このシリーズ27回目で「ぶん殴る」の語源は「ぶち殴る」、「ぶち」は動詞「ぶつ」だと書いた。「ぶつ」は江戸時代、上方の「打つ」に対する東国の表現だったことも分かってこの話は終ったつもりでいたのだが、どうやら続編を書く必要が出て来た。というのは先月、駆け足で日本へ行ってきたからである。その間、見るとは無しに電車や駅前での若者の生態を観察する機会があり、「打つ」に関する考察がさらに深まった。
今回 . . . 本文を読む
皆さんは「望郷」(原題「ペペ・ル・モコ」)という映画をご覧になったことがあるだろうか。1937年の名画である。監督は名匠ジュリアン・デュヴィヴィエ。アルジェリアのカスバに咲いたペペとギャビーの恋の物語だが、パリから来た女ギャビーを演じるのがミレーユ・パラン、そしてパリに思いをはせる悪党ペペ・ル・モコ役が名優ジャン・ギャバンである。文藝春秋の「大アンケートによる洋画ベスト150」(1988)の男優 . . . 本文を読む
「ぶん殴る」や「ぶん投げる」の「ぶん」はどこから来たのだろう。「ぶーん」と音を立てて殴ったり投げたりするから?やはり、そんなことはないだろう。ヒントは、これと似た言葉である「ぶっ殺す」「ぶっつける」などの「ぶっ」にある。「ぶん殴る」や「ぶん投げる」では「ぶん」の後の動詞が「なぐる/なげる」とN音で始まるから、これに引かれて「ぶん」と、最後が音便化している。一方「ぶっ殺す」「ぶっつける」の方は「ぶ . . . 本文を読む
浦島太郎の「亀が子供達にいじめられているのを助けました」という文はカナダの学生には意外に難しいが、この文をちょっと変えて「子供達にいじめられている亀を助けました」とすると納得する、と前回お話しした。今月もその話を続けてみよう。「『子供達にいじめられている亀』という名詞修飾節(せつ)が節(ふし)みたいに膨らんでいて、我々にはいささか耳障りだ」と記事の最後を結んだが、これは要するに英仏語であれば「関 . . . 本文を読む
同じ状況の筈なのに、日本語の文とそれを英仏語に訳した文では、受けるイメージがかなり違ってしまうことがある。例えば、日本の小説を日本語で読む場合とその英仏語訳を読む場合、実は頭の中で異なった状況を想起している、ということが少なくない。
10年ほど前にNHK教育テレビで「シリーズ日本語」という特集番組があった。講師の池上嘉彦氏が「雪国」(川端康成)冒頭の「国境の長いトンネルを抜けると、雪国であ . . . 本文を読む
父が亡くなり、しばらく日本に帰国しておりました。
父危篤の知らせを受けたのは、一ヶ月前のこの日、こちらのブログに第23回を掲載して数時間後のことでした。父は倒れる30分前までピンピンしていたといいます。この第23回の記事を書いている時は、丁度朝食を摂りながら新聞を読んでいたことでしょう。
父は、目標に向かって努力を続ける人でした。小さな島の出身で、当時、その島から大学に進学するのはとても難しか . . . 本文を読む
世の中には本当に不思議なことがある。こんな状況を思い浮かべて頂きたい。あなたは、ある日、見知らぬ人(Aさん)から、大変丁寧なお便りを貰った。トロントからの封書である。ところが、Aさんに返事を書こうと思っている内に、あなたはその手紙を見失ってしまう。どこにも見当たらないのだ。半年後、当時読んでいた本の間からやっと手紙が出て来た。お返事の遅れを詫びながら手紙を書いて投函し、ほっとする。すると後日、ま . . . 本文を読む