金谷武洋の『日本語に主語はいらない』

英文法の安易な移植により生まれた日本語文法の「主語」信仰を論破する

第71回  「左見右見(とみこうみ)して鰻屋へ山の芋」

2011-09-19 09:56:52 | 日本語ものがたり
 「左見右見して鰻屋へ山の芋」は、江戸時代の古川柳の一つである。優れた古川柳を集めた「俳風柳多留」には、当時の庶民のユーモアと感性の豊かさが横溢しており、江戸風俗の資料としても大変貴重なものである。

 柄井川柳(1718-90)は浅草新堀端に居を構え、竜宝寺門前町の名主でもあった。柄井が確立した古典的な川柳が古川柳と呼ばれ、明治以後復興されたものとは区別されている。下に挙げるものなどは、どれも代表的な古川柳だが、どなたもよくご存知のものばかりだろう。平成の現代日本にも通用するものが多い。

役人の子はにぎにぎをよく覚え
寝ていても団扇のうごく親ごころ
泥棒を捕らえてみれば我が子なり
居候三杯目にはそっと出し
本降りになって出て行く雨宿り

 ところが、表題の「左見右見して鰻屋へ山の芋」を初めて目にしたとき、私は意味が分からなかった。「山の芋」とは一体何だろう。それから、「左見右見」には「とみこうみ」と振り仮名がしてあったが、「み=見」はいいとして、「左」を「と」、「右」に「こう」と読むことに興味を引かれた。「さゆう」や「ひだりみぎ」なら分かるが「とこう」という読み方は珍しい。

 「故事ことわざ辞典」(学研1988)を見ると「左見右見」の意味がこう述べられている。「左を見たり、右を見たりすること、あちらこちら見ること」。どうやら漢語の「右顧左眄(うこさべん)」と似たような意味の和語が「とみこうみ」らしいと知れたが、それにしても右顧左眄では右が先なのに、なぜ左見右見では逆なのだろう、と思わないでもなかった。

 次に「山の芋」の意味だが、こちらはネットで調べて分かった。何と当時の隠語で「僧」のことを「山の芋」と言ったらしい。かくして、この川柳は「あちらこちらきょろきょろ見ながら、坊さんが鰻屋へ入って行く」という意味となる。そんな姿を江戸人が笑った理由も明らかで、僧たるもの、殺生戒と言って生き物は殺しても食べてもいけなかったからである。世間の目を忍ぶがゆえの「とみこうみ」が可笑しい。そう言えば、お酒を呑んでいけない不飲酒戒もあったから、こちらは「般若湯」(知恵の湧き出ずる湯)と称して、やはりちゃっかり呑んでいた。宗教人とは言っても、日本では絶対を掲げる原理主義でなく、建前と本音を使い分けるところが却って健(したた)かと言うべきか。

 右が先か、左が先かという問題は置くとしても、「と」と「こう」のペアからも面白いことが分かった。先ず「こう」の古形が「かく(=斯く、是く)」だったということ。岩波古語辞典には「とみかうみ」とあり、「かく=>かう=>こう」と推移したことが分かる。そう言えば、「かく」の入った「かくなる上は」「かくして」「かくも盛大な」などがあるが、これらは「こう」で置き換えられる。

 「と・こう」の新しいペアの例は少なくても、古い方の「と・かく」なら多くの語例がある。「ともあれかくもあれ」とそれを縮めた「とまれかくまれ」が思い浮かぶし、「とにもせよかくにもせよ」とそれが縮まった「とにもかくにも」「ともかくも」「ともかく」「とにかく」「とかく」などもあるが、これらは全て「あれやこれや、どっちにしても」という意味で、やはり二つ比べていることになる。二方向を「見る」のが「左見右見(とみこうみ)」、「ある」のが「ともあれかくもあれ」、「する」のが「とにもせよかくにもせよ」と、二方向の後に動詞が続く点でも共通している。

 「と・こう」や「と・かく」と似たものに、「あ・こ」のペアがある。「あれこれ」「あれやこれや」「あちこち」「ああ言えばこう言う」「ああでもないこうでもない」などと多い。「そ・こ」のペアでは「そうこうするうちに」「それやこれやで」など。いずれの場合も、二方向を見るという点では共通しており、そう考えると、和語の「とみこうみ」(左見右見)」に漢字の「左右」が使われたことも至極納得出来るというものだ。     (2011年9月)

応援のクリック、どうぞよろしくお願い申し上げます。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿