金谷武洋の『日本語に主語はいらない』

英文法の安易な移植により生まれた日本語文法の「主語」信仰を論破する

第66回 「和語と親しむ(6): つらい・かたい・にくい」

2011-01-27 22:10:30 | 日本語ものがたり
 今月も和語の話を続けてその6回目としよう。表題は和語の形容詞「つらい・かたい・にくい」とした。漢字で書けば「つらい」は「辛い」、「にくい」は「憎い」だ。「かたい」には様々な漢字があって、「硬い・固い・堅い」などとあれこれ思いつく。

 これらの形容詞を取り上げるのは、これらが一つの顕著な特徴を共有しているからだ。それが何か、ご存知だろうか。もしすぐ答えられる人がいたとしたら、きっと日本語を外国語として教えた経験があるに違いない。

 正解は、これらの形容詞の全てが、動詞の連用形に後置して「~するのが難しい」という意味を表すという点である。だから「信じがたい、言いにくい、食べづらい」などとなる。この共通点が分かりにくいのは、おそらく「連濁(れんだく)」のせいである。トリオの内、「つらい」と「かたい」では、語頭が濁って「づらい(例:分かりづらい)」、「がたい(♫忘れがたきふるさと」などとなるからだ。これに対して「にくい」の「に」は、これに対する有声音はないから、そのまま「にくい(覚えにくい)で使われる。なお「かたい」や「にくい」を「難い」と書くことがあって、振り仮名が無ければ「言い難い」が「言いがたい」なのか「言いにくい」なのか区別出来なくなる。
 
 さて、ここまで読まれた方の頭の中に、いま、疑問符「?」が点滅してはいませんか。何故意味が同じなのに、3つも形容詞があるのだろう…?という疑問が。因みに、逆の意味の「~するのが易しい」の場合、動詞の連用形につくのは「やすい」一語である。難しいの方が三つある理由の一つは、「日本語が時代とともに変化したから」だ。その証拠に、これら三つの和語には歴史的盛衰(浮き沈み)があった。早い話が「つらい・かたい・にくい」の中には、動詞との新しい組み合わせを作る力をもはや失ったものが一つある。

 それは「かたい」だ。「♫忘れがたきふるさと、曰(いわ)く言いがたい、忍びがたきを忍び耐えがたきを耐え…」などは、それぞれ歌詞、昔から言い継がれた常套句、終戦の勅語であって、日常生活では「動詞+がたい」はもはや新たに作り出されない。例えば、何かを食べようと箸でつまもうをするが、表面がつるつるして滑り落ちてしまう。そんな時、皆さんならどう言うだろうか。「取りにくい・取りづらい」とは言うが、「これ、ちょっと取りがたいね」などと言うのは相当変わった人だ。「かたい」は残り2つの形容詞に跡を譲って、この仕事をリタイヤした、と言っていいだろう。「かたい」さん、長年のお勤め、お疲れさまでした。

 もっとも「かたい」氏は、日本語に大変重要な足跡を残し、まさに功労賞ものの大和言葉である。お気づきだろう、日本人なら今日でも毎日数回は使う、最もありふれた感謝の言葉「ありがとう」が「かたい」氏の残した作品なのだ。「有難い」とも書くように、「あることが難しい」が原意である。面白いのは外国語との共通点で、「硬い」の意味の英語hard、仏語durがそれぞれ動詞を伴って「hard to say/dur a dire」(aにはアクサン・グラーヴがつく)となると俄然「~するのは難しい」の意味となる。ヒトが何かを「難しい」と感じるときに、その状況を具体的な皮膚感覚で「硬い・hard・dur」と表現することにはきっと普遍性があるのだろう。それは問題が「氷解」したり、素直でない人間について「頑(かたく)な・頑固(がんこ)・石頭」などと、いずれも「固いイメージ」を使うことにも明らかだ。

 「ありがとう」が「あり+かたい」から来ていることを現代日本人が意識しないのと同様に、語源が意識されないもう一つの例は、「きれい・美しい」の反意語の「みにくい」である。よく「醜い」と漢字で書かれるせいか、これが「見ることが難しい」の「見・にくい」から来ていることも、なかなか気づかれない。これとよく似ているのが「馬鹿みたい!」という時の「みたい」で、ここにも「見る」が隠れている。とは言え、「見たい」ではなく、その語源は「見たよう(=様)」である。「馬鹿みたいな話」とは「馬鹿見たような話」から「みたような=>みたよな=>みたいな」と変化した。その証拠に、「馬鹿みたいだ」の過去は「馬鹿みたかった」ではなく、「馬鹿みたいだった」となる。もし語源が「見たい」であったら「見たかった」となる筈だから。

 一度学生から「あいにく(生憎)」という言葉について、「これは「会い(合う)+にくい」から来ているんですか」と聞かれたことがある。なるほど「生憎」は「(両者の都合が)合いにくい」と解釈出来ることも出来るし、実にいい質問だ。しかし、実は半分しか合っていない。「あいにく」は古語の「あやにく」の崩れたもので、「あや」は動詞でなく感動詞なのだ。後半は「生憎」とも書くように確かに「憎し」の語幹で、意味は「あぁ、憎たらしい」である。「あやにく」が「あいにく」になったのは「や=>い」の変化で、これは「みたよな」が「よ=>い」と転じて現代日本語で「みたいな」になったこととよく似ている。

 最後に残った問題は、「がたい」が生産性を失った現代日本で依然使われている「づらい」と「にくい」のニュアンスの違いだ。果たして「食べにくい」と「食べづらい」が全く同じ意味なのかどうか、次回はそれを考えてみよう。(2011年1月)

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9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2011-02-07 14:44:00
「hard to say」は日本語で「言いにくい」と思いますが、「言うのが難しい」とも言いますよね。言葉というのは、特に話し言葉は こうでもそうでもよいと言う場合が多いとおもいます。人によって、言い方の好き嫌いなど、いろい炉あります。

ときどき説明しにくい質問を生徒に聞かれて、答えられないこともあります。考えてみると、まあ、日本語なんてそんなにきまりがないと思います。
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日本語のきまり (たき)
2011-02-10 04:26:18
「日本語なんてそんなにきまりがない」とは言い過ぎじゃないでしょうか。英仏語などとは別なきまりがあるだけです。

「きまり」とは別に、同じ状況がいろんな言い方でできるというのはどんな言葉でも言えることですよ。
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説明しにくい質問 (マグ-デル)
2011-02-13 13:41:57
 Unknownさんが 何を教えておられるのか知りませんが(たぶん日本語でしょうか?)、自分が説明できないことを、そんなことはどうでもいいのだ、と先生が言ってしまったら、生徒がかわいそうですね。 教えることを仕事にしてるのなら わからないことがあったらプロとしてさらに学ぶべきでしょう。
 単に趣味で先生をしてるのなら、生徒が何に問題意識をもったのかを察知して、答えるべきことはたくさんあると思います。
 たきさんが ここで 我々凡人が気がつかないような 日本語に関する楽しい話をしてくださるにあたっては、たきさんでさえも勉強されてると信じています。 ですから、この場所で、日本語なんて、という言葉を使うのは失礼ではないでしょうか。
 また きまり(文法)というものは、RULEがあるからそれにしたがって話さなきゃいけない、例外が多いから RULEではないと いった形式的なものではなく、 あくまでもネイティヴがその言語を使うときの傾向を表すものでしょう。
 でも文法を研究したり、提案しておられる方々は、言葉の歴史や、文化そのものの歴史までたどって、さらには現代どのように使われているかという統計的な分野にまで及ぶ研究のすえに、得られるほんの少しの(貴重な)成果を、我々に伝えてくださっているもです。 そのことを忘れないでください。
 

 
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しにくい・しづらい (たき)
2011-02-16 10:13:01
マグーデルさん、お久しぶりです。

マグーデルさんなら「説明しにくい」と「説明しづらい」のどちらが使いやすいですか。

ちょっと近くの日本人にミニ調査してみたら、年輩の人ほど「にくい組」のような印象です。これからは「~づらい」の一人勝ちかも知れません。
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お久しぶりです! (マグーデル)
2011-02-21 11:04:45
 正直に申しますと、わたしは 説明しづらい という表現を聞いたことはありますが、人生で一度も使ったことはありません。
 特にこの例の”SE THU mei SHI ZU rai ” では 摩擦音の連続で 発声もしにくい(^^)し日本語としても綺麗じゃないと感じてしまいます (私に取って”にくい” の方が 綺麗に聞こえるのは 古文の”にくし”のイメージからかもしれません。)
 外国人に教えるときは 
食べにくい/食べづらい 読みにくい/読みづらい  など日常的な言葉とは 組み合わせてよいが、高度な内容のことばと組み合わせることは避けて、 説明することが難しい/困難である。 などと言い換えたほうがよい、と指導してます。
 説明しにくい に です をつけても丁寧ではありますが 十分に失礼な言い方にきこえるという意味も含めて、このように指導してます。
 論点がずれてしまいましたが、若い人は ”~づらい” を使う傾向が高いのは知りませんでした。 日本語が 東北弁代してるんですね(すいません 悪い冗談です)。 でも それが本当なら、外人もそれを耳にすることが多くなるわけですから、ちゃんと教えなきゃいけないですね。 また勉強になりました、ありがとうございます!!!
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濁音と清音 (たき)
2011-02-23 09:49:24
マグーデルさん、

67回でも孫引きしましたが「書きづらい」などの「づらい」を山田俊雄が「「私の耳底を刺激する」から不快だ」と言ったというのが面白いですね。これは、おそらく濁音「づ」のせいだと思います。

しかし「か」の無声音「k」を「清い音」、「が」の有声音「g」を「濁った音」と捉える日本人の聴音感覚、美意識は全く独特なものだと思います。それを若い人が失いつつあるということでしょうね。
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濁った (マグーデル)
2011-03-07 00:08:44
 濁った という言葉がおもいしろいですよね。 私はロシア語を勉強するまでこの(濁った)という言葉を発音に関して使うのを知りませんでした。 30年以上英語を勉強してきて、ルーマニア語も現地の高校性用の文法書をてにするまでは、やはり日本語の解説書を使っていたのに、ですよ。
 つまり 有声音/無声音 という言い方しかしなかったのと、ロシア語を学ぶまではzdjbv がどういう音なのかを真剣に識別しようとしてなかったのです。
 今日も日本人に英語を教える授業といいますか、試験のようなものがありまして(その予習でいそがしかったので、たきさんのコメントを読むのがおそくなりました、すいません。)、 日本人は、 ず と づ を書きますが、その音の違いを失なってしまいました=という話をしました。(四国では 近年まで ず/づ をそれぞれ違う音で発声していて、政府が表記を統一した時、小学校でパニックがあったとか聞きましたが、面白いですね。しかも 水 の ず が DYUに近い音だったそうです。)
 ところが ロシア語では キリルでかきませんが tの濁った音がd sの濁った音がz、以下の相関をすごく初期に教えます。
 英語を教えて 気がついたのは、日本人が一番発音できてないのは Rじゃなくて Bだということです。 勿論 RやLを ちゃんと発音する日本人は10%にも満たないですが。 B を 強い破裂音の Pに対応する有声音として ちゃんと発音してる人は 5%にも満たないでしょう。 これはR が難しいながらも あまりにも違うので意識して勉強する人がいるのに対して、Bは日本語の ばびぶべぼ に似てるため 意識的に修正されることがないからです。
 B の発音を知らないと believe がなんで Vali-v みたいに聞こえるのかわかりませんし、発音もできません。(現実的には、アメリカ英語では アクセントをとらない母音の90%以上が弱い あ=eのさかさまの発音記号のような、にかわるということと 後続の Lに引っ張られて口の前の方で発音されるからなんですが)。
 話がそれますが、ロシア語とアメリカ英語の最大の類似点は このアクセントのない母音の劣化です。ロシア語もほとんど弱い あ で i e a を読んでしまいます。 英国英語ではその傾向は低いですが、たきさんの国(カナダ)ではいかがですか?
 もっともロシア語ではその音法が成文化されています(例外も含めて)。逆にアクセントをとったり、語頭では一段高い音や強く発音する重母音(え を イエー みたいな)に変わったりしますが。
 無関係な話を長々としてもうしわけありませんでした。
 有声音=濁った音 というのが日本人の感性だったのでしょうか。英語教育の場では のどが震える音 みたく(^^) 説明してますが、V B って 喉震えませんよね、、、
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清音・濁音 (たき)
2011-03-09 04:35:13
マグさん、こんにちは。

コメントありがとうございます。

濁音(だくおん)と、どう考えても悪口と思える言葉で呼ばれる有声音の「G-B-D-Z」ですが、これらの音には全く失礼な命名ですよね。人間の都合で勝手に「害虫」とされる一部の昆虫の場合とよく似ています。

だいたい清音とされる「K」が母音「a」を伴った「か」と、濁音Gの場合の「が」の表記上の違いは「テンテン」、つまり「濁音」で、これは和語で「濁り(にごり)」とも言われます。

無印を無標、それに何かが加わったものを有標と呼びますが、「濁点・にごり」はゼロに加えられたもので、あたかも澄んできれいな音(清音:例えばK)に汚れがついて濁った音(濁音:例えばG)と日本人は感じるわけです。神道の「けがれ・みそぎ」思想と関係があるのかも知れません。
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やさしい問題 (蒼茫)
2012-05-28 16:25:03
 お邪魔いたします。2012年5月に書き込んでいます。

 この回にアップされた記事のコメントとしてふさわしいかどうか分かりませんが、お取り上げになった話題が以前考えていたことと微妙に重なる部分もあり、投稿させていただきます。
 この場にふさわしい形に書き直せばよいのですが、ズボラして、手持ちの文章をコピーして貼り付けますこと、お許しください。デスマス調になっておらず、申し訳ありません。
 内容に間違いなどありましたらご指摘、ご教授いただけると望外の喜びに存じます。



【やさしい問題】

 試験問題が「やさしい」と言う。簡単だ、の意である。漢字で書くなら「易しい」。対義語は「むずかしい(難しい)」だ。
 「やさしい」には、ほかに「優しい」と書かれる意味もある。国語辞典では普通、こちらの意味が先に出てくる。

 同じ音の言葉に二つの意味があることは珍しくない。これはどんな言語でも同じことで、よく使う基本的な語ほどその傾向が強く、場合により三つ四つの意味がある。特に動詞など、用言では顕著だ。むろん複数の意味には何らかのつながりがあり、語源を遡れば意味の共通性を納得できることが多い。
 このような、同じ言葉のニュアンスの分化もまた様々な言語にある。ただし発展経過の違う他言語間ではその意味の対応は1対1というわけにはゆかないから、辞書の解説は三つ四つでは済まず、うんと増えることもある。英語などの動詞では、ほかに前置詞との組み合わせによる意味のバリエーションが多い。
 この点、中国語は基本が1字1語だから、日本語からすれば同じ「みる」でも、見・観・診・看など、違う音、違う意味の、違う字がある。それでもその1字が複数の意味をもつ例はないではない。「小」は「小さい」という意味だが「可愛い」というニュアンスで使われたり「取るに足りぬ」という侮蔑的な意味が込められたりする。
 日本語は漢字の流入で発展が止まってしまい、また近代につくられた新しい同音異義の和製漢語の氾濫により、それらの意味の違いは、会話では文脈に頼ることが多い。が、これはまた別の話だ。

 さて「やさしい問題」である。「優しい」も「易しい」も意味的には繋がっているような気がしていたので、当初は単に、漢字の場合のような厳密な分化がないのだろう、ぐらいに考えていた。
 ただ、私の育った大阪では「やさしい問題」とはあまり言わない。少なくとも土着の年寄りは全くというほど使わない。「簡単な問題」と言う。これは漢語を形容動詞として使っているのだろう。いわゆる和語でないことは確かだ。
 「やすい問題」とは言わなくはないのだが、これについてはすぐに述べる。

 では「易しい」の古形は何だろう。「やさし」という古語はあるけれども、これは「優し」であり、「易し」ではない。後者は「やすし」と読む言葉であり、現代語「易い(やすい)」の先祖だ。
 「易い」は普通、「わかりやすい」とか「壊れやすい」のように、他の動詞の接尾語として使われることが多く、現代では単独の形容詞として使われることは少ない。反意語の「かたい(難い)」も同様である。「忘れ難い」など。
 「やさしい問題」とは「(解き)やすい問題」のことだ。
 ただし、上方近辺の年寄りはいまでも単独の形容詞形を使い、「やすいことです」などと言う。だが現代共通語では「おやすいことです」という慣用的な表現を除けばほとんど使われない。
 「たやすい」のように強調の「た」がつく場合も同様だが、間違っても「たやさしい」とは言わない。まして「おやさしい」などは意味が変わってしまう。このことからも、簡単だという意味での「やさしい」は新参者であることが想像される。

 そもそも「やさし」という言葉は、うんと古い時代には次のような意味であった。

《困難》身も細るほどつらい
《羞恥》肩身が狭い、恥ずかしい
《慎み》慎み深い、控えめな
《感心》けなげな、感心な

 元来、「やさし」は動詞「やす(痩せる)」が形容詞化した語であり、身が痩せ細るような思いを表す。そこから恥ずかしい、つらいなどの意味が出てくる。これは他人から見ると慎みであり「控えめだ」「感心だ」ということになる。
 これに加わったのが次の意味。

《優美》優美だ、優雅だ

 「やさし」が優美の意を表すようになったのは中古日本語の後期以降で、和歌の評語として、あるいは軍記物語で武骨な態度と対照して用いられた例が多い。
 現代語の「優しい」はこれに最も近いから、このあたりを境にして「やさし」は優美の意味に傾いていったのかも知れない。つまり「優しい」は言ってみればお公家さんの風雅なのだ。「やさしい色」「やさしい言葉」という具合である。

 では、簡単だという意味の「やさしい」はどこから来たのだろう。すでに述べたように、古語辞典にある「やさし」は「優し」であって「易し」ではない。後者は「やすし」であり、この意味での「やさし」という言葉はなかった。
 古語辞典への記載がないということは江戸時代の文例にもないということだ。つまり「易しい」という現代語は明治以降に使われ始めたということになる。

 「易しい」という語の初出がいつのことかは知らないが、想像するに、明治期になって人の往来が増える中、東京あたりで東北弁のサ行の発音などが影響し、当初「やすしい」と言っていたものが「やさしい」に転訛したのかも知れない。
 もしそうなら、これは近代に入って新しい和語が誕生した珍しい例だろう。

 なお、一部の国語辞典で「易い」の対語を「難い」としており、これは古語の「やすし」「かたし」に対応していて問題はないが、一方「難い」の対語を「やさしい」としていて、一貫性がない。
 この辞書の編纂にあたり「かたい」の部を担当したのはたぶん、関東か東北の出身者だろう。上方の人間はこんなことはやらない。いまだに老人は「やすいことです」を使い、辞書編纂に携わったのはその世代だからである。
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