金谷武洋の『日本語に主語はいらない』

英文法の安易な移植により生まれた日本語文法の「主語」信仰を論破する

第45回 「左と右」

2007-04-01 01:15:25 | 日本語ものがたり
 当地のコミュニティ紙「モントリオール・ブレテン」1月号に東京国立博物館の望月幹生夫氏の「日本古代展を終えて」という記事が掲載されている。「埴輪で見ると、古墳時代は(着物を)左前に着るのが普通だったようです」と書いておられるが、もし横に埴輪の写真も添えられていたら、「あれ?」と思われる人がいたに違いない。なぜなら、「左前」とは、着ている本人から見て、「右の襟(えり)が前に来る(=上になる)」ことを言うからである。つまり、「左前」では左が前にならないのだ。

 この謎を解くヒントは、「着ている本人から見て」と書いたところにある。「右前」や「左前」は、着ている本人から見てはいけない。着ている人を役者と見て、観客の方から見るのである。写真の説明でよく使われる「向かって左」であれば、「左前」は、ちゃんと左の襟が前になる。 なお、現代でも死んだ人に着せる経帷子は「左前」だ。商売がかたむくことを「会社が左前になった」と言うのは、望月氏の指摘しておられる通り、その不吉なイメージの連想だろう。

 この視線と似ているのが日本の舞台用語で、上手(かみて)が右、下手(しもて)が左なのは、これまた客席から見たものである。面白いことに、ヨーロッパでは視線が逆になる。フランスの右(droite), 左(gauche)はそれぞれ、舞台から客席を見た言い方なのだ。井上ひさしの小説「モッキンポット師ふたたび」(講談社文庫:1985)に、この違いを取り上げた箇所があり、ちょうどそこを読んだばかりだったので、望月氏の記事が特に興味深かった。

 このシリーズの第42回「奈良時代のサッカー」で「ぎっちょ」の語源を考え、「どんど焼き」の別称「左義長(さぎちょう)」から、「左利き」を「ぎっちょ」と言うようになったことを見た。これに続いて、今度は「ひだり」の語源を考えてみよう。左は、太陽の出る方向、つまり「日出り(ひだり)」というのがほぼ定説になっている。これに対して「みぎ」の方は、諸説あって、どれも決定版とはいえない。右利きが圧倒的に多いので「にぎり(握り)」から来たという説も面白いが、それなら何故「ひだり」に残った「り」が、「みぎ」では消えたのかという疑問が残る。

 さて、左が「日の出る方角」であるとするなら、「左」イコール「東」ということになる。そう言えば、「ひがし」の語源は明らかに「日+向か+し」が(ひむかし→ひんがし→ひがし)だから、語源すら瓜二つだ。漢字の「東」もまた、「木」の向こうに「日」が昇る会意文字であることはよく知られている。因みに「ひがし」の「し」は「風向き」の意味から転じて「方向」の意味で、「にし(西)」にも使われている。こちらは「去・往(い)に+し」で、太陽の去る(=日没の)方向の意味。沖縄からさらに南に行くと「西表島」という島があるが、この読みが「にしおもて」でなく「いりおもて」なのも、西がここでも日の沈む方向として意識されたせいだろう。「いり」は「入り」に違いないから。なお、地球上どこにいようと人間の考えることはどこか似通っているもので、西洋語の東洋・西洋であるOrient/Occidentもそれぞれ意味は「日の出る(方角)」と「日の沈む(方角)」である。

 話を戻そう。「左」イコール「東」となるには、視線が南を向いていることが条件になる。このことと関連があると思われるのは京都御所の「左近の桜」、「右近の橘」で、御所の内側から、つまり北を背に「天子南面」の視線で見ると右近は右、左近は左にちゃんと来る。(岩波古語辞典1478頁の図をご参照下さい) また、京都の左京区と右京区も、地図で見ると左右反対になっていることも参考になるだろう。こちらも、御所の方から南を見ると左右正しくなる。

 言うまでもなく「天子南面」は中国の習わしで、皇帝は南に面して座した。また皇居の正面は南(の南大門)である。南面すれば当然「北」は後ろに来るので、「背」という漢字にも「北」が使われるし、「北」そのものが、背中合わせに坐った二人の会意文字である。摂政・関白の正妻を「北の政所(まんどころ)」と呼んだのも、正門から一番奥に政所があったからで、これはつまり「奥様」というのと同じことである。

 中世の軍記物語に「弓手(ゆんで)・馬手(めて)」という言葉が出て来る。意味はこの順で「左の方・右の方」である。(例:保元物語「弓手馬手より馳せ寄って…」)。漢字で明らかなように、左を「弓を持つ手(の方向)」、右を「馬の手綱を持つ手(の方向)」と見たところから来た言葉だ。

時代を下って、江戸時代には武士が道を行く時に必ず左側を歩いた。これは、刀のせいである。左腰に差した刀がすぐ抜けるには右手が自由に使えなくてはくならない。それから武士がお互いにすれ違う時に刀をぶつけない様にした。

(2007年3月)

追記(2009年11月)
ミクシィ仲間の多摩うさ君(高校の同級生)からこんな(↓)メッセージが。それに答えました。

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中学3年生の英語の教科書に次の英文があります。
King worket for equal rights for non-whites in the U.S.

ここで言われている「権利」としてのrightは、ほかに正義、そして右という意味を持ちます。そこで生徒が、「何で一緒なんですか?」と聞いた。そりゃー日本語だって「酒と鮭」とか「端と橋と箸」とか同じ音でも違う意味のことばがあるでしょう」とごまかした。権利と正義はなんかつながってるな。でも「右」はなんでだろう?

 で、じゃあ調べてみるね、と生徒には言っておいて、たき君に伺う次第です。困った時のたき頼み、です。よろしくお願いします。

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多摩うさ、こんにちは。

はい、はい。これは語源学で必ず学ぶ重要項目です。

rightの語源は印欧祖語の*reg-まで遡れ、そこから派生した多くの単語が印欧語族で使われています。*reg-の意味は「一直線に動く、導く、支配する」なので、例えばこれに一番近いのはrectangle「長方形」でしょう。

でもそれはさらにrightとなって「真直ぐ」から「正しい、正義」、正しいものは「権利」となりました。「権力のあるもの」は「高貴」かつ「金持ち」と解釈され、richもこの 派生語の一つです。それを人名にするとRichardとなります。ニクソンは正しくなかったけどね。

最後の「右」は、西洋において、「左右」をこの順で「善悪」に当てたんでしょうね。「左」の古英語*lyftは「弱い、価値のない」で、同じく古英語の*rihtのように「支配」していません。ちなみに仏語の「左」gaucheには「不器用」、スペイン語のizquierdaには「不正な」という悪い意味があります。

和語の「ひだり」は「日出り」から来てきて威勢がよく、また相撲番付でも左の方が強いのだから、日本は西洋と解釈が逆ですよね。面白いものです。
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で、後日、モン大の日本語教室でこの話をして、西洋で「右」が「左」と比べて高い価値をおかれている理由を一緒に考えてみました。結局、単に、右利きの方が多いから「右=多数=正常=正しい=正義」と解釈されたんじゃないか、というのが大方の意見です。

一方、「天子南面」の中国の伝統を受け継いだ日本では必然的に「左=東」ということになり、左と東はその語源を見ても「日」の出る方向(日出り、日向かし)なので、右よりランクが上となったと考えていいようですね、と。

その時です。エステル・ボワスィエ(Estelle Boissier)という女子学生が「先生!」と手を挙げてこう言うじゃありませんか。

「アマテラスは確かイザナミの左目から生まれていますよね。ツクヨミは右目です」

いやー、驚きました。神話に関心を持っている学生ですが、こんな風に教え子から学べるとは。
誠に教師の愉悦、醍醐味です。




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2 コメント

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Unknown (ささ)
2008-04-25 17:51:38
左前の「前」は手前という意味の前なのでその服を着ている本人にとっての前だと教えられました。
前と後ろの前ではなく、前と奥の前です。
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前と奥 (たき)
2008-05-01 10:02:12

なるほど。「その服を着ている本人にとっての」とおっしゃる所は
私の申した視点と同じですね。そしてその人から見て左が前、つまり奥でなくて前、ということなのですから、結局同じことをおっしゃっていると思いますけど。


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