
(2014年4月 JR富岡町駅)


(2014年4月 震災から3年後の石巻市)
(震災前は民家が密集していたが、ご覧のように津波に飲み込まれる)

また2016年12月にはチェルノブイリ原発の被災地も見てきました。
1986年4月26日に原発事故を起こしたチェルノブイリ、
あれから30年経った実相を、このブログでも紹介しています。

(事故直後、放射性物質飛散防ぐために石棺で覆う。
だが老朽化したため、現在はシェルターで覆われていた)


菅政権は、「2050年カーボンニュートラル宣言」を表明しています。
この宣言で、またまた原発を新増設したり、老朽原発を再稼働させたのでは
10年前の福島原発事故から何も学んでいないことになります。
犠牲になった方々の思いを無にするわけにはいきません。
絶対に原発依存から抜け出し、
原発ゼロ、再生可能エネルギーへの転換をねばり強く求めていきたい。

(2021年3月11日)

あれから10年目の今、改めて決意するものです。





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