金谷武洋の『日本語に主語はいらない』

英文法の安易な移植により生まれた日本語文法の「主語」信仰を論破する

第50回 「大統領がキレる国」

2008-02-22 19:30:53 | 日本語ものがたり
 前回、日本語が「対話の場」をいかに大切にするかということを「行ってきます・行ってらっしゃい」と「お帰りなさい・ただいま」を例にあげて指摘した。日本語の「対話の場」では<我>と<汝>が一体となって溶け込もうとする、それが日本文化の基本ではないかとさえ私には思えるのだ。  「相身互い・持ちつ持たれつ」などという表現などもそのことを物語っている。さすがは「気くばりのすすめ」(鈴木健二著、1982年) . . . 本文を読む

第49回 「行ってきます」と「お帰りなさい」

2008-02-03 00:18:20 | 日本語ものがたり
 日本語をよく観察すると、日本人がいかに「対話の場」を大切にする民族かということに驚く。話し手である自分がいて、自分の前に聞き手がいる。聞き手は2人以上のこともあるが多くは1人だ。ここで大切なのは、この「対話の場」に<我>と<汝>が一体となって溶け込むということだ。この点が日本文化の基本であるように思えてならない。日本語における<我>は、決して「対話の場」から我が身を引き離して、上空から<我>と< . . . 本文を読む