まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

【凍て月】早朝に向けて2度まで下がる・・似非俳人坪内稔典の《俗》か改心した故桑名正博の《聖》か?*夜カフェ付/俳句再出発(日記)

2018-12-16 01:42:59 | 俳句再出発

月凍てて泥に近づく泥人形   まほろば   最新作  即興

今夜は明け方の2度に少しづつ近づいています。これから入浴し、夜食の買い出しを兼ねて遅い【夜歩き】に出るつもりです。夜というより早朝に近いものになりそうです。総合誌「俳句界」の特集『私の作句信条』について感想を書いています。一人目は大阪市在住(愛媛県宇和島市出身)の坪内稔典ですが、この方の『過渡の詩』(1976)は私にとって【聖書】に相当するものですが、キリスト教徒にとってのそれとは根本的に違っています。発売当初の1970年代には《革命》の書でしたが、21世紀の現在は《反革命》の書に成り果ててしまっているということです。坪内さんは言わずと知れた【全共闘世代】【団塊の世代】の一員ですが、2018年のいまも《革命》を捨て切れていません。その意味で《反革命》の極みと言えるでしょう。私は彼らのすぐ後ろに続いた【シラケ世代】【モラトリアム世代】ですが、こう言い切るにはそれ相当の覚悟があります。彼らのスゴさとダメさを共に知り尽しているからです。私自身のダメなところは、全て坪内さんたちの世代の無反省に発しています。いま彼は俳句の《俗語》の強調という論を立てています。いまさら何を言ってるのかと怒りが収まりません。何故なら、彼は今も私にとって【聖なるもの】であり続けているからです。本末転倒とはまさにこのことでしょう。・・・《続く》

 

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