畑倉山の忘備録

日々気ままに

自己愛者(ナルシスト)

2016年03月23日 | 鬼塚英昭

大河内正敏が戦後に入手した大金の行方を別の角度から追求してみよう。
ロケット博士として有名であった糸川英夫の『日本創成論』(一九九〇年)から引用する。戦時国債について書いている。

「太平洋戦争中、日本政府は戦費をまかなうために戦時国債というのを発行した。といっても、事実上、国民への押しつけで、給料の八十パーセントは国債だった。それでも国債には菊の御紋が入っていたから、当時はなんとなくありがたみを感じ、床の間に大事に積んでいたものだ。それが積もり積もって、終戦時には高さ六十センチぐらいになっていた。

当然、戦争が終わったら金利とともに元金が戻ってくるものと信じ、毎日それを拝んで暮らしていたのだが、一九四五年(昭和二十年)八月十五日の敗戦とともに、全部、紙きれと化してしまったのである。

会社が倒産したのならいざしらず、相手は政府である。それも、政府がなくなってしまったのなら諦めもつこうが、日本政府は現に存在し、戦争を推進した人たちもいるのに、戦争に負たから借金は棒引きにすると一方的に宣告されたのである。同じ敗戦国のドイツでは、元金だけだが五年かけて返済した。借りたものを返すのは、人間として当然の行為である。

このように、私は国に貸した金を踏み倒された経験があるから、国債というものをまったく信用していない。」

いかに日本という国家が無責任主義者たちにより支配されていたかを糸川英夫は書いている。私はこの無責任主義者たちを自己愛者と書いた。また、ナルシストであると。天皇、戦争を演出した軍人たち、高級官僚、貴族たちは、敗戦前まで、ナルシスト、すなわちアイドルであった。なにも、松田聖子や小泉今日子、そして、平成の世のAKB48だけがアイドルではないのである。アイドルの頂点に昭和天皇裕仁がいたのである。

もう少し、糸川英夫の本から引用する。真珠湾攻撃のあの艦上戦闘機「零戦」と並び称される陸軍の名機、一式戦闘機「隼」を開発した人である。

「五十年前、私は中島飛行機という会社で、航空機の設計をしていた。当時の私の月給は八十円。それでも、別の会社に行った同級生からは、羨ましがられたものだ。そのころ、私より五歳年上の先輩が家を建てた。格好のいいフェンスに囲まれ、立派な鉄の門がついた豪邸である。それが、土地代を含めて千二百円だった。」

この糸川英夫の文章を読むと、大河内と田中角栄が国家から国民の金を略奪した歴史が見えてくるではないか。田中角栄や大河内が現代でも英雄扱いなのは、物事を正確に認識するよりも、考える力を無視し、すなわち、思考を省略し、節約しているからではないのか。別の視点から大河内を追及する。

天皇裕仁が木造飛行機を造れと指示したのは一九四四(昭和十九)年の一月。この前年の十一月一日、航空機増産体制の確立を期して、東条英機首相が企画院と商工省を一つにして軍需省をつくった。この時、東条は軍需大臣を兼任した。商工大臣であった岸信介は無任所大臣、そして軍需次官となった。この頃に、大河内と岸信介の不仲説が流れた。一九四四年東条内閣に代わり小磯国昭が首相になった。

この内閣で軍需大臣になったのは藤堂銀次郎である。彼は財界出身。のちに内務官僚の吉田茂(首相になった吉田茂とは別人)がなる。広瀬隆の『持丸長者(戦後復興篇)』から再び引用する。

「軍需省の親分だったのが、軍需次官の岸信介や、次の内閣で軍需大臣となった中島飛行機の中島知久平たちであり、莫大なヤミ物資が換金されて、戦後の政界に流れた。またかなりのものが独占財閥の懐に入って、戦後に苦境に立たされた企業家を潤した。」

私は中島飛行機の中島知久平と大河内がひと芝居を打ったのではないかと思う。前章の最後のページに記した「日本興業銀行の主要系列融資状況」を見ると、一九四五年八月十五日(敗戦の日)の融資状況が記載されている。この融資で断トツなのは中島飛行機である。以下、戦前に誕生した新興財閥(コンツェルン)がほとんどである。

中島飛行機には、ピストンリングを中心に多くの部品を理研産業団が納入していた。中島知久平は軍需大臣となり、同じく軍需省顧問となった大河内が密かに他の新興財閥の経営者を誘い、国家から金を奪取する計画を立てたにちがいないのである。彼ら経営者は自己愛者、すなわちナルシストたちである。国民の戦時国債をこそ日本興業銀行は返済すべきであった。老いぼれたナルシストたちは、国家の何たるかを忘れ、自己愛のみに生きて、国民を裏切ったのである。かの時、国家の財産のほとんどが奪われ、戦後に極度のインフレが発生し、多くの国民を苦しめたのである。もう一度、広瀬隆の本から引用する。

「東久邇宮内閣が発足すると、戦争は終ったはずであるのに、巨大な臨時軍事費特別会計が組まれた。軍人・軍属の退職金、復員費用として、さらに軍需品の未払代金や注文打ち切りに伴う企業に対する損失補償金として、浴びるような大金が用意されたのである。この年十一月にGHQ指令で禁止されるまで、わずか三ヶ月間に二六六億円に達する莫大な金がこの軍事予算に支払われた。しかし日本政府には金がなかったので、この金を捻出するために赤字公債を発行し、十一月末までに財政資金の超過額が一八三億円に達した。その金が、みな軍部と、戦争に協力した軍需産業に支払われたのである。」

この「みな軍部と、戦争に協力した軍需産業に支払われたのである」に、太平洋戦争、否、大東亜戦争の正体が見えてくる。なぜ戦争をしたのかの原因が見えてくる。大河内と田中角栄の正体も見えてくる。

たぶん、大河内が略奪した大金は、彼が巣鴨に入ることが決まった時点で自分と関係の深い企業へ一時的に投資をした可能性が大である。その金は、大河内の息子信威の優雅な生活の一面を支え続けたのであろう。確証はないが、そのように私は思っている。

(鬼塚英昭『理研の闇、日本の闇(下)』成甲書房)