こんにちは、sibasennです。
23年4月29日
前日(28日)の夜、大阪・梅田10時50分発の夜行バスに乗り、
29日の朝7時前に静岡駅前に着く。
本当に久しぶりの東海道53次ウォークにテンションが上がる。
まずは腹ごしらえをしようと、静岡駅のターミナルビルに入る。
7時前だったので、どこもお店はまだ開いてない。
ウロウロしているうちに、前回のことを思い出した。
20年10月14日の朝も、ターミナルビル内のあるお店でモーニングをいただいたこと。
その時のお店は7時から開いていて、今回もそこでモーニングをいただく。
8時前に、静岡駅から10分ほどのところにある静鉄電車に向かい、
新静岡駅から前回の東海道ウォーク終着点である狐ヶ崎駅に向かう。
その車内で、進行方向左手の遠くに富士山が見えました。
「こりゃ幸先いいな!」と、その時はテンションが上がりました。
(狐ヶ崎駅 8時15分)
さあ、いよいよ東海道53次ウォークのはじまりです。
小一時間ほど歩くと、江尻宿に入りました。
(江尻宿 9時ごろ)
江尻宿は清水港、清水港と言えば次郎長ということで、
東海道を外れて、清水次郎長の生家を訪ねることにしました。
(巴川)
写真でははっきりと見えませんが、
川向こうの中央あたりのビルとビルの間から富士山が見えました。
今回2度目の富士山にラッキー!と思ったのですが、、、
(清水次郎長生家 9時半ごろ)
東海道に引き返して歩き始める。
ロスした時間は1時間ほどでした。
やがて今日一つ目の辻一里塚のはずでしたが見つけることはできませんでした。
そのまましばらく歩くと、
東海道と国道1号線が交差するあたりにさしかかりました。
(細井の松原 10時半ごろ)
ここからは国道1号線に合流して歩く。
歩くそばを車が走り抜けていくので、少し怖い。
お腹も空いてきたので、何か食べようとしてもお店がない。
空腹を我慢しながら暑い中を歩く。
興津宿に入ったようだ。
12時ごろ、西園寺公望の別荘「坐漁荘」を少し見学し、
興津宿公園でひと休み。
持ってきたパンを食べ、水分補給も済ませて歩く。
すぐに興津一里塚(12時半ごろ)
すぐに興津一里塚(12時半ごろ)
もうお腹の空き具合は限界にきていたので、
1時ごろに近くのラーメン屋で食べた。
さあいよいよ薩埵峠(さったとうげ)に向かう。
薩埵峠は、富士山と駿河湾が一望できる地点から描いた
歌川広重の絵でも有名。
現代では、東海道本線、国道1号線、東名高速道路など、
日本の大動脈が束ねられて走っており、
駿河湾と富士山が一望できる絶景ポイントである。
否が応でも期待が膨らむ。
言うほどのしんどさもなく坂道を登り、
2時過ぎに薩埵峠に着く。
下を見下ろせば、駿河湾に吸い込まれていきそう。
逆光で読めないが、薩埵峠の墓標
ご覧の通り、駿河湾も東海道本線も道路も見えるが、
ただひとつ見えないもの、そうそこには富士山がなかった。
富士山は厚い雲に覆われていたのである。
あきらめて薩埵峠を下りていった。
由比宿に向かって歩く。
あきらめきれない、未練たらたらの写真
あきらめきれない、未練たらたらの写真
やっぱり富士山は厚い雲の中。
3時15分ごろ西倉沢一里塚
旧東海道なので車はほとんど通らない道をダラダラと歩く。
「正雪紺屋」の看板
由比正雪の生家?「紺屋」とは染物屋のこと
またところどころに、「日本一桜えびのまち由比」の看板が目立つ。
(由比一里塚 5時ごろ)
さて今日の東海道53次ウォークも終わりに近づいてきた。
今夜の宿泊先は、ここから電車で30分ほどの沼津である。
5時を過ぎても、あと小一時間は歩けるだろう。
と言うことで、由比宿を過ぎて蒲原宿に入り、
蒲原駅を通り越して新蒲原駅まで歩いた。
あたりはずいぶん暗くなりかけていた。
時刻も6時を回っていた。
本日のウォークは、7時間半、4万歩、31キロであった。
結局、富士山は朝に2回ちょっと見かけただけであった。
ただ、コロナ禍で2年ほど東海道53次ウォークを中止していたし、
72歳になっているので、歩けるかどうか不安もあった。
だから30キロも歩けたことは、大きな自信になった。
7時ごろに沼津駅に着き、すぐ近くのビジネスホテル(大浴場あり)に宿泊。
夕食に桜えびなど駿河湾の幸をいただき大満足!
朝7時からのウォークだったので、大浴場で疲れを癒し、10時ごろには眠る。
今日はここまで
ではまた
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