金谷武洋の『日本語に主語はいらない』

英文法の安易な移植により生まれた日本語文法の「主語」信仰を論破する

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

第83回「黒帯の教え子を持つと」

2015-07-04 11:19:44 | 日本語ものがたり
モントリオール大学東アジア研究所で日本語を25年教えた後、退職したのは2012年6月でしたから、早くもリタイヤ生活が三年目ということになります。四半世紀に及んだ教師生活には数々の忘れられない思い出がありますが、今回はその中でも極め付きの、警察官まで登場する羽目となった、誠に思い出深い出来事を思い切ってご紹介することにしましょう。今でも思い出すと胸の高鳴りを抑えることが出来ません。そこに至る背景まで含めますと、やや長いお話になります。

その伏線として、教師である私と教え子である学生達の関係をお話ししておいた方がよさそうです。ケベックの学生は日本やアメリカの大学生と比べて、精神的に大人であるという印象を、私はずっと持っていました。余談ですが、アメリカの学生に関しては、モントリオールから車で2時間の近距離にあるミドルベリー大学(バーモント州)で1996年、1998年、1999年の三回、九週間ずつ教えた経験があります。このキャンパスで夏の間に開講される外国語のクラスは特に有名で、全米中から選抜された学生が、ゴルフコースのように美しいキャンパスに集まります。

面白いことに、英語を母語とするアメリカ人学生たちが同じレベルまで達する学習時間数が言語によって違うと見なされ、八つの外国語が四つずつ二つのグループに分けられていました。『易しい言語』はフランス語、スペイン語、ドイツ語、イタリア語で、六週間のコースになります。これに対して『難しい言語』は九週間のコース。こちらは中国語、アラビア語、ロシア語、そして私も教師として参加した日本語でした。このように、時間数を比べる限りでは、平均的なアメリカ人にとっては、日本語はフランス語より1.5倍難しいと見なされているということになります。

さて、モントリオール大学で日本語を学ぶ学生に話を戻しましょう。クラスの中には子育てを既に終えた女性もいれば、退職して年金生活に入ったもののまだまだ元気な初老の男性などもごく普通にいて、人格的な意味では、私は日本的な意味での先生、つまり『仰げば尊とき』教師では全くなかったのです。日本語に関してだけは、せいぜい『コーチ』の立場でしたが、教室を離れたら今度は逆に教えられ、助けてもらうことの方が多かったのです。今回、ここで告白する事件も、教室で日本語を教えていた学生に窮地を救ってもらった数多いエピソードの一つにすぎません。

それは1995年のことでした。当時、私はあることにすこぶる腹を立てていました。私が結婚した相手には、既に成人となった二人の連れ子(長女と次女)がいるのですが、次女のジョアンヌが、自分の住んでいるアパートで何度も同じ男から『覗き魔』の被害を受けていたのです。そこで詳しく様子を聞きました。朝早く、高い塀を乗り越えて、窓の向こうに立ったまま彼女をにやにや笑いながら見ているというのです。その間、僅かに5、6分。気味が悪いので何度か警察に電話をしたのですが、警官が来たころには消え失せているということでした。こんなことが何度も続くので、ノイローゼ気味になり、引っ越しも考えている、という聞くもおぞましい話を打ち明けられました。『その男が現れるのは大抵月曜か火曜。服装からは作業員か工員じゃないかと思うの』、とジョアンヌ。近くの工場か工事現場で週に二回程度のパートの仕事でもしているのかも知れません。

ところがいくら電話をしても警察が頼りになりません。『現行犯でなければ逮捕出来ないし、かと言ってこっちにも他の仕事があるから、来そうな日をここでじっと網を張って待っている訳にもいきませんしね』と言うらしいのです。『まるで警察は、相手が覗きに飽きて来なくなるまで我慢しろ、と言わんばかりなの』、と言ってやつれ気味のジョアンヌはうなだれるのでした。

『義憤』という言葉はこんな時の為にあるのでしょう。よおし、そのフザケた破廉恥男を徹底的に懲らしめてやろう、と私は肚を固めました。そしてこうジョアンヌに宣言したのです。『分かった。僕が何とかする。ここは任せなさい』

しかし、不安はありました。ジョアンヌの話によれば、『敵』は身の丈180センチ以上。年齢は30歳前後というのです。高い塀を難なく乗り越えるくらいなら運動神経もかなり発達していそうですし、それに、工員か作業員風なら、凶器に早変わりする工具だって腰に持っているかも知れません。待ち伏せて、逆にこっちがやられてはまるで漫画。さて、どういう作戦をとるべきでしょうか。

実は、『僕に任せろ』と言った時点で、考えはあったのです。『教え子の手を借りる』、これ以外の作戦はありません。帰宅後、早速これは、と思われる学生に電話を入れました。一人目は空手二段のシルバン・ロー、二人目は合気道師範のルカ・ジルー。こういう『腕に覚えのある』学生が次々に見つかるのも、『腕に覚えのない』日本語教師にとってはこの上なく有難いのであります。なにせ当方、痛いのは大の苦手、子供の時から喧嘩で勝ったためしもない『やわキャラ』…。

電話すると二人にすぐ繋がり、事情を話しました。すると、嬉しいじゃありませんか、こちらが何かをお願いする前に、二人揃って協力を申し出てくれたのです。『わなを仕掛けましょう、先生。目立っては警戒されてマズいので、二人いれば十分です。他に味方は要りませんよ』と頼もしいことを言ってくれました。こちらは用心のために5、6人まで考えていたのですが。シルバンとルカは同じクラスで仲良し。相棒の名前を言うと、『あっ、彼となら二人で大丈夫です』 かくして、月曜日の翌朝、シルバンは我々夫婦と一緒に塀の外側の車の中で、ルカはジョアンヌの家の中で網を張る、という作戦が決まりました。

ついに決行の日、D-Dayがやって来ました。眠れない夜が明け、この日1995年5月16日の朝を迎えたのです。前日に用意した(憎っくき敵の顔に振りかけるられるかも知れない)胡椒の小瓶と、(身柄を確保した際に敵の手足が縛れるかも知れない)浴衣の帯を持参して、朝5時半、ジョアンヌの借りている家へ車で向かいます。そこに着くと、有り難や、シルバン(空手二段)、その級友ルカ(居合道及び合気道師範)の二人は既に道に立って我々の到着を待っていてくれました。二人とも十分気合いが入っている様子です。ルカをジョアンヌの家の中に配置し、残りの三名(我々夫婦とシルバン)は、ジョアンヌの描いた犯人の人相書きを手に、庭に続く裏道の約80m先に車を止め、車内で待ちます。この時の心境は筆舌に尽くせません。怒りと不安で胸は高鳴るばかりで、「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせていました。

7時を回って、それらしき人物は一向jに現れません。何てことでしょう。せっかく学生が加勢に来てくれたというのに、今日に限って空振りかな?今日は駄目でも、また頼んだら来てくれるかな、とそんなことが気になり出したころ、車内のバックミラーに早足で近づく男がちらっと見えました。おぉ、これなん、人相書きの男にまさに瓜二つ。私は迷わず「来た!こいつだ!間違いないっ!」と小声で言って、塀の向こう側で待機中のルカに携帯で「来たぞ、まもなく塀を乗り越えるっ!」と知らせます。「了解〜!」とルカが答える落ち着いた声。男は車中の我々に気付く様子もなく、車の横を通って一路ジョアンヌの家の方向に向かいました。こちらは、ここが我慢のしどころ。今、焦ってはいけないのです。現行犯で捕まえなければ警察に突き出すことは出来ません。どうしても先ずはこいつに塀を乗り越えて向こうに降りて貰わなければならないのです。勝手に私有地に入ることだけで既に犯罪ですし、さらにわざわざ高い塀を乗り越えるのですから言い訳は出来ません。私はいつしか「さあ、行け。越えろ、越えるんだっ!」と祈っていたのですから皮肉なものです。

果たせるかな。男は次女の庭の辺りに至ると、ふと歩みを止めて、いかにも慣れた様子で塀の上に両手を掛けると、鉄棒よろしくヒョイと全身を塀の上に。そして塀の向こうに消えました。驚くべき運動神経です。この時点で車内のシルバンは脱兎の如く車を出て走って行きます。私は心臓が既にパクパクと飛び出しそう。それでも、胡椒と浴衣の帯の出番が近づいたかも、と右手でそれらを確認しました。

男が消えた場所まで車で近付き、我々夫婦も車から飛び出すと、塀の向こうでルカと男が激しく口論しているのが聞こえます。そして、次の瞬間、男が塀の上に姿を現わしました。明らかに恐怖で顔が引きつっています。そしててポンと裏道に飛び降りると、そのまま走って逃げ出しました。続いてシルバンとルカが塀を乗り越え、男を追いかけます。「おい、捕まえてくれよっ!」と叫ぶと、ルカ、こちらを向いて、「先生、いいこと、五分!」とウィンクするではありませんか。あぁ、この余裕。我々夫婦は再び車に飛び乗り、痴漢一名、それを追う我が方の味方二名を追いかけたのでした。

痴漢が捕まったのは言うまでもありません。適当な所で目配せしたシルバンとルカが挟み撃ちにして、いよいよ素手の戦いになったらしいのですが、こうなると敵も黒帯二人が相手ではとてもなりません。車で我々がようやく追いついた頃には、既に敵は組み伏されていて、「俺が何をしたって言うんだ!」とか「放せ、この野郎!」とか悪態をついています。それを見ると私には名状し難い怒りが込み上げてきて、「この破廉恥野郎!」とか「これでも食らえ!」と(恐らくは日本語で)叫んで、せっかく持って行ったんだからと男の顔面に私は胡椒を思いっきりぶちまけてやりました。そして、ごほんごほんとむせる男の足を(これまたせっかく持参したのだから、と)浴衣の帯で縛り付けて、先程来男を組み伏せていた味方二人を楽にしてやったのです。気がつくと妻がこの快挙をスマホのカメラに収めています。それに気がついたルカが男に「はい、チーズ」と言ったのは痛烈なブラック・ユーモアで、男にはさぞやいい薬になったことでしょう。加勢を頼んだ教え子両名も、持参したものも全て大活躍して、作戦は大成功に終わりました。

電話連絡で、5分もするとパトカーがやってきました。事情を説明すると「いやあ、お見事。全ての市民の見本です」とか「何しろ現行犯でないと我々も手が出んのですわ」とか苦しい言い訳に終始するばかり。「表彰ものです」とも言われましたが、その後、そう言った話は何もありませんでした。それよりも、後日聞いてぞーっとしたのは、この犯人には前科の長いリストがあって、その中には、強姦、婦女暴行など性犯罪があったことです。別件の法廷通訳で裁判所に行ったときにばったり再会した警察官からそのことを聞きました。警官は「やっこさん、前科のせいでそのまま刑務所に入れられたよ」と言うのです。やはり覗いていただけでなくて、隙があったらジョアンヌも襲われていたかも知れなかったと思うと、震えが止まりませんでした。同時に、泣き寝入りせずに、学生とチームを組んでこの男を懲らしめてやったことを嬉しく思いました。ルカとシルバンとはその後も連絡を取り合って、ときどき会っているのですが、そんな折りには、必ず、この「1995年5月16日の快挙」を祝ってビールで乾杯することは言うまでもありません。その日撮った写真数枚も家宝のように大切にしています。


応援のクリック、どうぞよろしくお願い申し上げます。



 2009年7月7日からのアクセス数
 現在の閲覧者数
コメント (3)   この記事についてブログを書く
« 第82回「消えたミスター・残... | トップ | 第84回「ひらがな革命と国風... »
最近の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
三上先生の夢を見ました (たなかのぶ)
2015-09-30 05:00:28
記事とは無関係ですが、三上先生を偶然見つけてお話をする内容の鮮やかな夢を見ましたので、思わずこのブログを探し報告することにしました。
私は来年には古希を迎える老輩ですが、高3の時に三上先生に幾何学の授業を受けました。時を経て社会人になった私は化学関係の技術者になっていました、時折趣味で読む日本語関係の書籍で出てくる三上章の名前が昔数学の授業を受けた三上先生と同一人物であると気付いたのはだいぶ経ってからでした。その後、折に触れて三上先生の本を読んだりしていましたが、「主語を抹殺した男」で金谷武洋先生の三上先生への熱い思いを知りました。で、何の脈絡もなく三上先生に出くわした夢を見ましたので、とりあえず報告いたします。夢の中では三上先生は昔のままの細面で木訥とした語りで対応していただきました。
心から感謝致します。 (たき)
2015-10-17 01:24:14
たなかのぶ様
感動的な書き込み、有難うございました。心から感謝致します。
三上先生に数学を教わったとは正直、羨ましいです。おそらく三上先生が長らく教鞭を取られた山本高等学校だったのでしょうね、
来年が古希とはまだまだお若いです。私の5歳先輩です。今後ともよろしくお願い致します。来年4月に一時帰国するかも知れません。お会いできたら光栄です。
三上先生のこと (たなかのぶ)
2015-10-19 11:46:41
早速のレスありがとうございます。高校は八尾高校です。正規の担当教師が体調不良だったか何かの事情だったかは忘れてしまいましたが、授業を持てなくなり、すでに退職されていた三上先生が臨時講師として呼ばれました。そのときなぜか別の国語教師の先生が三上先生を紹介され、三上先生はとても頭がよく、人がやっていない何か難しいことはないかと考え、行き着いて日本語の文法を勉強されている。形容動詞という品詞は実はないんだとおっしゃっておられる、というようなことを聞いた記憶があります。主語を否定しておられることまでは聞きませんでした。
授業では黒板用の大きなコンパス(ぶん回し)と三角定規を持って立たれ、線を引きながら「日本語に複数形がないのだけは不便やね。数詞を付けるなら『線たち』ではおかしいし、『線ども』やろね」とおっしゃっておられた記憶があります。

コメントを投稿

日本語ものがたり」カテゴリの最新記事