金谷武洋の『日本語に主語はいらない』

英文法の安易な移植により生まれた日本語文法の「主語」信仰を論破する

第32回 名前が「かみなり」で終る女性には美人が多い?

2005-11-25 00:54:50 | 日本語ものがたり
 前々回「赤ちゃんの名前」、前回の「謎解き『シクラメンのかほり』」と、日本人女性の名前についてあれこれ調べていて止まらなくなってしまった。今回で何とか最終回にしなくては。さて、今回のタイトルを見て、憤慨する女性も多いだろう。私の名前は「か・み・な・り」で終らないけど、結構美人なのよ、と内心思わぬでもない?
 
 実はインターネットにこういう暴言があったのだ。オリジナルはもっと過激なのである。女性の名前で検索していて引っ掛った、程度の低い電子掲示板で、発言者は大学生である。やや気がひけるが全文引用してみよう。「うちの高校でも、成績が良い女子は「子」がつかなかった。「あい」「ゆか」「あや」「はるか」「あいみ」などが多かった。特に「かみなり」で終る子は成績優秀だけでなくみんな美人だった」おいおい、馬鹿も休み休み言え、とはこのことだ。簡単に「みんな」なんて言って貰っては困る。

 こういう野蛮な書き込みには、それこそ「雷」を落としてやりたいものだが、私が「ふーん」と思ったのはこの大学生の無責任な「主張」ではなく、名前の最後として一語に纏められている「かみなり」の方だった。最近の若い女性と女の子に、「か・み・な・り」で終わる名前が多いという点は少なくとも参考になる。新型の「かみなり族」か。語呂合わせとしてもよく出来ている。挙げられている漢字としては、「か:香、果、花、歌、華、加、佳、夏」「み:未、見、実、美、海」「な:奈、名、菜、南、那、夏」「り:理、利、里、梨、璃」などがあった。

 この掲示板の何倍も面白かったのはやはり腰のすわった著作である。特に『現代のことば』(三一新書)の、第一章「女の名前」が素晴らしい。この章を担当しているのは国語学者の寿岳章子さん。この方は時代別の女性の名前を丹念に調査、考察なさっている。そうだったのか、と驚いたのは江戸時代の女性名に「たつ・とら・しか・とり・くま・りう」などと動物名が多かったことだ。漢字ではなく平仮名であるのが女性的と言えようか。そう言えば坂本竜馬の連れ合いも確か「りう」だった。現代の女性名とは隔絶の感がある。今では動物名を女の赤ちゃんにつけることはごく稀で、植物をモチーフとする「花、萌、凛、咲、菜」などの字が花形漢字であることは前々回述べた通りである。確かに、江戸期にも「まつ・うめ・たけ」(つまり松竹梅)などはあった。しかし、その種類は大きく変わっている。この違いは何を物語っているのだろうか。

 寿岳氏が注目するのは江戸期の女性名に「平仮名二字」が圧倒的多数を占めることである。つまりこの時代の名前は意味よりもむしろ表記法に女性名の特徴があったと指摘するのだ。幕府がキリシタンを弾圧追放するために作った「宗門改人別帳」を眺めてみよう。悲しいことだが、庶民の女性名が日本史上初めて現れるのはこうした弾圧の場面なのである。例えば、京都の一農村馬路村では天保8年(1838)から慶応元年(1865)まで28年間の人別帳が残っているが、その内、女性名では平仮名二字の「○○型」(例:まつ)が何と93%を占めていた。続く6%はこれに「こ」のつく「こ○○型」(例:こまつ)。残りの1%は「こ○○型」以外の平仮名三字(例:まつの)であったという。驚くべきワン・パターンではないか。つまり言い換えると女性名は単なる符牒に過ぎなかったと言うことであろう。この傾向は明治・大正にまで続く。私の祖母も「いせ」と「つぎ」だった。このことは男性の名前が漢字を使って変化に富んだものであったのと極めて対照的で、そこに社会的な地位の差が如実に現れていると寿岳氏は結論づけている。

 江戸時代の平仮名二字名と現在っ子の「かみなり族」の間を長く広くカバーするのが、御存知の「○子」型である。この○はほとんど漢字だ。「○子」型全盛時代は「かみなり族」などに押され、昨今やや下り坂ではあるものの依然として根強い人気がある。年齢のせいか、私もいまだに女性の知人には「○子」さんが大半を占めている。しかも同音異字がとても多い。同じ「ゆうこさん」でも「侑子・裕子・祐子・優子・佑子」、「よしこさん」なら「良子・好子・嘉子・佳子・芳子」、「けいこさん」さんなら「敬子・恵子・佳子・啓子・慶子・桂子」など様々だ。「佳子」の場合、「よしこ」なのか「けいこ」なのか、ご本人に確かめる必要がある。こうした事情に、名前を表音文字アルファベットで書くにの慣れているカナダの日本語学習者にはとまどいを隠さない。表語文字の漢字は両親がその子が伸ばしてほしい個性を願って選んだものであり、その人の印象に深く結び付く。だから「優子さん」と「裕子さん」はもはや同じ名前という気がしないのである。女性名にも漢字を使う様になったことは、やはり女性の地位向上に繋がったと言えるだろう。

 なお、興味深いのは、こうした「○子」が実は遠く平安時代のリバイバルであることである。藤原道長が4名の天皇に次々に嫁がせた娘は上から彰子、研子、威子、嬉子の順だ。ただし、例えば彰子は「あきこ」でなく「しょうし」と「子」に至るまで音読みされた点が現在と異なっている。(2004年9月)

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4 コメント

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Unknown (Unknown)
2007-08-26 10:28:10
言葉って不思議ですね
Unknown (たき)
2007-08-26 13:00:36
はい。不思議で、小説よりも面白いです。
Unknown (Unknown)
2008-08-31 11:02:42
藤原彰子や定子が音読みなのは当時の読み方がはっきりとわかっていないからです。
例えば明子はあきらけいことめいし2つの表記がされていますが、あきらけいこが有力だそうです。
薬子もやくしではなくくすこですしね。
なるほど (たき)
2008-08-31 14:51:13
Unknownさん

なるほど、そうかも知れません。

(万葉仮名、つまり漢字で書かれた)万葉集の歌の読み方に諸説あるのと同じですね。コメント、ありがとうございました。

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