金谷武洋の『日本語に主語はいらない』

英文法の安易な移植により生まれた日本語文法の「主語」信仰を論破する

第82回「消えたミスター・残ったミスター

2015-02-26 10:18:01 | 日本語ものがたり
前回は、日常生活でよく使われる言葉をいくつか挙げて、元を辿るとその言葉は人名、それもその言葉と深い関係のある人物の名前だったことを、シルエット氏(フランス人)、サンドイッチ氏(イギリス人)、レントゲン氏(ドイツ人)の三名を実例としてご紹介しました。何だ、そんな例なら他にも知ってるぞ、と思われた方もいるでしょう。そんな反応を予測して、今回もさらに例を並べてみたいと思います。次回からは別な話題へと移ります。

人名が普通名詞になった例で多いと思われるグループは病気の呼び方です。世界で最初に症例を医学雑誌や学会で報告した医者や病原菌を発見した科学者の名前がそのまま病気の名前になった例です。思いつくまま挙げてみますと、パーキンソン病、アルツハイマー病、ダウン症候群、バセドウ病、ハンセン病など浮かんできますが、これらの多くは、元々発見者の名前の後に「氏」、つまり「ミスター」が添えられて、「これは発見者(報告者)の人名です」と明示していました。そう言えば、今は亡き私の父が59歳でそう診断された時は「パーキンソン氏病」でしたが、今は「氏」が消えて単に「パーキンソン(症候群)」となりました。
また、日本では長年「癩(らい)病」と呼ばれて、隔離施設の「らい病院」まであったこの病気もそうした例で、時代とともに「らい病」から「ハンセン氏病」を経て今では「ハンセン病」と呼ばれます。この病気の患者は感染を恐れられて長年差別の対象になったこともあり、「らい」という言葉が歴史的な文脈以外では避けられたことも、その理由だったのでしょう。それに代わった「ハンセン」は、1873年に世界で初めて「らい菌」を発見したノルウェー人の医師、アルマウェル・ハンセンの名前です。そして、「人名ですよ」マーカーだった「氏(ミスター)」がいつしか消えてしまいました。

次に、21番目の染色体だけが正常の二本組(ダイソミー)でなく三本組であることから「トリソミー」とも呼ばれる、染色体異常がもたらす病気についてです。この病気は、患者の目の異常(目尻が上がって瞼の肉が厚い)を1862年に最初に報告したイギリスの眼科医ジョン・ラングトン・ハイドン・ダウンの名前をとって「ダウン症候群」とWHOが1965年に正式命名しています。長らく「蒙古症」とも呼ばれたのが人種差別的だと批判されたこともあって、人名が採用されたようです。21番目の染色体異常(トリソミー)を報告したのはダウンとは別人のフランス人小児科医師のジェローム・レジューンだったので、レジューンは自分の名前が残らなくて悔しい思いをしたかも知れません。その気持ちを忖度したものかどうか、面白い後日談があります。同じWHOが2012年3月21日を「世界ダウン症の日」に認定したのです。これは明らかに21番染色体が3本組であることを発見したレジューンを数字で暗号的に顕彰したものに違いなく、これはなかなか粋な計らいではないでしょうか。因みに、この病気は「ダウン氏病」と呼ばれた時期がなかったことも意味深です。

病気の名称に関しては医者や科学者の名前が残されることが多いのですが、患者が有名人だった場合は、その患者の名前で病気が呼ばれることも稀にあります。その恐らくもっとも有名な例は「ルー・ゲーリック病」でしょう。今では略語でALS(=Amyotrophique Lateral Sclerosis)とも呼ばれる「筋萎縮性側索硬化症」のことです。アメリカのプロ野球、大リーグの花形選手で国民的スターだったルー・ゲーリック(Lou Gelig:1903-1941) がこの病気の有名な患者で、おそらく本人は自分の名前が病気の名前に残る事になろうとは予想だにしていなかったことでしょう。1934年の三冠王を始め、大リーグ史上最も有名かつ優秀な選手の一人だったゲーリックは人気絶頂の1939年(35歳でした)、突然身体の異変に気づいて欠場を決めます。その時点で、当時の世界記録2130試合連続出場の記録を更新中だったのですから、誰もが驚く大ニュースでしたが、この時には既にゲーリックの身体はALSに冒され、手だけでも17もの骨折個所があったと言われています。そしてその僅か2年後に亡くなりました。享年何と37歳という若さでした。かくしてALSはルー・ゲーリック病」と呼ばれ、こちらも「氏」は最初からついていません。これは患者があまりにも有名人だったからです。誰もが知っている人であればあるほど「人名ですよ」マーカーは不要ですから。

ルー・ゲーリック病に罹ったカナダ人と言えば、「死ぬ権利、尊厳死」という件をカナダ全体の社会問題に持ち上げたスー・ロドリゲスさん(1950-1994)のことを思い出します。マニトバ出身のこの女性は1991年に筋萎縮性側索硬化症と診断されました。それ以来、身体の自由が急速に失われていく中で、「自ら命を絶つ権利」を訴えて、文字通り命を懸けた法廷闘争を繰り広げます。医師による自殺幇助はカナダでは違法と見なされており、自殺に関わった医者には最高で14年の懲役刑が課されます。結局ロドリゲスさんは1993年に最高裁で4:3の僅差ながら敗訴。その翌年に、違法を覚悟で幇助した匿名の医師の手を借り、自ら命を絶ったのでした。

最後に、せっかく人名マーカー「氏」が奇跡的に残ったのに、今では多くの人に人名と結びつけられなくなってしまったユニークな例を挙げてこの二回シリーズ(人名起源の普通名詞)を結ぶことにしましょう。それは身近な温度の単位なのです。私の場合、カナダに来て一番「換算に苦労」したのが華氏(F)から摂氏(C)への換算で、今でも出来ません。必要ならスマホの換算アプリを使っています。さて、この華氏、摂氏はそれぞれ人名+ミスターだと皆さんはご存知でしたでしょうか。それぞれ発案者である科学者ガブリエル・ファーレンハイト(ドイツ人)、とアンデルス・セルシウス(スウェーデン人)を中国語でそれぞれ華倫海、摂爾修斯と書き、次にこれらが人名であることを示す「氏」をつけて、さらにそれを略したのが「華氏・摂氏」になったという訳です。消えたミスター、居残ったミスター、言葉には色々なストーリーがあるのですね。  (2015年2月)


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