金谷武洋の『日本語に主語はいらない』

英文法の安易な移植により生まれた日本語文法の「主語」信仰を論破する

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第27回 「ぶん殴る」の「ぶん」はどこから来た?

2005-10-23 23:58:41 | 日本語ものがたり
 「ぶん殴る」や「ぶん投げる」の「ぶん」はどこから来たのだろう。「ぶーん」と音を立てて殴ったり投げたりするから?やはり、そんなことはないだろう。ヒントは、これと似た言葉である「ぶっ殺す」「ぶっつける」などの「ぶっ」にある。「ぶん殴る」や「ぶん投げる」では「ぶん」の後の動詞が「なぐる/なげる」とN音で始まるから、これに引かれて「ぶん」と、最後が音便化している。一方「ぶっ殺す」「ぶっつける」の方は「ぶっ」の後がK,T音だから、こちらは-KK、-TTと促音便化し、ひらがなで「っ」と書かれる。そうすると「ぶん」と「ぶっ」はその次に来る動詞の最初の子音によってどちらかが自動的に選ばれるだけで、本来は同じ物なのに違いない。「ぶっ殺す」は「ぶち殺す」とも言うから、「ぶん」と「ぶっ」は「ぶち」が変化したものだろう。語源は動詞の「ぶつ」と思われる。しかし、「ぶち殺す」や「ぶちつける」はいいとして、「ぶち殴る」や「ぶち投げる」なんて果たして言うだろうか。

 友人から借りた「丸谷才一の日本語相談」(朝日文芸文庫1995)を読んでいて、この長年の疑問が先月氷解した。丸谷によれば、やはり「ぶん」や「ぶっ」は「ぶち」が変化したものだ。「ぶち」も予想通り動詞の「ぶつ」の連用形で、「ぶち」は江戸時代、上方の「打ち」に対する東国の表現だったらしい。

 ところで、丸谷によれば「ぶち殴る」や「ぶち投げる」などにおける「ぶつ」は「何かを叩く」意味ではない。他の動詞に「打ち/ぶち」が付くと「ふと/ぱっと/威勢よく」その他の気配を示す副詞的な接頭語となったのである。「田子の浦ゆ打ち出でて見れば…」など。その「打ち」が今でも残っているのが「打ち明ける」「打ち合わせる」の2つだ。

 言葉の方にも流行り/廃れのきびしい生存競争がある。当時の標準語「打ち」の方は上の2つ以外はすたれてしまったが、東国版の「ぶち」の方は逆に栄えた。「ぶち殺す」「ぶちかける」「ぶち飛ばす」「ぶち殴る」「ぶち叩く」「ぶちつける」など用例は多い。そしてこれらが一斉に音便化した。それがK,T音の前では「ぶっ殺す」「ぶっつける」「ぶっ飛ばす」「ぶっかける」「ぶっ叩く」などとなり、N音の前では「ぶん殴る」「ぶん投げる」などとなったのである。なるほど、そういうことだったのか、と長年の疑問が解けてスッキリ。小説家にして日本語研究者でもある丸谷才一を大いに見直した。

 さらに興味深いのは、「打つ/ぶつ」という動詞の奥に古代的な感情があったのでは、と丸谷が考えていることである。富士の山を見に「打ち出でる」のは、恐らく呪術的、儀式的な行為、神事であったのだろう、と。その名残りの「ぶん殴る」や「ぶっかける」にはもはや呪術の香りはいささかも残っていないが。

 ことわざは偶数句から成り立ち、神の宣り下す威力に満ちた呪文の中心部分であったと聞く。一方、人間の方から神に申し上げる役は歌が担った。これは奇数句を基本型式としている。5・7・5・7・7の様なリズムを持つ和歌もまた、本来は呪力をたのむ神事であった訳だ。

 本来、日本語の動詞は語幹が子音で終り、それにA-I-Uの3母音をつけると名詞となった。そのうち、-Iで終るのは行為名詞(例:ほり/ない/つき)、-Aで終るのは行為の結果(そこに出現したモノを表す)名詞(例:ほら/なわ/つか)である。この語形成パターンは時代とともに崩れて行くが、ここに挙げた例にその名残りを留めている。そうしてみると-Iで終る「うち」は呪力を宿らせる行為であり、宿らせた結果が-Aで終る「うた」であって、やはりここにも今回の話題である「打ち」があったみていいだろう。さればこそ「天地をも動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思わせ、男女の中をも和らげ、猛きもののふの心をも慰むるは歌」なのである。古今集仮名序と「ぶん殴る」の「ぶん」がこれで繋がった。(2003年6月)

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