畑倉山の忘備録

日々気ままに

日韓国交正常化と対韓ビジネス

2018年11月25日 | 鬼塚英昭
町井久之(本名・鄭建永 チョンゴニョン)は1922年、東京市芝区南佐久間町に生まれた。そして2002年に亡くなった。私はどうして町井のことを書くのか。(中略)ヤクザでありながら企業家として成功した人物は宅見勝(五代目山口組若頭)を別にして町井久之しかいないと思うからである。もう一つの理由は、瀬島龍三の対韓ビジネスに深く関わっているからである。

町井久之は児玉誉士夫の働きで韓国に行けるようになる。ヤクザを廃業すると宣言し、実業家への道を進むことになる。児玉誉士夫と瀬島龍三、そして日韓問題と深く関わっていく小佐野賢治が、町井の事業に協力するようになっていく。

1965年6月、14年にわたった日韓国交正常化交渉は妥結した。6月22日、佐藤栄作首相立ち合いのもと、両国の全権委員は日韓基本条約と四つの協定に調印した。この調印の後、児玉誉士夫と町井久之は親善訪問団として訪韓した。町井は東亜相互企業を一流の企業にする計画を立てる。彼は韓国外換銀行から110億円あまりの融資をうけた。また、さまざまなルートで170億円の借金もした。特に「西武不動産」からは10億円以上の借入をした。西武との関係は東亜相互企業がロッキード事件で消えるまで続いた。

(鬼塚英昭『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』成甲書房、2012年)